ブログトップ

nice!nice!nice!

カテゴリ:kyotachan 名前の由来( 2 )

bébé ベベ/ 赤ちゃん


f0136579_2165421.jpg

わたしは小さいころ母によく、
あんたは恭太ちゃんが死んだから生まれたんよ
といわれた。

恭太ちゃん、というのはわたしより二年前に生まれた、両親にとっては三人目の子どもで、
未熟児だったために生後一日で死んでしまったのだった。

その頃のわたしは、「赤ちゃんは神さまがつれてくるものだ」と信じこまされていた。
年のころは幼稚園生か、小学校の一年生か。

「恭太兄ちゃんが死んだからわたしが生まれた」のであれば、
「神さまはどうやって恭太兄ちゃんが死んだのを知ったのだろうか」、
というのが当時のわたしの大いなる疑問だった。

なんでだろうなんでだろう、とずっと疑問だったのだが、
それは聞いてはいけないことのような気がして、どうしても聞くことができなかった。

ある日、母親が例のごとく「恭太ちゃんが…」と話をはじめたので、
思い切って聞いてみた。

恭太兄ちゃんが死んだけん、うちが生まれたとやろう?
でも赤ちゃんは神さまがつれてこらすとやろう?
じゃあどげんして神さまは恭太兄ちゃんが死んだってわからしたと?

一瞬、か、二瞬、くらいの間があり、
となりで聞いていた父親の、

お、キョータのむずかしかことばいいよるばい。

で一座は笑いに包まれ、それでおしまいになってしまった。

わたしは、ああ、やっぱりこれは聞いてはいけないことだったのだ、
と、父のいうところの「むずかしい」質問をしてしまった自分を恥じた。

思えばわたしが小さいころはたくさんの「タブー」があり、
わたしの両親はなんとかそれらをごまかして子どもに伝えていた。

確かにわたしは、そのようにしてうまくごまかされていたのだけれど、
あとになって真実を知ったときも、
やはりこれはごまかすしかなかったのだろうなと妙に納得もした。

わたしはどうだろうか。

少なくとも赤ちゃんの問題については、
わたしたち両親が愛し合い
その結果赤ちゃんがわたしのお腹に宿り
子どもたちはわたしの足の間から出てきたことになっている。

長女が、長男の出産に立ち会ったことも大きい。

愛し合う、がどういう行為なのかも、
おそらくこどもたちはあらゆるところで映像を目にしているはずだ。

正しい性教育を、などという高尚な気持ちからではなく、
神さまだのという単語を持ち出すのが面倒くさいから、というのが正直なところだ。

神さま、の話はわたしにはとてもむずかしい。































友人とビーチでピクニック。寿司になる具がなく、おにぎり。のり、うけたよ。ありがとう!
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

酢飯だったのでしょうゆも持参。こちらではおにぎりも「寿司」扱い。



[PR]
by kyotachan | 2011-08-29 21:49 | kyotachan 名前の由来 | Comments(13)

いぢわるなわけと名まえの理由


わたしの母親は、わたしを産む二年前、男の子を授かったのだが、未熟児だったため、翌日、亡くなってしまった。 すでに二人、男の子がいて、三人目の男の子だった。 

子どもに死なれる、という経験は、想像しただけでもぞっとするものだけれど、母は、

「そうねえ。 そりゃあ悲しかったさあ。 一年くらい経ったときにね、あれ、そういえば最近、泣いてないなあ、て気がついた。 そのくらい、泣いてばかりいたよ」。

日常的には、当時四歳、三歳という年子の男の子がいたのだ。 どんなに振り回されていたかは、よくわかる。 その中で、泣いていたのだ。

そして、涙がかれた後に、発覚した、四度目の妊娠。 母はここで、喜ばなかった。 迷った。 ああ、どうしよう。 産むべきか、産まざるべきか。  年齢も、三十七になっていた。

いま、今年四十一歳になるわたしが、この母親に自分を重ねてみて、決定的に違うな、と思うことは、わたしだったら、四度目の妊娠がわかった時、

「ああっ! あの子だっ! あの子がまたやってきてくれたっ!」

て一瞬にして、そう思っただろうな、ということ。 だって、普通、そう思わない? え、そんなこと思うの、わたしだけ? まあ、母親が、そう思わなかった、てことは確かだ。 だって、そんな風に思った、と聞かされていたら、忘れるはずがないもの。

f0136579_234077.jpg



話を少しさかのぼると、母と父は、職場結婚だ。 父はどちらかというと、からだが弱い方で、二十五歳の時、脳血栓で倒れて、脳の手術を受けている。 結婚前のことだ。 母は思った。

「この人は、長くない。 わたしはいずれ、未亡人となって生きていくことになるだろう。」

そう覚悟を決めて結婚した、という。 だから、母の父に対する 「愛情」 というか 「決意」 というか 「尊敬」 とうか、それをなんと呼べばいいのかわからないけど、それはそれは相当なものだった。 なんたって、

「あした、夫が死んでも、決して後悔しないよう、今日、最善を尽くしてあげよう。」

て、日々、最決心しながら、生きていたのだもの。 なかなかできない、でしょう。 子どもたちが父親の悪口を言い合っていても、「ねー、かあちゃんもそげん思うやろー」て同意を求められても、

「んー、あんたたちは、そう言うけどねー、ウチのお父さんはなかなか、いいところもあるんよー。 まじめで仕事一本やし、外に飲みに行くことさえしないし、間違ったことはだーい嫌いやしー。」

て、決して子どもたちに同意することはなかった。 子ども心ながら、りっぱだなーて思ったことをよく覚えている。

四度目の妊娠がわかった時に迷ったのは、

「二人の子どもを抱えて未亡人になるのと、三人抱えて未亡人になるのとでは、やはり、相当な違いがあるにちがいない。 ここは冷静に考えて、子どもは二人で止めておくほうが賢明だ。」

という理由からだったのだ。 だけど夫である父に相談もできない。 理由を聞かれたら何と言えばいいのだろう。 時間だけはどんどこ過ぎていく。

あーこれ以上ぐずぐずしてはいられないっ! 一人で始末してしまおうっ! 父には何も言わず、決心して、医者に行った。

「ああもう五ヶ月に入っていますねー。 これはもう手のつけようがないですよー。」

そう言われて、仕方なく産んだのが、わたし。 

という話を、母の生前、わたしは母親自身から、何度か聞かされている。 そうなのですよ。 わたしはね、約五ヶ月間、母親の胎内で、

「明日こそ、始末しよう。 明日こそ、おろしてしまおう。」

という、母親の呟きを聞きながら、育ったのですよ。 でね、これは、わたしの性格、つまりは、わたしの、「いぢわるな性格」を形成する、重要な原因を作ったに違いない、と確信するわけなのですよ。 

え、こじつけで、自分の性格のわるさを正当化しようとしている? んー、そうではないのよ。 正当化したいわけじゃない。 母親を責めたいわけでもない。 ただ、純粋に、わたしは、なぜ、「性格がわるいのか」を知りたいと思っているだけ。 やっぱり、行き着くところは、

胎内にいたときに、母親に拒絶された、というより、拒絶してしまおうとされた、時期があるからだ

もうちょっとだけ、つづきます ・・・
[PR]
by kyotachan | 2007-04-04 18:15 | kyotachan 名前の由来 | Comments(20)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31