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主人公不在のバースデー。_f0136579_17160958.jpg

八月二十五日は長男の誕生日だった。
はたちになる。

最近の長男はたばこと大音量の音楽。
このふたつだけが生きる糧のようだ。

家族の評判はすこぶる悪く
臭いしうるさいし何を言っても馬耳東風だしわたしをはじめ女子組みはうんざり。

夫だけは根気よく長男の問題と向き合う姿勢をくずさずただただ頭が下がる。

理由のない不安に襲われているんだ。
自分で死んでしまわないために必死でたたかっているんだ。

という免罪符をつきつければ
どんな態度をとってもいいのか。

家族がどれだけ嫌な思いをしようとも
本人の行動を受け入れなければならないのか。

わたしには長男と同じ病気の診断を受けた友人がいる。
かつて彼女に「わたしは正しく扱ってもらわなかった」と言われたことがある。

相手が彼女の家族なのかわたしを含む友人なのかはわからない。
わたしは(言われた、といってもメールでのやりとりだったが)はたしてわたしは友人を正しく扱っただろうかと自問した。

そしておそらくは正しく扱うことなどしかっただろうと結論づけた。
統合失調症患者の正しい扱いをわたしは知らないのだもの。








長男のはたちの誕生日当日は何かとせわしない一日だった。

夕方、長女と次女がケーキを焼きはじめ、わたしはいつも通りのお祝いメニュー、刺し身を準備。
仕事だった長女のボーイフレンドも合流してさあ、みんなで食べようという時間。

長男は寝てしまっていた。
こうなるとどういう手段を使っても起こすことは無理。

仕方がないので長男の分を取り分けて食事を開始。

長女のボーイフレンドはしょうゆの辛さが苦手らしく「甘いしょうゆ」を使う。
その甘いしょうゆを切らしていて(というか彼しか使わないのだけど)
食事の直前に近所の店まで買いに出た長女とボーイフレンド。

早速白いごはんと鮭の切り身を口にした彼がひとこと。
「うっ!」

買ってきた甘いしょうゆのはずのビンには「テリヤキソース」。

「ああもう、だからわたし、ちゃんと確認しようとしたのよ!」

ここでまさかのフーフげんかぼっ発(フーフじゃないけど)。
「まあ。かわいらしいこと。テリヤキソースでけんかですか」。

やんわりとなだめて食事を再開するも、
ボーイフレンドにはしょうゆがないために進むはずのはし(ほんとうはフォーク)は
ちいとも進まず。ああもう、なんだかなあ、な夜になった。

そしてケーキ。
長男はまだ起きてこず、主人公不在のバースデーケーキ。
ケーキも生クリームも上々の出来でおいしい。

翌朝、冷蔵庫に入れておいた長男の分はすでに食べられていた。
夫が買った新しいろうそうくは使わずじまいになった。















いやなこと書いてごめんね。読んでくださってありがとう。
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すぐに忘れてしまうのでいまの気持ちを書いておきたかった。


長男を応援する気持ちに変わりはない。ただたばこは臭いし音楽はうるさすぎる。度が過ぎる。






by kyotachan | 2020-08-29 17:50 | 六 人 家 族 | Comments(0)

appartement meublé アパルトマン ムーブレ/ 家具つきアパート_f0136579_19301873.jpg

九月から大学生になる次女。
隣の県の大学に通うためアパートを借りることになった。

たまたま近所に住む友人のおじょうさんが去年から同じ大学に通っていることが発覚。
じゃあアパートをシェアすれば安価ですむね、という話がとんとんと進み、アパートの契約へ。

友人とおじょうさんも一緒に来るはずが都合がつかず
思いがけず家族六人でのお出かけとなった。超久々。

赤いドレスの人が大家さん。
備え付けの家具の使い方をひとつひとつていねいすぎるくらいに説明してくれた。

突き当たり、開いているドアの部屋が次女の部屋。

部屋はもうふたつあって、三つめの部屋は看護学校に通う学生さんに決まったらしい。
三人の中で次女はいちばん年下になる。











appartement meublé アパルトマン ムーブレ/ 家具つきアパート_f0136579_19303284.jpg

アパートは meublé ムーブレ と呼ばれるいわゆる「家具つきアパート」。

台所には冷蔵庫、洗皿機、オーブン、電子レンジ、ガス台にトースター。
お鍋、お皿、カップ類コップ類はもちろん、ふきんやエプロンもそろっている。

洗面所には洗濯機。
トイレにはトイレットペーパーにさまざまな洗剤。







appartement meublé アパルトマン ムーブレ/ 家具つきアパート_f0136579_20244312.jpg

テレビはもちろんあるし、そうじ機は上手に箱の中に収納されてあった。

いまのところ足りないのはアイロンとアイロン台。

このへんの「つき」具合はそれぞれのアパートによる。
ここはけっこういいレベルの家具つき具合。

一年後にアパートの解約をするとき、契約時と同じ状態で返すのが条件。
賃貸アパートというのはどこでもそういうものなのね。










appartement meublé アパルトマン ムーブレ/ 家具つきアパート_f0136579_19305493.jpg

バカンスで借りるアパートにはトイレットペーパーや洗剤はないところが多い。

このアパートは清潔だしベッド類の換えのシーツも準備してあるし
清掃関係の洗剤もたっぷりと予備を置いてあるしなかなかの親切さを感じる。

大家さんは車で十五分くらいのところに住んでいるらしく
「何かあったら電話してちょうだい。
ボーイフレンドと飛んでくるわ」だって。












appartement meublé アパルトマン ムーブレ/ 家具つきアパート_f0136579_19311197.jpg

わたしは十八で実家を出てからそれ以来ずっと
実家以外のところに住居をかまえていまにいたる。

次女もそうなるかもしれない。
この言いようのないさみしさは一体。

家にずっといてもらっては困る。
旅立ってもらわないと困る。

わかってはいるのだけど。

この日、全員がわたしの作ったマスクをつけていた。
あら。気をつかってくれたのかしら。

わたしの子どもにしたら上等上等。
何があってもどういう子どもでもいきつくのはいつもその思い。














Ain en Provence エクス・アン・プロヴァンス。気温三十五度なるもカラッとしていて気持ちがいい。大好きな街。
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家族六人でする外出てこれで最後かも、と思う一日ではあった。く。








by kyotachan | 2020-08-16 20:44 | 六 人 家 族 | Comments(6)

5454(ゴシゴシ)。


5454(ゴシゴシ)。_f0136579_23160461.jpg

五十四歳になった夜。

長女と次女はダンス教室のみんなで食事をするというので
じゃあ延期して土曜日に、と決めたはずが「アペロだけはしよう!」と。











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どんだけ好きやねん、アペロ!










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えーよー。
わたしも好きよアペロー。

この日はモヒート(うすめ)を一杯だけ。
どんだけかゆいのかわかってもらえる?笑











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五時からはじめて、長女・次女がレストランへ出かけるのが八時。
若い胃袋ってすばらしい。







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わたしの大好物のレモンタルト。

台も焼いてくれたらしい。
おいしかった(ほんとうは甘すぎた)。









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5454(ゴシゴシ)、色んなところをきれいにする一年にする。
















いままでが汚すぎただけ?ふつうに清潔な生活を送りたい。
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そうじそうじ。いやーもうね、ちょっとずつしかできない!








by kyotachan | 2020-07-30 23:58 | 六 人 家 族 | Comments(14)

年齢差とか。

年齢差とか。_f0136579_21143280.jpg

「まあまあ。お母さまと海ちゃんとの間には三十年以上の開きがあるわけですし。
もうちょっと大きなお気持ちで海ちゃんのことを包み込んであげたらいかがでしょう」。

日本にいたころ、長女がはじめて通う幼稚園の先生に言われたことばだ。

わたしは当時若い母親で、いや年齢的にはもう三十を越えていたから若くはなかったけれど
母親としてはまだ若くて、誰にでもそうとわかるように大きな初心者マークをつけていた。

毎日顔を合わす幼稚園の先生には遠慮なくその時の悩みを聞いてもらい
そのたびになだめられ、はげまされたりして何とか正気を保っていたように思う。

思い出すと恥ずかしいのだが、当時のわたしは長女と同じ土俵に立ち、同じレベルの力士として相撲をとっていた。
三十数年の年齢の開きがあることなど、指摘されるまでまったく気がつかなかった。

二歳かせいぜい三歳になったばかりの長女は口が達者で彼女が何かを言うたびに腹が立った。

長男はちょうど生まれたばかり。
ふたり目の赤ちゃんのなんともかわいらしいこと。

おっぱいを口に含ませるだけでいやされた。
ああ、このまま長男とどこかへ行ってしまいたい。

そう思った一瞬後にはくるりと首を長女に向けてどなりちらす。
毎日がそんな風に過ぎていた。

そうかあ!
わたしったら。
そうだよねえ。

虚をつかれたようになったわたしは一瞬で自分を恥じた。
わたしは目の前のこの小さな敵をどうにかして丸めこもうとやっきになっていたのだった。

最近また、この先生のことばをよく思い出す。
三十数年の開きというのは永遠に変わらないのだねえ、と当たり前のことを確認している。

同じ土俵で相撲を取ったところで自分より若い相手にかなうことなどないのだ。
そして長女はおそらく数年後にはこの家から出て行ってしまう。

腹の立つたびにそう思い出し、そうすると怒りがいつの間にかおさまってしまう。
そしていつものごとく思うのだ。

わたしの子どもにしたら上等上等。
ここまで成長したことに感謝しよう。















写真はズッキーニの花。天ぷらにするとおいしい。
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今週は長女の誕生日。








by kyotachan | 2020-06-21 21:22 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(2)

いいほうへ

いいほうへ_f0136579_23404438.jpg

あとひと月もすると十月だ。
風が診断名をもらってから一年になる計算だ。

うかうかしていたらあっちゅーまに九月になっていたように
知らぬ間にあれから一年がたとうとしている。

コメントをいただく方々から時々、風の様子を気にしてくださっているような
そんなニュアンスのあることばをいただくことがある。

大丈夫です、元気です。どうもありがとう。

依然として薬を服用しているせいか、家にいるときは寝ていることが多い。
友人たちと山だ海だと出かけることも多い。
夕食後に「(一杯アルコールを)飲んでくる」ということも増えた。

日本で言うと「飲む」と言えば、特に若い頃の「飲む」と言えば
安い酒を出す居酒屋チェーン店で、ビールだのサワーだの、なんだかわいわい飲んだくれる感じだけれども、
こちらの若者たちは、バーのような場所でフレーバーつきのビールとか、ノンアルコールのカクテルだのを一杯だけ飲むらしい。
まあほんとうは一杯だか二杯だかはわからないわけだけど。

八月の末に十九歳になったから、まあもう、そのへんはお好きにどうぞと放ってある。

日常生活においてはフツーの母親、フツーの息子の関係だもの、
そりゃーもー言わずもがな、腹の立つこと多々あり。

「風、今日こそはキミを殺すからね。今夜の食事は最後の晩餐だと思ってかみしめて食すように」
「オッケー。そうするよ」

笑顔でそう答える風に、ああ、なんかもう、すっかり回復してんじゃん?と思う。
もちろんそんなわけはないのだろうけど。

この単語はまずいんでは?こんなこと言っちゃったらよくないよね?
と自問自答するような日々はいつの間にか脱してしまっている。

幸いなことに自分の息子がなぜこんなことに、という犠牲者感はなく、
風はずっとわたしの息子でこれからもずっとわたしの息子であるということでしかない。

わたしはけして最高の母親にはなれないけれど、わたしは絶対的に風の母親である。
わたしは最高の母親を持ったわけではないけど、わたしの母親は絶対的にわたしの母親であったように。

宿業とかカルマとかいうことばを持ち出すととたんにうさんくさくなるけどそれでもあえて書いてみる。

いま、わたしがこれがわたしの宿業か?と思うところの宿業は
過去のわたしの「ことば、考え、行動」の結果だと知った。

わかりずらいかな。

わたしの宿業って、誰かがわたしに準備したものじゃなかった。
わたし自身がかつてわたしに準備していたものだった。

え、まじで?

そして、たった今、この瞬間のわたしの「ことば、考え、行動」が未来の宿業を因を作っていると知ったとき、
これからはけしてぐちらずに生きていこうと決めた。

未来のために今、できることがあるなら、やってみてもいいじゃん?

決めたはずなのにほんとうにけしてぐちらずに生きていくことは難しい。

ことばでぐちらないことはあるいは簡単なことなのだ。
こころの中でぐちってしまう。これをしないことは難しい。

わかりやすく言えば、わたしが夫に不満を抱くとき、
その不満をぐっとこらえて口に出さないことはできる。

でも、こころの中でもぐちらないでいること、これは、無理ッ!できないッ!

そんなこと、できないってばー、無理ってばー、と思いつつも。

でもぐちらないほうがいい未来に向かう、
自分に言い聞かせることは悪いことでもない。

風の未来にいい風がふくように。
うそうそ。いい人ぶりました。

自分の未来にいい風がたくさんふきますように。



















写真はビーチの物売りさん。帽子とかメガネとか敷物とか。
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まだまだこちらはあついよーあついよー、の毎日。あついよーというのはぐちかしら。ああ、あついあつい。








by kyotachan | 2019-09-05 16:09 | お い の り | Comments(2)

メリー・クルシミマス!



メリー・クルシミマス!_f0136579_21113381.jpg

今年も無事に六人がそろってクルシミマスを迎えることができそうな二十四日の朝。


今日はクリスマスに関しては毎年、主戦力になってくれている長女が一日中アルバイトで帰宅は夜の八時半。
それまでには準備万端、おいしい晩餐を用意しておかなくては。

テーブルセッティングとか、けっこうどうでもいいわたし。
色々と文句を言われないように気を張っていこう。

きょうたはもう、死んだのか?
何も書くことがなくなったのか?

と心配していただいてるだろう、画面の向こう側のあなた。

きょうたは今日も生きております。
書くことも満載で、何から書いていいのやら、迷っているところでございます。

年末からになるか新年になってしまうか、久々に「なげーやつ」、書きますよ。
読んでくれてほんとうにどうもありがとう。先に言っておきます。

あなたには、クルシミマスではなく、いいクリスマスが来ますように。

いやいや我が家だって今年はいいクリスマスになりますよ。
今年は我が家にはハジメテのクルシミが来た一年だったからね。

今日もこうして生きていることにこころからどうもありがとう。

追々、書いていきます。


















自分を奮い立たせるために書いたよ。
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by kyotachan | 2018-12-24 21:28 | 六 人 家 族 | Comments(2)

lundi ランディ/ 月曜日

lundi ランディ/ 月曜日_f0136579_21082586.jpg

夫は早朝、一週間の出張へ出かけた。

六時前にドアの閉まる音がし、
いってらっしゃいも言わなかったなとベッドの中で思う。

三女を起こすのに起きたら、次女はもう起きていた。
寝起きがいいのは長女と次女、わるいのは長男と三女。

長女と次女は夫に似て、長男と三女はわたしに似た。
半分半分でちょうどおあいこだ。

三女が最初に出て行き、次女がそれに続く。

長男のクラスはバカロレアに向けて復習授業が続いており
「自分でやったほうがいい」という長男は
授業には出たり出なかったりしている。

図書館にひんぱんに通ってはいるが、
自宅で勉強している姿はとんと見ない。

フランス語では「勉強する」は「働く」と同じ動詞、travailler トラヴァイエ を使う。
ちったー働けよ、と言いたいのをぐっとがまんして
ジロリとにらみつけるだけのしておいた。

今朝はめずらしく長男、八時すぎに起きてきて学校へ行った。
一時間ほどで戻ってきた。

長女は昨日、ボーイフレンドと一緒にウチでごはんを食べ、
そのまま映画へ。お泊り。

つかの間のひとりの時間、
昨日裁断しておいたワイドパンツを縫う。

ひとりの時間がいちばん好き。

と思えるのは家族のおかげだ。
と思うことにしよう。

















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by kyotachan | 2018-05-28 21:20 | 六 人 家 族 | Comments(4)

adorable アドハーブル/ かわいい_f0136579_00102058.jpg

ここのところの家族の様子など。

長女(六月でハタチ!)は大学二年生。
専攻はコミュニケーション。

学校のほうは早々と終わってしまい(こちらはそろそろ学年末)、
今週から二ヶ月、近所の劇場で研修。

わたしのハタチのころに比べると彼女はもうすっかり大人で
最近はなんだかわたしのほうが子どものように感じることがある。

夫やきょうだいたちも長女を頼っているなと思う場面多し。
わたしもけっこう頼りにしている。

長男(八月で十八歳)は今年はバカロレア。
数年前から勉強することからさっぱり遠ざかり
父親にどやされ、叱咤激励を受けるたびに
ますます勉強からは遠ざかってきた。

わたしはわたしの親がしてくれたように
勉強に関しては放任主義に徹してきた。

夫はそれを苦々しく思っているらしいが
ふたりでどやしてもどうなるものでもなかろう。

バカロレアが来月にせまった今ごろになって
どういう心境の変化か図書館通いがはじまった。

勉強、してるんだろうか。
わたしだって本音をいえばしっかりと勉学に励んでほしいとこころの底から願っている。

知識とか思考能力とか、目に見えないものこそが
ほんとうの自分を作ってくれるものなのだから。

次女(十二月に十六歳)は最近どきっとするほど長女に似てきた。
化粧をしているせいかな。
「この子、変わってる?」と思うことがあり、
長女に言わせると、わたしによく似ているらしい。

そう言われてみるとなんだか愛おしく思えたりして。
あんた、変わってるね、と次女に言い放つのが快感。

当人は「変わってるっていえばみーんな変わってる!」
とまったく意に介さない様子。

十六歳になるとちょっとしたアルバイトをしてもいい年齢になるので
今からあれこれと物色中らしい。

「ママ、ベビーシッターの仕事を探してる人、いない?」

と聞かれた。いや……知らんけど、でもあんたに預けたいと思う人、おるかいな。
というこころのつぶやきは黙っておいた。

三女(来週、十四歳)はわたしにとっては今も天使さの残る末っ子。
出かけるときのビズとハグも欠かせないのだけど、
そうこころがけているのはわたしだけのようで
最近はもうめちゃくちゃ面倒くさいんだけど?という態度をとられている。

頼むよーもうキミだけなんだからさー、さ、さ、ビズビズ、ハグハグ。
やわらかくていいにおいで、いつまでもさわっていたい。
三女の前では変態ママに変身してしまう。

いつの間にか、四人が四人ともわたしの背を追い越してしまい、
今ではわたしが家族でいちばんのちびになってしまった。

「ママ、縮んだ?」

と言われるのがショックで最近は背筋をのばすように努力している。

さらに四人が四人とも母親をからかってくることが増えた。
いまだにフランス語の発音ができない。
常識だってまったく身についていない。
わたし自身がそれでよしとしているからしょうがないのだけど。

自分でもおかしいのが、
そんな子どもたちがかわいくてかわいくてしょうがないこと。

ひとりひとり、どの子もほんとうにかわいい。愛おしい。

ひとりで道を歩いていて、
子どもたちのことを思ってひとりで笑ってしまうことがよくある。

そして子どもたちの未来をあまり心配していない。
わたしにしてやれることはいままでだってたいしてなかったし、
これからだってもっとないだろうなと思う。

子どもたちはもう子どもたちの人生を生きていて
わたしは子どもたちに助けを求められたときに
わたしにできることを精一杯してやるだけだ。

はたから見たらきっともっと心配しなくちゃいけないと
思われているかもしれない。

なんたってわたしの子どもたちだもの。
けっこう世間知らずけっこう常識なしけっこう……。

わたしのところに生まれてきた子どもたちだもの。
それがキミたちの運命ってやつなのさ。

最後に
むかーし、ゴキブリほいほいのコマーシャルだったか、
いや、なにかもっと別のコマーシャルだったか、
「亭主元気で留守がいい」
というのがあった。

夫を思うにつけ、あれはなかなかいいコピーだったなと思う。
愛してはいるんですけどね、ええええ。

















写真は去年の夏休み。家族でくだらなーいことで笑っている時間が好き。
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by kyotachan | 2018-04-18 00:33 | 六 人 家 族 | Comments(2)

athée アテ/ 無神論者

athée アテ/ 無神論者_f0136579_01460615.jpg

次女がコレージュ時代から仲良くしている友人ローズ。
リセは別々になってしまったけれど、今でもときどき会っている。

わたしは直接会ったことはないのだが、ふたりの遊びはもっぱら写真。
色んなところに出かけては二人で(自分たちの!)写真を撮っている。
というわけで、顔だけは写真でいやというほど拝見したことのある子だ。

次女と背丈は同じくらい。
次女よりもほんの少しぽっちゃりタイプ。
そしてにきびで悩む次女よりもさらににきびが多い。

ふたり並ぶと仲良しなのが一目瞭然。
もっている雰囲気が似ているのだ。










クリスマスが終わって、次女が今日はローズと会ってきたという。

「ローズは元気だった?クリスマスはとどこおりなく終わったって?」

子どもたちが友人たちと出かけた日には、なんとなく友人たちの様子を尋ねてみる、普通の会話だ。
そして次女の答えにわたしは心底、びっくりしてしまった。

Il n'y a pas de noël chez elle イルニアパドゥノエルシェゼッル/ あの子ん家にはノエルはないんだよ。

次女はそう言ったのだ。
 
ど ゆ こ と ???

わたしの育った家と同じってこと?
思わず聞いたのが、

「ユダヤ人なの?」

答えはノー。
わたしの周りのユダヤ人は、詳細な事柄はまったく知らないが、みなさん普通にクリスマスを祝っておられる。
だけど敬虔なユダヤ人はなんとなくお祝いしないようなイメージがあるのだよね。

「苗字は?」

グレゴワー。
こちらもイスラム系の名前とかではなく、一般的なフランス人らしい名前。
じゃあ一体、どういうわけでクリスマスをしないっつーの?

理由が知りたい理由が。

Ils sont athées イルソンアテ/ 無視論者だよ。

次女は涼しい顔をしてそういうが、いや、アテはアテでもクリスマスはクリスマスとしてさあ!

納得いかないわたしに今度は次女が、「じゃあ、ウチは仏教徒なんでしょう?なんでクリスマスするの?」ときた。

「それはクリスマスを宗教的な行事だと思ってないから。クリスマスは文化的な行事なの」。

そこで会話は終わってしまったのだが、わたしはやっぱり気になってしょうがない。
どういう理由で、というか、今のこの時代にフランスでクリスマスをしない、
というのはかなり強烈な決意というか決心というか信条というかポリシーというか、そんなものが必要ではない?

なんとなーく、やめとこっか、そうしよっか、て、そんな簡単な気持ちじゃあ、絶対にない。ないはず!

それに、そう決めたのは誰なの?
ローズのお父さん?それともお母さん?

お父さんの家にもクリスマスはなかったの?
それとも本人がそうしようと決めたの?

両親ともども、クリスマスのない家庭で育ったってこと?

ふたりが結婚をしたとき、そのヘンの葛藤というかいざこざというか、そんなものはなかったの?
親戚におよばれしたときにはどう対応するの?

今後、ローズが結婚したあとはどうするの?

うわーん、気になるーーー!!!
何もかもが、ものすごーく気になるーーー!!!

フランス人にとって、クリスマスは年間第一位に大切な行事、
そう信じ込んでいたわたしにとって、
クリスマスをしない家庭があることを知ったのは、そうとう衝撃的な出来事ではあった。

「で?ローズはぐちとかこぼさないの?クリスマスがないことに?」
「別に」。

これは、すばらしいと思うがどうか!
感動してしまうのだが、どうか!

















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by kyotachan | 2017-12-29 02:23 | 文 化 教 育 | Comments(2)

cadeaux de noël カドドゥノエル/ クリスマスプレゼント_f0136579_02145965.jpg

毎週水曜日は長女と次女がダンス教室で帰りが遅くて
そして夫の帰りも遅いことが多い。

食事の時間にはだからわたしと長男と三女の三人だけ、なことが多くなる。

そんな水曜日の夜の食事中に長男がぽつりと言った。
「クリスマスのプレゼント、ボクは何にもほしくない。かわりに、シャルロットに会いに行きたい」。

シャルロットは長男がコレージュに通っていたとき、一年間だけクラスメートだった子。
何度か、下校時間に見かけたことがあるのだけど、まっすぐの髪の毛がみごとなブロンドで肌もまーっ白のかわいい子だ。

両親が Lille リル 出身の人たちらしく、今はそちらに引っ越してしまった。

Lille リル といえばフランス最北端の街。

シャルロットにはバカンスのたびにコレージュのクラスメートだった子のところに一週間、二週間と滞在することがあるらしい。

そんなときには長男はまめに出かけてはシャルロットに会っている。

ただ、長男が言うには、

Je sors avec Charlotte, mais je sors pas avec elle.
「シャルロットと出かけることはあるけど、付き合っているわけではない」。

それでもスペインに旅行中に
「シャルロットにメールしたけど返信がない」
とさみしそうに言ったりするところを見ると、友情以上の感情があるようにも思える。

母の胸は、きゅーん、としてしまう。

わたしの時代には、というか、わたしの育った家では、この手の話題はタブーだった。
わたしは好きな子の話を両親にしたことはないし、両親も「どうなのよ、そこのところは」と聞いてくることはなかった。

ただ、バレンタインデーに粉まみれになりながらシュークリームを焼く、という経験をしたことはある。
昭和ひとけた生まれの親だって、それがどういうことなのかは察しがついていたはず。

そんな時でも母親は「誰にあげるの」とは聞いてこなかったし、
わたしも自分から「これはねえ、ダレダレくんにあげるとよ~」
と言ったこともなかった。

母親は粉だらけの台所に入ってきて、
「あら。シュークリーム?じゃあさ、お父さんにも作ってよ。お父さん、シュークリーム、好いとうしゃーけん」
と言ったりした。

自分自身が五十歳を過ぎて思うのは、
十代のころの、ひとりの人を思って胸がきゅーん!としめつけられた気持ちとか、
もう好きで好きで相手が死んでしまったらどうしよう!と思って泣いちゃうような気持ちって、
割と覚えているのだなあということ。

ということは、わたしが十代のころ、そんなわたしを見て、
当時の親は、昔の自分を思い出したりしていたかもしれない。

十代の頃は親とそんな気持ちを共有するなんて、思いつきもしなかった。
わたしはもっと、親と、色んなことを話せばよかったのかもしれない。










その夜、わたしは即座に長男の考えに賛成した。
「いいねえいいねえ、それはいいねえ」。

「シャルロットのご両親はキミが来ることに賛成なの?」
「ウン……」。

「じゃあ、パパには成績表と Lettre de motivation (履歴書に添付する動機理由を述べた書類)とリルへの交通費等々、ばしっと書類にして提出するように」

わたしはそう長男をはげまし、三女とも笑いあって食事を終えたのだけど、
問題は長男は学校の勉強にまるで熱心ではなく、成績表の結果にまるで無頓着なことだった。

父親はそれに熱心でなくはいられないし、無頓着になることもできないのだ。
ばかだねー長男。楽してほしいものだけ手に入れようとしてるだろ。

さてこのお話、どういう結末を迎えますやら。



















写真はこれまた五年前のクリスマス風景。
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この彼がプレゼントはいらない、という時が来るとは!








by kyotachan | 2017-12-23 05:13 | Comments(2)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族