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約束と野ぐそ。

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スーパーのレジに並んでいるとき。

次女が小指をからめてくるので(くー。かわいいやつ)

「ゆびきりげんまんうーそついたら……」と歌ったら
「ヤクソ?ヤクソ?」

すぐに「ヤクソク」ということばを中途半端に覚えているのだとわかり訂正した。

「ヤクソ、だと外でするうんち、て意味になっちゃう」といえば大うけしている。

家にもどってから気づいた。

野くそ、て「ヤクソ」じゃなくて「ノクソ」だった。








そう思った瞬間に頭に浮かんだ。
姉妹で女優さんの真野 響子(まや きょうこ)さんと眞野あづさ(まのあづさ)さん。
お姉さんは「や」で妹さんは「の」。
これは母親から教えてもらった。

「ヤクソ」じゃなくて「ノクソ」だった。
もっと言うなら普通は「ノグソ」。

と次女に説明したのだが何パーセントくらい理解しただろう。
まさか「約束」と「野ぐそ」がこんなに近いところにあるとは想像だにしていなかった。
ことばって楽しい。
















写真は2018年6月次女。
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by kyotachan | 2020-10-03 23:22 | た の し い | Comments(6)

カンレキオメデトウ。

カンレキオメデトウ。_f0136579_22535063.jpg


わたしが小学校にあがる年に兄は中学にあがる。
六歳違い、というのは小さいころは大きかった。

やせ型で背が高かったからよけいにそう感じた。
わたしがものごころついたころには兄は子ども側ではなくてむしろおとな側にいる人だった。

遊んでもらった記憶はない。
兄とて遊ぼうにも妹相手に何をすればいいのかわからなかっただろう。

泣かされたことは何度もある。
泣くとすぐに母親のところに飛んでいこうとするから「泣き止んでから行け」と言われた。

兄は高校三年生のとき一度だけ補導されたことがある。
土曜日の午前中に友人とゲームセンターにいた、という理由で。

母親が警察に迎えに行き、
「なんで午後まで待てんやったとかねえ。それも十一時やったって。あと少し待てばよかったとけ」
と補導されたことよりも別の理由で怒っていた。

土曜日、学校は半ドンだから午後だったら補導だってされない、ということらしい。

それがきっかけか、兄の部屋のことなど無頓着だった母親がある日兄のタンスをのぞいた。
空の一升瓶がごろん、と入っていて母親はびっくり仰天。

そしてよく見ると一升瓶は一本だけではかった。
奥のほうに何本も押し込まれていたらしい。

当時は酒好きの父親への贈りものに一升瓶が届くことが多かった。
納戸に無造作に放り込まれた一升瓶を兄が一本、また一本と持ち出しては消費していたのだ。

「こんだけ持ち出されて気づかんとはお母さんもお母さんばい」
今度は母親が父親に小言を言われている。

わたしたちは三人きょうだい。
長兄、次兄、そして末っ子のわたし。

わたしは親に叱られた記憶のないお気楽な子ども時代だったが
兄は逆に叱られる役専門だった。

兄が悪さをすればもちろん叱られる。
次兄が悪さをすれば「おまえがしっかりしとらんからだ」とこれまた叱られる。

父親の背丈をとうに追い越した兄が
父親に見上げられながら叱られている姿をちょくちょく見た。

「ばかにしよってからが。オレはまだおまえには負けんぞ」

父親がそういって兄を押し倒そうとしたことがあった。
兄はちょっとよろけただけで倒れなかった。

一升瓶に続いて母親が発見したのは大量の雑誌 playboy 。
これまたびっくり仰天した母親が父親に提言することとなった。

エロ本を読めば不良になる、的な発想が母親にもあったのだろうか。
兄は「はあ?」とでも言ったのだろうか。

「そげんよかもんならちょっと持って来て見せてみ」

父親に言われて数冊を居間に持って来た兄。
父親の後ろからこっそりのぞくと、金髪のきれいな女性のはだかの写真が満載だった。

兄の部屋からエロ本が、というのにはちょっとわくわくする出来事だったが
それを父親が見たがる、というのはもっとわくわくした。
当時はまだ、「マジで?」ということばはなかったかもしれないが、「マジで?」と思った。

「お、こりゃあ父ちゃん、たってきたばい」
普段は笑わない父親がちゃかしたように言う。

「まじね。いまや小学生でもこげんとじゃあ立たんばい」
兄がまじめな顔をして答える。

わたしの育った家はけして文化的ではなくとりわけあたたかいというわけでもなく
笑いのたえないということもけしてなくむしろ誰もがいつもしんとしていた家だった。

父親が音を極端に嫌う人だったから、いつも母親に「しーっ!」と言われていた。

もらい物に入っていたプチプチをつぶす音、テレビのコマーシャルの音、家事の音。
わたしたちはなるべく音の出ない生活をしていたような気がする。

それでもおもしろいな楽しいなということはたまにあったし
いつも両親がそばで働いている姿を見ることができるいい環境だった。

兄が家を出たのは大学受験に失敗して予備校に通うためだった。

母親の苦肉策で「家にいたら甘えて勉強しないだろう」という理由で
父親の兄の家、それは諫早市内にあった、に下宿しつつ予備校に通うことになった。

次の年には無事に大学に入学して兄は医学生になった。

この頃からわたしは兄に手紙を書くようになった。
何を書いていたのかはまったく記憶にないのだがおそらくは他愛もないことだったのだろう。

そしてわたしは高校生になって好きな男の子のことで悩んだ。

高校に入ってわたしはいわゆるモテキ(人生の中でもてる時期)に突入するのだが、
やっかいなことはわたしは自分に気のない人にばかり好かれて
肝心のわたしの好きな人には一向にふりむいてもらえなかった。

一度、手紙では伝えにくいと思ったわたしは兄に電話して相談した。

そうね、そうね、と相づちを打ちながら一通り話しを聞いてくれた兄が
「残念ばってん、オレはその手の相談事には乗ってやれん。
でもちょうどその手の話の得意なやつの遊びに来とるけんかわるけんね。もう一回、その話ばしてみんね」

そう言われて兄の友人(会ったことはない)に相談にのってもらったこともある。

この頃の兄はわたしがいちばん素直に話のできる相手で色んな話を聞いてもらっていた。
兄もいま思えばぐちひとつをこぼすわけでもなくわたしの話を辛抱強く聞いてくれていた。

兄はもともと背が高かったのだが最終的には190cmまでのびた。
両親、次兄、わたしも超平均的な身長だから生物学的には突然変異、というやつだろうか。

高身長の人はいまではそう珍しくもないが当時はあまりいなかった。
兄はだからサイズの合う服を見つけるのにたいそう苦労をしていた。

母親は「ふとんからいつも足がでてかわいそう」とふとんを特注で作った。
二メートル以上もあるその敷布団はだらりと長かった。

「子どもはおいのことばこわがるとよ」

兄はそう言った。大きい人を小さい子どもはこわがるらしい。
うそだと思っていたのだが一緒に街を歩いているとき本当に赤ちゃんが兄を見て泣き出したことがあった。

医学生の三年生の頃だったか、当時は長崎市内でひとり暮らしをしていた兄だったが
うつ病と診断されて実家に戻ってきたことがある。

玄関に立った兄の頬はマンガで見るみたいにげっそりとこけていた。
次兄はもう大学へ入って家を出ていたから実家は両親とわたしの三人。

「あんた、頬のこけとるやないの」
普通の調子で、と思っているらしい母親が口を開く。

父親とわたしは兄のあまりにも変わり果てた姿にぼうぜんとしている。

「そう?そげんこけとる?じゃあ写真でも撮ろうか」
兄はそう言ってほんとうに母親が活け花教室用に持っていたポラロイドカメラで写真を撮った。

担当医は同時に兄の教授でもあった。
「はげますのがいちばんいけない。がんばっては禁句」
と言われ何を話していいかわからずほとんど話をしなかった。

ずっと部屋にこもりきりで食事の時間に降りて来るくらいだったが
話せば普通だし食欲も普通にあったのじゃなかったか。

三ヶ月後か六ヶ月後か覚えていないが兄はまた自分の下宿へ戻った。
一年くらいは薬を服用してうつ病はかんかいした。

わたしは東京の大学へ通うことになった。
在学中に友人がドイツ人と結婚した。

夫婦で九州に旅行したとき、兄がわたしたちをレストランに招いてくれた。
兄の奥さんも一緒だった。

兄はドイツ人にもわかりやすいようにと大声でゆっくりと話した。
友人と友人の夫をこころからもてなしてくれている感が伝わってきてうれしかった。

兄夫婦に子どもができた。
「子どもの名前は楽(らく)だって。兄ちゃんらしかろ」、
と母親に聞いた。なんてすてきな名前!

わたしはいっぺんでその名前が気に入った。
早く楽ちゃん、て呼びたいなと思った。

ところが奥さんの家族の大反対にあってその名前は実現しなかった。
わたしは自分の子どもが生まれたときにその名前のことを思い出さないわけではなかった。

でも兄のつけそこなった名まえをもらう気ににもなれず
とうとう楽ちゃんはどこにも存在しない。

わたしが長女を出産する直前に母親の肺にがんが見つかった。
肺には水がたまっていてがんの末期だという。

わたしは里帰り出産を予定していたから
その予定を繰り上げて母親のところへ飛んで帰った。

母は清潔とは思えない小さな個人病院の病棟にいた。
大きい病院へ行くと検査漬けになるから動きたくないという。

「せめて自宅に」というわたしに兄は「甘い」と反対した。
「人を死ぬまで看るのは甘くない。自宅でなんてとても無理」。

「わたしが最後まで看る。お願い」。

母親に聞いてくれた。
「そりゃあ家で死ねるなら家で死にたい」。

わたしが自宅に戻ると兄は業者さんに頼んで二階のベッドを下に降ろしてくれた。

がんの宣告を受けてから十ヵ月後に母親が死んでしまうまでわたしはほとんどを実家で過ごすことになる。
母親が死ぬのは1月21日。

その年のお正月はだから兄の家族、次兄の家族、わたしの夫も戻ってにぎやかだった。
わたしの長女は生後六ヶ月。

母親のベッドを置いた座敷のふすまを開けると兄が枕元にいた。
わたしが入ると同時に会話が中断されたのを感じてわたしはふたたび部屋を出る。

その後、母親とふたりだけになったときに母親が言う。
「おい(おれ)、母ちゃんの子どもでよかったって言われたよ」。
「へえ!よかったね」。

「最初の子どもやったし、めちゃくちゃやったけどねえ」
母親はうれしそうだった。兄がちゃんとことばで伝えてくれたことがうれしかった。

数年後、わたしの行いが原因で兄との交流は途絶えた。
もう数えるのも面倒なくらい長い時間が流れた。

兄の誕生日は7月14日。フランスは祭日だ。
今年兄は還暦。

暦がひとまわり。
あたらしい人生のはじまり。

どうかどうかお元気で。
また会えるといいな。

















すみませんすみません脈略も何もなくて読みにくくて。今日中にとあせりました。誕生日おめでとうございます!
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写真は2015年5月。ニースの空。








by kyotachan | 2020-07-14 23:18 | 五 人 家 族 | Comments(8)

子どもの散髪

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次女の結に散髪を頼まれることがある。

いつ頃からか、彼女は自分で髪の毛を切っている。
妹の空の髪の毛も切っているようだ。

一度、結に頼まれて切ったらけっこううまく切れた。
それ以来、二度ほど、わたしが切っている。

長男の部屋の小さなベランダのある窓を開ける。
新聞紙をひいて、木製の折りたたみ椅子。

エプロンのポケットにいくつかのバレッタ、くし、はさみ。

この髪きりはさみはわたしが小さいころ、母親が近所の床屋さんから調達してきた年代物だ。
いまだ現役、切れ味も悪くない。

肩につかないくらいのボブ。
ひたすらまっすぐ切ればいい。

わたしは床にひざをついて切っていく。

三回か四回に分けて、内側から切る。
気持ち的には内側を短く、外側にいくほどに長めにすれば失敗しないようだ。

気がつけばエプロンの中にもその内側のTシャツの中も髪の毛でいっぱい。

ったくもー。
といいつつ、子どもの髪の毛を切る、のはなかなかに楽しい時間なのだった。



















写真は隠れ家みたいなビーチ Roquebrune Cap Martin からの帰り道。坂がきつい。手前が次女、奥は長女。
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by kyotachan | 2019-09-23 17:45 | 六 人 家 族 | Comments(2)

いいほうへ

いいほうへ_f0136579_23404438.jpg

あとひと月もすると十月だ。
風が診断名をもらってから一年になる計算だ。

うかうかしていたらあっちゅーまに九月になっていたように
知らぬ間にあれから一年がたとうとしている。

コメントをいただく方々から時々、風の様子を気にしてくださっているような
そんなニュアンスのあることばをいただくことがある。

大丈夫です、元気です。どうもありがとう。

依然として薬を服用しているせいか、家にいるときは寝ていることが多い。
友人たちと山だ海だと出かけることも多い。
夕食後に「(一杯アルコールを)飲んでくる」ということも増えた。

日本で言うと「飲む」と言えば、特に若い頃の「飲む」と言えば
安い酒を出す居酒屋チェーン店で、ビールだのサワーだの、なんだかわいわい飲んだくれる感じだけれども、
こちらの若者たちは、バーのような場所でフレーバーつきのビールとか、ノンアルコールのカクテルだのを一杯だけ飲むらしい。
まあほんとうは一杯だか二杯だかはわからないわけだけど。

八月の末に十九歳になったから、まあもう、そのへんはお好きにどうぞと放ってある。

日常生活においてはフツーの母親、フツーの息子の関係だもの、
そりゃーもー言わずもがな、腹の立つこと多々あり。

「風、今日こそはキミを殺すからね。今夜の食事は最後の晩餐だと思ってかみしめて食すように」
「オッケー。そうするよ」

笑顔でそう答える風に、ああ、なんかもう、すっかり回復してんじゃん?と思う。
もちろんそんなわけはないのだろうけど。

この単語はまずいんでは?こんなこと言っちゃったらよくないよね?
と自問自答するような日々はいつの間にか脱してしまっている。

幸いなことに自分の息子がなぜこんなことに、という犠牲者感はなく、
風はずっとわたしの息子でこれからもずっとわたしの息子であるということでしかない。

わたしはけして最高の母親にはなれないけれど、わたしは絶対的に風の母親である。
わたしは最高の母親を持ったわけではないけど、わたしの母親は絶対的にわたしの母親であったように。

宿業とかカルマとかいうことばを持ち出すととたんにうさんくさくなるけどそれでもあえて書いてみる。

いま、わたしがこれがわたしの宿業か?と思うところの宿業は
過去のわたしの「ことば、考え、行動」の結果だと知った。

わかりずらいかな。

わたしの宿業って、誰かがわたしに準備したものじゃなかった。
わたし自身がかつてわたしに準備していたものだった。

え、まじで?

そして、たった今、この瞬間のわたしの「ことば、考え、行動」が未来の宿業を因を作っていると知ったとき、
これからはけしてぐちらずに生きていこうと決めた。

未来のために今、できることがあるなら、やってみてもいいじゃん?

決めたはずなのにほんとうにけしてぐちらずに生きていくことは難しい。

ことばでぐちらないことはあるいは簡単なことなのだ。
こころの中でぐちってしまう。これをしないことは難しい。

わかりやすく言えば、わたしが夫に不満を抱くとき、
その不満をぐっとこらえて口に出さないことはできる。

でも、こころの中でもぐちらないでいること、これは、無理ッ!できないッ!

そんなこと、できないってばー、無理ってばー、と思いつつも。

でもぐちらないほうがいい未来に向かう、
自分に言い聞かせることは悪いことでもない。

風の未来にいい風がふくように。
うそうそ。いい人ぶりました。

自分の未来にいい風がたくさんふきますように。



















写真はビーチの物売りさん。帽子とかメガネとか敷物とか。
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まだまだこちらはあついよーあついよー、の毎日。あついよーというのはぐちかしら。ああ、あついあつい。








by kyotachan | 2019-09-05 16:09 | お い の り | Comments(2)

五十三


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毎年七月末に年をとるわたし。
今年、無事に五十三歳に。

ふと思った。わたしは自分の母親に
「お母さん、お誕生日おめでとう」と言ったことがあったかなと。

わたしには六つ上の兄と、四つ上の兄がいるのだけど、
ある日、長兄が「ウチは貧しい。文化的なことに関して」
と言い出したことがあった。

長兄が高校生だとして、わたしは小学三年生か四年生。
「我が家には絵の一枚もかかっていなければ、音楽を聞く手段もない。まったく貧しい」
ということらしい。

高校生になった兄が友人のお宅へお邪魔するようになり、
そしてほかの家々には絵が飾ってあり、音楽を聴いたりする、というのを体験したのだろう。

それを聞いた母親は「確かにウチは貧しいね」と言った。
それならウチにも絵を飾ろう、ステレオセットでも買ってみよう、とはならなかった。

「ウチって貧しかとばいねー」で終わったのだと思う。

その数年後に家が新築され、しばらくして父親が何を思ったか、絵画教室へ通い始めた。
数年前に子どもが言った「ウチは貧しい」というのがよみがえってきたのかもしれない。

父親はかなり大きな絵、ひまわりが一輪咲いている絵を描いた。
階段の踊り場のところに掛けられたその絵は、おそらく最初で最後の作品ではなかったか。

父親の描いたほかの絵の記憶はまるでないから。
父親的には「ほれ。絵ば描いて飾ったばい。これで許してくれろ」という気持ちだったか。

そして居間にはステレオセットがどでん、と設置された。
今思えば両親だって少しは文化的な家庭にしようと思っていたのだ。

母親はクラシック音楽が好きで、ラジオから流れてくる曲を聴いてはたいていすぐに
「これは○○の○○」、という風に作曲家とその曲名をいい当てた。

有名なうたなんかもすらすらとそらんじるような人だったし花の名前にも詳しかった。
だからわたし的には母親はけっこうな文化人ではあった。

文化的に貧しい、に通じることかどうかは知らないが
お祝ごとはことごとく存在しない家ではあった。

誕生日など祝ってもらった記憶はなく、クリスマスさえなかった。
唯一のお祝ごとは『お正月』。

だからといってわたしはわたしの生まれた家が嫌いだと思ったことはない。
わたしはわたしの生まれた家に生まれることができてよかったなと思う。














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次女の結ちゃんが作ってくれたカード。
今年は日本語だった。

おりがみはさる?
六人の中ではわたしが断トツにさるに近いからね。














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おしい!

















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我が家では誕生日というと、カードに好き勝手なことを書いて贈る習慣が。

いつからできたんだろう?
毎回似たようなことを書いているんだけどね。















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おれ?!
まあね、オレもたまに自分のことオレっていっちゃうけどね。














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たいようのおかあさん、うんちのおかあさん、最近帽子作りにはまっているおかあさん。













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人ってろうそくとか登ってくる太陽とかを見ると
我知らず祈ってしまうものなのかも。

結ちゃんの日本語が上達しますように、て祈っといたからね!



















たまに写真で自分を見るとぞっとする。
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by kyotachan | 2019-07-31 23:43 | 六 人 家 族 | Comments(20)

優子ちゃんのお母さん


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小学校・中学校で仲良しだった優子ちゃん。
小学生時代には優子ちゃんの家によく遊びに行った。

お父さんはタクシードライバーでお母さんは専業主婦。お姉ちゃんがひとりいた。

優子ちゃんのお母さんはよくクッキーを焼いてくれた。
マヨネーズも手作りだった。
お裁縫や編物が得意でスカートや手袋を作ってもらったこともある。

顔の造作もモダンでちょっと外国人風だった。
そして授業参観には着物で現れたりした。

わたしの母親は働いていていつもばたばたしていたのに対して
優子ちゃんのお母さんはいつもゆったりとしていた。

おやつにりんごをむいてくれた。
わたしと優子ちゃんの目の前で、とてもゆっくり(に見えた)、
りんごの皮をまあるく、つなげてむいた。

わたしはそれを手品でも見る気持ちで見入った。
わたしの母親はいつもりんごをまず四等分に切ってから皮をむいたからだ。

「すごかねー。おばちゃん、つなげてむっきっと。うちのお母さん、しいきらっさんと思う」
わたしは感嘆の声をあげ、おばさんはゆっくりと笑った。

「そげんことなかよ。きょうたちゃんのお母さんもしいきらすって」。

わたしは優子ちゃんのお母さんが母親を傷つけまいとしていると思った。

家に帰ってから、興奮気味に母に言った。
「優子ちゃんのお母さん、りんごの皮ばつなげてむかすとよ」

母はきょとんとして、「母ちゃんもできるばい。そがんむずかしかことやなかもん」。
母が平然とそういうのでこちらはまたまたびっくりだった。

「うそっ。いつも四つに切ってから皮ばむくやん」
「そりゃあ、そっちのほうがしやすかもん」
「じゃあ、つなげてむいてっ」

母はしゃーないなー、という感じで、その場ですぐにりんごの皮をまあるくむいてくれた。

母親の言ったとおり、母はそれを難なくこなした。
なんとなくほっとして、なんとなくがっかりした。

そして優子ちゃんのお母さんのほうが上手にもっと上手にむいていたように感じた。
あれはどういうことだったんだろう?
















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by kyotachan | 2018-01-17 01:23 | お は な し | Comments(0)

rêve ヘーヴ/ 夢

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場所はスリランカ。

ことばの通じない国の子どもばかりが収容されている病院。
わたしは看護婦の手伝いをしている。

狭い畳の上に何人もの子どもたちが寝かせられている。
わたしは看護婦の真似をして毛布の中に手を入れ子ども、というより赤ちゃんのお腹をさする。

場面が変わって夜。

大きな部屋に並んで眠る子どもたち。
わたしもその中に混じって寝ている。

十二、三歳のきれいな子がむっくりと起き上がり吐きたいというジェスチャーをする。
ふたりの看護婦はあわてて部屋から出て行く。

三つ重ねてある洗面器(家にあるのと一緒)が部屋の片すみにあるのに気づき、
それを少女の前にさし出すとその瞬間少女は吐く。
ソーセージがそのままだったり、かなり固めの吐しゃ物だった。

そこへ看護婦が戻り、「ああ、よかったわ」というようなことを言う。

汚物の始末はしてくれるだろうとその洗面器をさし出すと、
「それはあなたが……」と言われ、向かいにある便所へと捨てに行く。

割のあわない話だなと思う。

スリランカ?と思ったのは人の肌が一様に真っ黒だったから。(了)2016.1.28








ときどき、夢を見る。
たいていはカラーで鮮明に画像が頭の片すみに残っている。

ストーリーは「一体どゆうこと?」なものばかり。
知っている人がありえない設定の役で登場することも多い。

ああ、見たな夢、と思うとメモするようにしている。
どんなに鮮明に記憶に残っている夢でも一時間もしないうちに忘れてしまうから。

今朝、夢を見て、それをメモしたときに目に入った二年ほどの前に見た夢。
いやあ、なにこれ。笑える。すっかり忘れてしまっている。

わたしがいちばん見たい夢は母親の夢。
だけどなかなか出てきてくれない。
もう二十年近くもずっと待っているのに。

















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by kyotachan | 2018-01-16 00:03 | ゆ め ? | Comments(2)

éplucher エップルッシェ/ 皮をむく_f0136579_00394846.jpg

ウチの家族はみんな、りんごはしゃきしゃき派。

この季節は Fuji フジ がいちばんのお気に入り。
日本のフジりんごが入ってきたのはここ数年のことだと思う。

Pink Lady という皮がピンク色のりんごもおいしい。
フジがあま~いりんごなら、こちらは酸っぱいりんご。

どちらもしゃきしゃきしておいしい。

(写真のりんごはこのどちらでもない。すみませーん。)

どちらも皮をむいたほうがおいしいので
三女が「むいて~」と言ってくる。

「自分でもやってみる?」

四分の一の皮をむいたところで三女にとナイフを渡したら、皮をむく、というより実ばかりをむくことになってしまった。

「ママのやり方、全然よくないよ!」

だんだんと機嫌の悪くなる三女。

うわー。わたしもそうだったなあ。
母親みたいにりんごの皮がうまくむけなくて自分に腹を立てたことがあった。

「母ちゃんだって最初からうまかったわけやないよ。しょっちゅうむきよったらいつの間にか上手になるったい」。

ほんとうだった。
わたしはいつの間にこんな風に上手にりんごの皮がむけるようになったんだろう。

思いにふけっていたのは一瞬のことだったのに、
同じことを言ってあげようとおう、と顔をあげたら、三女はもうどこかへ行ってしまっていた。
自分でむいたぶかっこうなりんごを入れたお皿を持って。


















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by kyotachan | 2018-01-06 00:56 | お い し い | Comments(0)

s\'excuser セクスキュゼ/ あやまる_f0136579_01312764.jpg

「きょうたちゃん、あんた、すぐにあやまってしまうけん、お父さんのしかりにくかーっていいよらしたよ」
母親にこう言われたのはわたしが中学生くらいの頃か。

何かにつけ、わたしがすぐにあやまってしまうから、父親がわたしのことを叱りにくい、
と父親が母親にぐちったらしい。

「え!なんね。じゃあ、あやまらんほうがよかとやろか」
わたしが言うと、
「母ちゃんはよかと思うけどね。すぐにあやまるほうが」。

というわけで、わたしは何かにつけてすぐにあやまる。
あやまる、という行為に対して抵抗がない。

あら、ごめんなさい。あ、どうもすみません。たいへんに申し訳ありません。
色んな場面で深く考えることをせず、ただただあやまってきた。

場所が日本からフランスに移ってもその習慣はずっと同じ。
わたしは簡単に「ごめんなさい、すみません」を口にしてしまう。

ただ、フランスに来てから気をつけていることはある。
まったくわたしのせいではない、という状況でひとりで興奮してそれがわたしのせいかのように罵声を飛ばすひとがいるのだ。
いわゆる、逆切れ?

これ、ことばがわからないうちは本当にやっかいだった。
あれ?わたし、何かしたわけ?とかん違いしてあやまってしまいたくなる。

だって、相手がなんでこんなに怒っているのか、わかんないもの!
習慣でつい、あやまってしまいたくなるの!

でもことばがわかってくると、あらまあ、なんなのこの人?
ひとりで興奮してひとりでどなってひとりで激昂してらっしゃるの?

なんだか知らないけど、わたしはにこやかにやり過ごすわよ。
しかし、ここまで怒りのエネルギーが爆発するってすごくね?
と冷静に相手を観察することになる。








フランス人日本人どちらにも、世の中にはわたしとは逆で、なかなかあやまらない人、という方もいらっしゃる。
わたしの友人にもいて「ったくもー、なんでひと言、あやまらんかなー」と思うことがまま、あった。

ただ、こういう人があやまるときには「お!あいつがあやまりよったぞ!」とひどく感激するのも事実。

思い返せばわたしの方は、何の考慮も哲学もはたまた信念のかけらもなく、
ただただ、そうしとけばよかっちゃろもん、の精神で簡単にあやまってきたなと思うことがある。

今になってみて、時々、自問してしまうのだ。
わたしはほんとうに、心からあやまっているのだろうか。
ただその場をとりつくろうための方便になっているのじゃないだろうか。









こんなことを考えているのはただいまフーフゲンカの真っ最中でして。
もう、簡単にあやまるのは、まっぴらだもんね、と思っているわけである。
わたしには謝罪する理由はないし、そんな気持ちはまったくわいてこないのだ。

いやあ、こんなときこそ、簡単にあやまっちゃうほうがいいんだよ~。
ココロの奥底から聞こえてくる声は今回はぜったいに聞こえないの!

















写真は五月後半のニースの海。
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今のビーチはもっと混み混み……。








by kyotachan | 2017-07-25 01:54 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)









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我が家の長女さん、土曜日は毎年恒例のダンスコンクールで外泊。
日曜日の午後にようやく戻ったと思ったら花束を抱えていた。

母の日だって!

した三人からは朝からビズ攻めにあっており、
今日はそんな日だったなあとぼんやりとは思っていた。

十八のムスメから花束をもらう五十のお母さんになっていた。
いつの間にかわたしったら!












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一本一本、それぞれ違う。なんと、九本!>わたくしのラッキーナンバーです。










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手の込んだ模様!




















ありがとうありがとうありがとう~。
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周りからは「母の日どうだった?」と聞かれます。浸透度高し。フランスの母の日。

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by kyotachan | 2016-05-30 22:14 | 六 人 家 族 | Comments(4)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族