優子ちゃんのお母さん


f0136579_01041062.jpg

小学校・中学校で仲良しだった優子ちゃん。
小学生時代には優子ちゃんの家によく遊びに行った。

お父さんはタクシードライバーでお母さんは専業主婦。お姉ちゃんがひとりいた。

優子ちゃんのお母さんはよくクッキーを焼いてくれた。
マヨネーズも手作りだった。
お裁縫や編物が得意でスカートや手袋を作ってもらったこともある。

顔の造作もモダンでちょっと外国人風だった。
そして授業参観には着物で現れたりした。

わたしの母親は働いていていつもばたばたしていたのに対して
優子ちゃんのお母さんはいつもゆったりとしていた。

おやつにりんごをむいてくれた。
わたしと優子ちゃんの目の前で、とてもゆっくり(に見えた)、
りんごの皮をまあるく、つなげてむいた。

わたしはそれを手品でも見る気持ちで見入った。
わたしの母親はいつもりんごをまず四等分に切ってから皮をむいたからだ。

「すごかねー。おばちゃん、つなげてむっきっと。うちのお母さん、しいきらっさんと思う」
わたしは感嘆の声をあげ、おばさんはゆっくりと笑った。

「そげんことなかよ。きょうたちゃんのお母さんもしいきらすって」。

わたしは優子ちゃんのお母さんが母親を傷つけまいとしていると思った。

家に帰ってから、興奮気味に母に言った。
「優子ちゃんのお母さん、りんごの皮ばつなげてむかすとよ」

母はきょとんとして、「母ちゃんもできるばい。そがんむずかしかことやなかもん」。
母が平然とそういうのでこちらはまたまたびっくりだった。

「うそっ。いつも四つに切ってから皮ばむくやん」
「そりゃあ、そっちのほうがしやすかもん」
「じゃあ、つなげてむいてっ」

母はしゃーないなー、という感じで、その場ですぐにりんごの皮をまあるくむいてくれた。

母親の言ったとおり、母はそれを難なくこなした。
なんとなくほっとして、なんとなくがっかりした。

そして優子ちゃんのお母さんのほうが上手にもっと上手にむいていたように感じた。
あれはどういうことだったんだろう?
















にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ









[PR]
by kyotachan | 2018-01-17 01:23 | お は な し | Comments(0)

rêve ヘーヴ/ 夢

f0136579_00005916.jpg

場所はスリランカ。

ことばの通じない国の子どもばかりが収容されている病院。
わたしは看護婦の手伝いをしている。

狭い畳の上に何人もの子どもたちが寝かせられている。
わたしは看護婦の真似をして毛布の中に手を入れ子ども、というより赤ちゃんのお腹をさする。

場面が変わって夜。

大きな部屋に並んで眠る子どもたち。
わたしもその中に混じって寝ている。

十二、三歳のきれいな子がむっくりと起き上がり吐きたいというジェスチャーをする。
ふたりの看護婦はあわてて部屋から出て行く。

三つ重ねてある洗面器(家にあるのと一緒)が部屋の片すみにあるのに気づき、
それを少女の前にさし出すとその瞬間少女は吐く。
ソーセージがそのままだったり、かなり固めの吐しゃ物だった。

そこへ看護婦が戻り、「ああ、よかったわ」というようなことを言う。

汚物の始末はしてくれるだろうとその洗面器をさし出すと、
「それはあなたが……」と言われ、向かいにある便所へと捨てに行く。

割のあわない話だなと思う。

スリランカ?と思ったのは人の肌が一様に真っ黒だったから。(了)2016.1.28








ときどき、夢を見る。
たいていはカラーで鮮明に画像が頭の片すみに残っている。

ストーリーは「一体どゆうこと?」なものばかり。
知っている人がありえない設定の役で登場することも多い。

ああ、見たな夢、と思うとメモするようにしている。
どんなに鮮明に記憶に残っている夢でも一時間もしないうちに忘れてしまうから。

今朝、夢を見て、それをメモしたときに目に入った二年ほどの前に見た夢。
いやあ、なにこれ。笑える。すっかり忘れてしまっている。

わたしがいちばん見たい夢は母親の夢。
だけどなかなか出てきてくれない。
もう二十年近くもずっと待っているのに。

















にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ








[PR]
by kyotachan | 2018-01-16 00:03 | ゆ め ? | Comments(2)

f0136579_00394846.jpg

ウチの家族はみんな、りんごはしゃきしゃき派。

この季節は Fuji フジ がいちばんのお気に入り。
日本のフジりんごが入ってきたのはここ数年のことだと思う。

Pink Lady という皮がピンク色のりんごもおいしい。
フジがあま~いりんごなら、こちらは酸っぱいりんご。

どちらもしゃきしゃきしておいしい。

(写真のりんごはこのどちらでもない。すみませーん。)

どちらも皮をむいたほうがおいしいので
三女が「むいて~」と言ってくる。

「自分でもやってみる?」

四分の一の皮をむいたところで三女にとナイフを渡したら、皮をむく、というより実ばかりをむくことになってしまった。

「ママのやり方、全然よくないよ!」

だんだんと機嫌の悪くなる三女。

うわー。わたしもそうだったなあ。
母親みたいにりんごの皮がうまくむけなくて自分に腹を立てたことがあった。

「母ちゃんだって最初からうまかったわけやないよ。しょっちゅうむきよったらいつの間にか上手になるったい」。

ほんとうだった。
わたしはいつの間にこんな風に上手にりんごの皮がむけるようになったんだろう。

思いにふけっていたのは一瞬のことだったのに、
同じことを言ってあげようとおう、と顔をあげたら、三女はもうどこかへ行ってしまっていた。
自分でむいたぶかっこうなりんごを入れたお皿を持って。


















にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ








[PR]
by kyotachan | 2018-01-06 00:56 | お い し い | Comments(0)

f0136579_01312764.jpg

「きょうたちゃん、あんた、すぐにあやまってしまうけん、お父さんのしかりにくかーっていいよらしたよ」
母親にこう言われたのはわたしが中学生くらいの頃か。

何かにつけ、わたしがすぐにあやまってしまうから、父親がわたしのことを叱りにくい、
と父親が母親にぐちったらしい。

「え!なんね。じゃあ、あやまらんほうがよかとやろか」
わたしが言うと、
「母ちゃんはよかと思うけどね。すぐにあやまるほうが」。

というわけで、わたしは何かにつけてすぐにあやまる。
あやまる、という行為に対して抵抗がない。

あら、ごめんなさい。あ、どうもすみません。たいへんに申し訳ありません。
色んな場面で深く考えることをせず、ただただあやまってきた。

場所が日本からフランスに移ってもその習慣はずっと同じ。
わたしは簡単に「ごめんなさい、すみません」を口にしてしまう。

ただ、フランスに来てから気をつけていることはある。
まったくわたしのせいではない、という状況でひとりで興奮してそれがわたしのせいかのように罵声を飛ばすひとがいるのだ。
いわゆる、逆切れ?

これ、ことばがわからないうちは本当にやっかいだった。
あれ?わたし、何かしたわけ?とかん違いしてあやまってしまいたくなる。

だって、相手がなんでこんなに怒っているのか、わかんないもの!
習慣でつい、あやまってしまいたくなるの!

でもことばがわかってくると、あらまあ、なんなのこの人?
ひとりで興奮してひとりでどなってひとりで激昂してらっしゃるの?

なんだか知らないけど、わたしはにこやかにやり過ごすわよ。
しかし、ここまで怒りのエネルギーが爆発するってすごくね?
と冷静に相手を観察することになる。








フランス人日本人どちらにも、世の中にはわたしとは逆で、なかなかあやまらない人、という方もいらっしゃる。
わたしの友人にもいて「ったくもー、なんでひと言、あやまらんかなー」と思うことがまま、あった。

ただ、こういう人があやまるときには「お!あいつがあやまりよったぞ!」とひどく感激するのも事実。

思い返せばわたしの方は、何の考慮も哲学もはたまた信念のかけらもなく、
ただただ、そうしとけばよかっちゃろもん、の精神で簡単にあやまってきたなと思うことがある。

今になってみて、時々、自問してしまうのだ。
わたしはほんとうに、心からあやまっているのだろうか。
ただその場をとりつくろうための方便になっているのじゃないだろうか。









こんなことを考えているのはただいまフーフゲンカの真っ最中でして。
もう、簡単にあやまるのは、まっぴらだもんね、と思っているわけである。
わたしには謝罪する理由はないし、そんな気持ちはまったくわいてこないのだ。

いやあ、こんなときこそ、簡単にあやまっちゃうほうがいいんだよ~。
ココロの奥底から聞こえてくる声は今回はぜったいに聞こえないの!

















写真は五月後半のニースの海。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

今のビーチはもっと混み混み……。








[PR]
by kyotachan | 2017-07-25 01:54 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)









f0136579_2223630.jpg

我が家の長女さん、土曜日は毎年恒例のダンスコンクールで外泊。
日曜日の午後にようやく戻ったと思ったら花束を抱えていた。

母の日だって!

した三人からは朝からビズ攻めにあっており、
今日はそんな日だったなあとぼんやりとは思っていた。

十八のムスメから花束をもらう五十のお母さんになっていた。
いつの間にかわたしったら!












f0136579_2224728.jpg

一本一本、それぞれ違う。なんと、九本!>わたくしのラッキーナンバーです。










f0136579_223452.jpg

手の込んだ模様!




















ありがとうありがとうありがとう~。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

周りからは「母の日どうだった?」と聞かれます。浸透度高し。フランスの母の日。

[PR]
by kyotachan | 2016-05-30 22:14 | 六 人 家 族 | Comments(4)

vapeur ヴァパァ/ 湯気






f0136579_042651.jpg

わたしの母親は夕食の準備をするとき、
たとえば副菜を一品だけ、早い時間に、たとえば四時ごろに作っておく、
ということがよくあった。

それはひじきとこんにゃくの煮物だったり、
きんぴらごぼうだったりした。

その手の副菜をいれるお茶碗(というのか?)は、
忠えもんのもの、と決まっていた。

ウチの近所にあった小さな窯元・忠えもんさんの焼き物は(ウチのほうでは、陶器一般は焼き物、と呼ばれていた)
一見荒削りなのだけど、ほっこりと温かい作風で
値段も手ごろだったことから
母は一時、忠えもんさんに足繁く通っては色々と買ってきていた。

出来立ての、ひじきとこんにゃくの煮物が忠えもんの中でゆげを立てている。
このお茶碗はふたつきだったから、とても便利だったのだと思う。

四時、といえば、ちょうど小腹のすくころで、
わたしは、がまんできずにおはしを持ってきて勝手に食べてしまうことがあった。

最初はもちろん、ちょっとだけのつもりなのだけど
気がつくとわたしはたいてい、それを全部食べてしまっていた。

それを見た母はくすりと笑って
「なんねキョータちゃん。ひとりで食べてしもうたとね」
というくらいだった。

夕食のおかずに作ったものを早々に平らげられてしまって、
母は困らなかったのだろうか?









だいこんの皮とにんじんできんぴらを作った。
だいこんの皮の苦味にひとかけら入れた唐辛子がぴりりとからんでいい感じ。

こんな無駄のない料理をすると、
わたしってけっこうできる主婦じゃん?
と自分をほめてやりたくなる。

なにせ普段は無駄の多い主婦なだけに。


































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ




[PR]
by kyotachan | 2011-11-26 00:56 | 五 人 家 族 | Comments(5)

bébé ベベ/ 赤ちゃん


f0136579_2165421.jpg

わたしは小さいころ母によく、
あんたは恭太ちゃんが死んだから生まれたんよ
といわれた。

恭太ちゃん、というのはわたしより二年前に生まれた、両親にとっては三人目の子どもで、
未熟児だったために生後一日で死んでしまったのだった。

その頃のわたしは、「赤ちゃんは神さまがつれてくるものだ」と信じこまされていた。
年のころは幼稚園生か、小学校の一年生か。

「恭太兄ちゃんが死んだからわたしが生まれた」のであれば、
「神さまはどうやって恭太兄ちゃんが死んだのを知ったのだろうか」、
というのが当時のわたしの大いなる疑問だった。

なんでだろうなんでだろう、とずっと疑問だったのだが、
それは聞いてはいけないことのような気がして、どうしても聞くことができなかった。

ある日、母親が例のごとく「恭太ちゃんが…」と話をはじめたので、
思い切って聞いてみた。

恭太兄ちゃんが死んだけん、うちが生まれたとやろう?
でも赤ちゃんは神さまがつれてこらすとやろう?
じゃあどげんして神さまは恭太兄ちゃんが死んだってわからしたと?

一瞬、か、二瞬、くらいの間があり、
となりで聞いていた父親の、

お、キョータのむずかしかことばいいよるばい。

で一座は笑いに包まれ、それでおしまいになってしまった。

わたしは、ああ、やっぱりこれは聞いてはいけないことだったのだ、
と、父のいうところの「むずかしい」質問をしてしまった自分を恥じた。

思えばわたしが小さいころはたくさんの「タブー」があり、
わたしの両親はなんとかそれらをごまかして子どもに伝えていた。

確かにわたしは、そのようにしてうまくごまかされていたのだけれど、
あとになって真実を知ったときも、
やはりこれはごまかすしかなかったのだろうなと妙に納得もした。

わたしはどうだろうか。

少なくとも赤ちゃんの問題については、
わたしたち両親が愛し合い
その結果赤ちゃんがわたしのお腹に宿り
子どもたちはわたしの足の間から出てきたことになっている。

長女が、長男の出産に立ち会ったことも大きい。

愛し合う、がどういう行為なのかも、
おそらくこどもたちはあらゆるところで映像を目にしているはずだ。

正しい性教育を、などという高尚な気持ちからではなく、
神さまだのという単語を持ち出すのが面倒くさいから、というのが正直なところだ。

神さま、の話はわたしにはとてもむずかしい。































友人とビーチでピクニック。寿司になる具がなく、おにぎり。のり、うけたよ。ありがとう!
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

酢飯だったのでしょうゆも持参。こちらではおにぎりも「寿司」扱い。



[PR]
by kyotachan | 2011-08-29 21:49 | kyotachan 名前の由来 | Comments(13)





f0136579_23344422.jpg

小学校三年生のときのクラスメート、エミちゃんには、
ずいぶん年の離れたお姉ちゃんとものすごく小さな弟がひとりづついた。

おうちは車の修理やさんで、エミちゃん家に遊びに行くと
修理工のお兄さんがおんぼろの、
だけど今思えばおそろしいくらいかっちょいいオープン・カーでわたしの家まで送ってくれたものだった。

エミちゃんもわたしもお手紙を書くのが好きで、
教室の中で渡しあうのにあきて、実際に切手を貼って、送りあった。
毎日学校で会う友人に、わたしはどんな手紙を書いていたのだろう。

ある日エミちゃん家に遊びに行くと、
おいしそうなショートケーキを出してくれた。

エミちゃんのお姉さんはおそらく当時高校生くらいだったのだと思うのだが、
わたしたちにケーキを分けてくれながら、

「うち(わたし)?うちが食べるわけなかろーもん。太るやろが!」

と笑ったような怒ったような顔でいった。
わたしは心底びっくりした。

太るから、という理由でケーキを食べないんだって!
それはあまりにも新鮮で衝撃的なせりふだった。









小学校五年生のとき、クラシックバレエの教室に通っていたわたしを
母親がバレエ公演に連れて行ってくれたことがある。

東京まで二人で夜行の寝台列車に乗った。
母親と二人きりで旅行したのはそれがはじめてだった。
そしてそれが最後になってしまった。

わたしが小学校五年生というと二人の兄は高校生だ。
父親と兄たちを、母親はどう説得したのか。
おそらく一度だけ、娘に本場のバレエを見せてやりたいといってくれたのだったと思う。

いくらしたのかは覚えていないが
母親は高価なチケットを一枚だけ買った。

「終わるころにはここで待っちょるけん」

母親は大きな劇場の前でわたしにそういった。
どこで待っているのか不安に思ったわたしの気持ちを察したらしく、

「心配せんでよかよ。母ちゃんはちょっと行きたかところのあるけん」

そう付け加えた。

戻ってきて、どこにいっとったと、と聞いても
母はどこへ行っていたかはとうとうわたしに明かさなかった。

その日の夜は母の看護学校時代の友人の家に泊めてもらった。
食事は外で済ませてお邪魔し、お風呂だけをいただた記憶がある。

「せっかくだから写真を一枚撮ろうよ」

母だったか、母の友人のほうだったかが言い出し、
寄せてもらった座敷で写真を撮ろうというとき、
母の友人がお嬢さんに声をかけた。ほら、あんたも入りなさいよ、という感じに。
はたち前くらいだったと思う、そのお嬢さんが言った。

「やだよー!化粧もしてないのに」

このせりふもわたしにはとても新鮮で衝撃的だった。









わたしはわたしもいつかは、
太るからケーキは食べない、といってみたり、
お化粧してないから写真には写りたくない、という日が来るのだろうな
とこころのすみっこでなんとなく期待していたような気がする。

そんなせりふを言うのは、どこか大人の女の人のような気がしていた。

今頃になって、ふとこのふたつのせりふが頭によぎり、
ああ、わたしにはついに、どちらのせりふもいわないまま、この年になってしまったなあと思った。

わたしは大学に入学したときに、近所の化粧品やさんで、
「お化粧道具」一式をそろえてもらったのだが、
それだけで満足して、それを使う気にはならなかった。

それでも時期がくればわたしだって一人前に
お化粧したり、おしゃれをしたり、を楽しむに違いないと思ってもいた。

大学生だったか、もう就職したあとだったか、
母親の化粧品の買い物につきあったことがある。

そのときお店の人に何かを聞かれた母親が、
「ああ、うちの娘はねえ、ぜーんぜん、興味のなかごたっとですよねえ」
そんな風に答えたのを聞いて、ちょっと心外だった。

わたしはとっさにこころの中で言い返した。
いや、興味はあるのよ興味は。ただ、その時期がまだ来ていないだけ。

わたしはずっとそう思い続けていたのだが、
はたして母親の予言(?)はぴたりと当たり、
五十を意識するこの年になっても、
お化粧にもおしゃれにもとんと興味を持てないままだ。

服装は基本的に十代のころから T シャツ・G パン。
子どもが三つくらいになったころ、
ママ友が「最近またスカートはけるようになってうれしい」というのを聞いて、
あれ?そうなんだっけ?スカート、はくんだっけ?
とトンチンカンなことを思った。

わたしは子育てをしているからとしょうがなく T シャツ・G パンの格好をしているわけではなく、
子育て以前、結婚以前からずっと子育てに最適な格好をしていたのだと気づき、
なんだかおかしくなってひとりで笑った。
まさかそれが理由で四人もの子どもたちに恵まれたわけでもないだろうが。










二、三年前から、頭の分け目から飛び出す白髪が気になって仕方がなかった。

白髪染めをしてももって三週間。
三週間を過ぎるとまた染めなくてはならない。

いっそのこと、刈ってしまいたい。

家族に何度もその話題を向けても
そのたびに反対される。

わたしは自分の髪の毛がだんだん、汚れていて、不潔なものに思われて仕方がなかった。
きたならしいものを頭にのっけているようでとてもいやでしょうがなかった。

ひと月ほど前、とうとう夫が、
「ほんとうに本気なのね?」
といって、バリカンで刈ってくれた。

中学生のころ「四大巨頭会談」の代表にされたくらい、
巨頭には悩まされてきたのだが、
その大きく膨らんだわたしの頭に、わたしはついに対面した。

わたしは新聞紙に山盛りになった自分の髪の毛を見下ろし、
きたならしいものから開放されて、ただただうれしかった。

計算外だったのが、子どもたちの反応。

長女はわたしを見るなり、目に涙さえ浮かべていった。
「どうしてママ?なんでママ?そんなこと、どうやって思いついたの?」

そういわれても、わたしとしては髪型を変えたくらいの意識しかない。
どう答えろというのだろう。

三女は「ママ、頭にスカーフ、まいた?」
とわたしが頭にスカーフを巻くのを確認してからでないとこちらを向いてもくれない。

長男や次女も「t'es moche, maman ! テモッシュマモン/ ママ、みにくい!」とようしゃがない。

丸坊主になったママがよほどおそろしかったらしい。
まあそれもひと月ほどたって、ちょっと落ち着いてきた。










そして驚いたことに、髪の毛を刈ってからというもの、
頭皮からの発汗が増えた。

最初は髪の毛がないのだから、と石けんで頭をこすっていたのだが、
そうすると、中学だか高校だかに、男子生徒からただよってきた、
あの、汗くさ~い、ツン!とするにおいが、「自分から」してくるのだ。

そして、首の後ろに、あせもをたくさん作った。

わたしはもともとじゅうとくなほどの汗っかきではあるのだけど、
今までは頭髪によってそれを押さえ込んでいたのだろうか。

どういう理由からなのか、今まで以上に汗をかくので、一日に何度もシャワーを浴びてしまう。
髪の毛がないから、それもあまりに手間にならず、快適なんである。









刈りあがった髪の毛は、はたして、ほとんどが真っ白だ。
ああ。こんなにも白い髪の毛を、黒くしようとしていたんだなあ。
そう思ったら、申し訳なくなってきた。

髪の毛が白くなりたいといっているのだもの。
白いままにさせてやればいいだけの話じゃないか。

美しくいることよりも自分の快適さだけを重視して生きてきた。
食べたいものを食べ、気持ちのいい格好をしていればそれだけで満足だった。
それでもいつかはわたしももっとおしゃれに興味を持つはずと思って生きてきた。

刈りあがった、半白、というよりほとんど白い頭を見ながら、
いやあ、わたしはもう、このまま変わらないんだろうなあと思う。
































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ




[PR]
by kyotachan | 2011-07-14 01:52 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(14)




f0136579_2575764.jpg


耳の後ろもちゃんと洗った?

わたしは母親にこういわれた記憶がないのだが、
NHK でやっていたアメリカの番組「大草原の小さな家」の中で、
たらいにお湯をはって体を洗っているローラとメアリーのところに、
笑顔のすてきなお母さんがやって来て言うのだった。

耳の後ろもちゃんと洗った?

わたしの育った家では、テレビは夜の八時まで。
父親のいる時は、有無を言わさず父親にチャンネル権があり、
それは、正座まではしなくとも、少なくとも「集中して見る」ものだった。
家族でだらだらとテレビの前で過ごすことはありえなかった。

父親は NHK を好んだ。
単に「(父親にとっては)くだらない」コマーシャルがない、
という理由だったと思う。

そんな父親が好きだったのが「大草原の小さな家」だった。

素朴でまじめで勤勉なお父さん。
美しくてやさしいお母さん。
かわいい子どもたち。

生活はまずしいが充足した人生を送るこの一家が
父親は気に入っているらしかった。

父親のお墨付きで堂々と見れる番組はあまりなかったから、
わたしは嬉々として見た記憶がある。

その時もわたしたちは家族で見ていた。
わたしは母親に向かって聞いた。

なんで耳の後ろなの、と。

なんで耳の後ろのことだけをお母さんは確認したのか、
わたしには不思議だった。

なぜ足の間じゃなくて耳の後ろなのか。
よごれているだろう足の間のことだったらまだわかる。
わたしの母親は湯船の中でわたしの足の間にちょいと手の指を入れて、
ちゃんと洗ってあるか、確認したものだった。

しかし耳の後ろって、そんなによごれるものだろうか。
そしてそこをちゃんと洗ったかどうか、確認しなくちゃいけないのだろうか。

隣りで見ていた母親にたずねると母親は言った。

耳の後ろ、て自分では見えんけん、きれいになったかどうかわからんやろ。
そいけん、お母さんがちゃんと見てやらすとやろ。
そいに、耳の後ろのきれいになっとったら、まず他もちゃんと洗えとるってことやろう。

わたしはそれまで、そんなこと思ってもみなかったからびっくりした。
それでまた母親に聞いた。

でも、お母さん、いっぺんもそげんこと、言うたことなかよね。

ありゃ、そうじゃったかね。
キョータの耳の後ろはちゃんときれいになっとるよ。

母親はそんな風にいい、そのあとはつとめて
「耳の後ろは洗うたね」と言ったりもしたが、
それはわたしにはなんだか付け足しのように思えた。

ずっと、なぜ耳の後ろなのか、という思いは消えなかった。













f0136579_414378.jpg


この季節、日中は日当たりのいい子ども部屋へ PC を移動して、
PC はもちろんのこと、洗濯物をたたんだり本を読んだりするのも、
なるべくその暖かい部屋でするのだが、
夫が部屋に入ってきたかと思うといきなり、言った。

うわっ(ここだけ日本語の感嘆詞)、耳が、、、、まっくろ!

いつもこの調子でわたしをからかうのが常な人なので、

あら、そう?昨日もちゃんと綿棒でそうじしたんだけど、

とクールに対応したのだが、
わたしの耳がまっくろ、なのは本当だったらしく、
夫は綿棒を水で湿らせてきて、かいがいしくわたしの耳そうじを始めた。

その綿棒の動きからすると、
耳のまわり、つまり、
耳の穴ではなくて、外側が、まっくろ、らしい。

茶色に染まった綿棒を見て、
お互いにもう答えはわかっていた。

わたしはその三日ほど前に、
髪を自分で染めた(もちろん白髪染め)。
そしてそのあと、染料が落ち着くまではと
シャンプーをがまんしていたのだった。

普通はその日か翌日にはかゆくなってシャンプーするのだが、
今回はなぜか、もう一日がまんできそう、と三日もたっていた。

もちろん体の方は毎日シャワーで流しているのだけど、
頭をぬらしたくないために、耳を洗うことなど正直思いつきもしなかった。

自分の顔だって、鏡を使わなければ自分で見ることはできない。
しかし、顔は鏡をのぞけばそこに映ってくれる。
耳の後ろは、鏡をのぞいただけでは映らない。

そう、わたしはこの年になってはじめて、
耳のまわりは自分の目では見えないから、
鏡をのぞいてもそこに簡単には映ってはくれないから、
だから、たとえば白髪染めの染料が残っているのに気がつかなかったりするから、
というより、耳がまっくろでも人に言われるまでそんなことを夢にも思わない状態になるから、
それだから、なにがなくとも、たとえシャンプーはしなくとも、特に念入りに洗わなくてはならない、
耳の後ろだけは。ついでに耳の前とか横とかも。ということを実感として知ったのだ。

もしかしたらローラとメアリーのお母さんは、
娘たちの将来をすでに憂えて、言ったのではなかったか。

耳の後ろもちゃんと洗った?

たらいの中で体を洗うあなたたちには想像もつかないだろうけど、
あなたたちもいずれ、白髪染めをする日が来るわ。
それはね、耳の周りに張り付いて気づきにくいものなのよ。
だからね、今のうちから、耳の後ろだけはしっかりと洗う習慣をつけておくの。
そうすれば、まっくろな耳になったりはしないから。

ぞっとした。

耳のまっくろな、
中年のおばさんに会った、
数人の人たちを思いながら。

その三日間の間に、
わたしは何人もの人と接触しているのだ。

ああ、耳のまっくろなやつだと思われたな。
実際、まっくろだったのだからしょうがない。

なんて耳のきたないやつなんだ。
これだけ耳がくろいってことはどこもかしこもくろいんだろうな、
たとえばそれは体だけじゃなくて、腹の中とかも?
そんな風に思われてしまったような気がする。

耳の後ろだけは、しっかり洗わなくちゃ、とこころに決めた。


























すみませんすみませんすみません。耳のまっくろなやつでどうもすみません。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


キョータもついに「老い」と戦うごとなったばい。永遠のオリーブ少女のつもりやったばってんねえ。>え?

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2011-01-26 04:30 | 喜 怒 哀 楽






f0136579_21241572.jpg


母親がファンだったこともあって、
向田邦子は帰省するたびに読んでいた。

わたしも夢中になって読んだ記憶がある。
もう三十年近くも昔のことになってしまった。

Ginger さんからまた本が送られてきた。
向田邦子の随筆集が何冊か入っていた。

表紙に見覚えがあるし、
確かに読んだ記憶もあるのだが、
今回、初めて読む本のように新鮮な気持ちで読んだ。
はたして三十年前はどのくらい理解していたものやら、とも思った。

弟さんの向田保雄さんの書いた「姉貴の尻尾」も入っていた。
こちらは初めてで、読みながらおいおい泣いてしまった。

向田邦子の随筆集も、
何も泣かせる話ではないのに、
泣けて泣けて仕方がない。

台所の片隅でひとり、
ぐじゅぐじゅ言いながら読んでいる。

向田邦子と母親はおない年だった。

わたしは母親の生きた時代に
涙しているらしい。

日本が、もっとも日本らしい、
美しい時代だったのだなあなどと思う。

こういう言い方は嫌いなのに、
「昭和はよかったなあ」
と思っている自分がいる。

わたしの生きている時間はいつの間にか、
「昭和」より「平成」の方が長くなってしまった。

今年で、向田邦子が死んで三十年になる。
亡くなったニュースを聞いて、くやしそうにしていた母親の姿が見える。

わたしの母親は、十二年前の今日、亡くなった。

苦しんで苦しんでゆがんでしまっていた顔が、
ついにおだやかになった日でもあった。


























窓から見えたハトが、きょとん、としていてかわいくて。時々洗濯物を汚す犯人でもあります。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


長男と三女がお休み。ふたりで仲良く遊んでおります。ま、金曜日だしね。風邪の話題は今日でおしまい。>きっぱり。

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2011-01-21 22:05 | 五 人 家 族

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31