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カテゴリ:非 日 常 事( 87 )

美容室へ。

美容室へ。_f0136579_03001758.jpg


新型コロナウィルスによる隔離生活中
美容室も閉鎖されていたため、わたしはバリカンで髪をそった。

正確にいうと自分ではできないので家族にそってもらった。

もう五ヶ月もたつというのに頭のてっぺん、つむじあたりは毛が立つほどに短い。
美容室でちょっと整えてもらいたいと思うのだが家族には「いま行ってどこを切る」と言われるし
自分でもそう思ってがまんしていた。

伸びかけのショートヘアというのは
短い分、しばることも叶わないしそれはそれでうっとおしいものだ。

アルバイトの帰り道、むかし通っていた美容室の前を通った。
当時やってもらっていたトニーさんの姿が見えて衝動的に店に入った。

むかしは予約は受け付けていなかったのだがいまは予約制になったのだという。
店の混雑をさけるための策なのだろう。

その日は予約がいっぱい。
でも翌日の同じ時間ならオッケーという。

翌日、久々の美容室。
前と違うのは常に、シャンプー中もカット中も、マスク着用が義務なこと。

シャンプー中「はずしていいですか」と問うと
「ゴム部分がぬれるのでゴムははずして、でもマスクは口の上においたままで」と。

カット中もずっとマスク着用。
耳周りをカットしてもらうときはゴムをはずしてマスクのはしを押さえつけておくようにと指示される。

こりゃあ必死だな。
お客さんとの距離を縮めざるをえない職業の人たちは。

いつものサービスと技術はきちんと提供してもっているのを感じつつ
毎日こうして新型コロナウィルスの拡散予防のために努力している人たちの真摯さを感じた。

つむじあたりの毛はあいかわらず立ったままだけれど
うなじ辺りはすっきりした。

がんばってくださいね、
ということばはこころの中でかけておいた。















写真は前記事と同じ日。黄色がすてき。一個50サンチーム。ピーマンは計り売りが主だと思う。めずらしい。
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足が写りこんでいる。








by kyotachan | 2020-10-15 03:04 | 非 日 常 事 | Comments(2)

マスク賛成?反対?

マスク賛成?反対?_f0136579_01060375.jpg

アルバイト先のお店にやってきたふたりづれ。
推定七十五歳の母親と推定三十歳の息子。

はじめての客だった。
ふたりとも小柄でおだやかな顔をしている。

注文が終わるとふたりで何やらフリーペーパーを(声を出して!)読みあっている。
仲良しなのが伝わってくる。

フリーペーパーとはニース市内の数箇所に設置されている無料の新聞。
人が配っていることもある。

注文をとって、お皿を運んだがすぐに食べる様子がない。
あれ?と思って見るとどうやらお祈りをしているらしい。
息子のほうが下を向いて何かを唱え、母親はだまって下を向く。

ぼそぼそと聞こえるお祈りの声に思わず
「なになになに?なんて言ってるの?」
とかけよって聞いてみたくなるがもちろんそんなことはしない。

お店で祈る人にはじめて会った。

ふたりの食事が終わりデザート・コーヒーも終わったところで、あたらしい客が入った。
注文をとろうとその客たちを遠目からうかがっていた。

結果的に最初の親子のテーブル近くにいることになった。
母親のほうがわたしを見て聞く。
「レストランで働く人ってマスクをしなくちゃいけないのかしら」。

わたしは仕事中、というか正確には接客中にはマスクをする。
隔離生活が終わってアルバイトを再開してからこちらはずっとだ。

店が立て込んでくるととたんに息苦しくなるが
こればかりははずすわけにはいかないと我慢してマスクをしている。

マスクもずっとしていると慣れるわねという友人もいるが
わたしの場合はちいともなれなくてちょっと客から離れるとついついはずしてしまう。

マスク賛成派か反対派かと言われたらどう答えればいいのやら。
義務化されてしょうがなくしてはいるがマスクに賛成かと聞かれたら答えに困る。

この親子、お店に入ってからずっとお互いにフリーペーパーを読みあっていた。
その状況からいうとどちらかというと情報には長けている人たちだと思う。

「マスクなしで通りを歩いている人をおまわりさんが呼び止めているのを見かけましたよ。
携帯していれば注意だけですむらしいですけどそうでなければ罰金135€ (17000円弱)だとか。
通りでさえそうならレストランの従業員もそうなのかなと思います」

わたしは通りいっぺんのことを言う。
こんなこと知っているに違いないが、ほかに言いようがない。

息子さんは税務署で働いているらしいのだがはやりマスクの着用は義務だという。
税務署はアルバイト先の近所にあるのだが毎朝長い列が建物の外までできている。
内側もおそらくはかなり密な状態なのだろう。

「税務署ですか。それはここよりも密でしょうから」。

突然母親がわたしをじっと見て言う。

「わたしは完全にマスク反対派なの」
「あら。そうなんですか」
「ええ、それはもう、完全に、反対」。
「……、まあ、マスクは何の役にも立たない、という意見はあるみたいですね」

わたしがそう答えたところで息子が言う。
「新型コロナウィルスが出始めたころはそう言われていましたよね。
それがいまやマスクが義務化された、てなんだか納得がいかなくて」。

親子ともども、政府の方針には反対であるというところなのだろう。
賛成、反対をはっきりさせられないわたしに比べれば自分の意見を持つという点でりっぱだ。

「あっ、でも新型コロナウィルスの患者数はずっとふえ続けていますよね」
「それもねえ。なんだか信用できなくて」
「え?」
「だってわたしのまわりにはそれほどいないもの」。

わたしの周りでいえば、三女の通うリセの先生がかかっていたとか。
先生はそれを自分の口からは言わずにうわさとして広まったからなんだか信用できない人と思われているとか。

友人の子どもの通う幼稚園で園児がかかって、その園児のクラスだけが閉鎖されたとか。

まあ、わたしの周りのことを思ってもそれほどまでには、いない。
しかし政府が虚偽の情報を流すメリットはないだろうし、ウィルスが蔓延しているのをうそだとも思えない。

会話はそこで打ち切ってわたしは仕事に戻る。








帰り道、次女を呼び出して食料品の買い物。
大学が二週間閉鎖するこことになってふたたび帰省している。

結局いまのところ大学には一週間通っただけだ。
マスクをつけているせいで友だちができないと嘆いている。

それに加えて慣れないカリキュラムにいつもばたばたしていて
友人作りの時間なんてとてもなかったと。

一週間大学へ通ってできたのはひとりの友人、女の子。
友人はひとりいればいいとは思うけどね。うん。

次女とレジに並んでいるときに仕事中に出会った親子の話をした。
次女はマスクはぜったいにするべきだと言う。

いまやどんなお店、公共機関に入るにもマスクは義務化されている。
通りを見ても最近は小さい子どもたちまでもマスク姿なのが珍しくなくなった。

買い物が終わって早速マスクをはずすわたし。
とにかく息苦しくて。

「わたし、通りを歩くときはマスクしないよ」。

次女が目をむいてわたしを見る。

「ママ、通りでこそマスクしなくちゃ。
どんな人が歩いているかわからないんだから」。

そうかあ。わたしよりしっかりしている。















写真は2018年6月。子どもたちが小さいときはよくがんばって作っていたなあエビフライ。50匹くらい揚げていた。
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あなたは賛成派?反対派?








by kyotachan | 2020-10-01 15:57 | 非 日 常 事 | Comments(5)

自己事故ジコ。

自己事故ジコ。_f0136579_22153141.jpg

今日のアルバイトの帰り道。

車道に二台の車がとまっている。

前の車が何を思ったかバックしようとする。
衝突するな、と思った瞬間、まさに衝突した。

軽い衝突音。

運転席には父親らしきムッシュー、助手席にはそのおじょうさんか。
「パパったらなにやってるの!」
と聞こえたような聞こえなかったような。

衝突された車の運転席には推定七十代くらいのマダム。
助手席にはそれよりも若いマダム。

あらあら、と言っているような顔が見える。

衝突したパパはすぐさま少し前進して駐車。
衝突されたほうもその後に駐車する。

フランスではこの程度の事故は両者の間で合意調書を作成して保険会社に送る。
よっぽど大きい事故でなければ警察や救急車の出番はない。

わたしはそこまで見てちょうど角にいたせいでそのまま角を曲がった。






わたしはニースでは一度、事故を起こしたことがある。
かれこれ五年ほど前になろうか。

子どもたちが通っていた丘の途中にある学校に
毎朝四人を乗せて登校、夕方四人を乗せて下校、という生活をしていた頃だ。

その学校は不便な場所にあるし遠方から来る子どもたちも多くて
ほとんどの子どもたちは親の送り迎えする車で登校してきていた。

学校へ到着するまでもくねくねと山道が続くが
校内に入ってからもくねくねとのぼりおりの激しい道が続く。

夕方、子どもたちを乗せて校内にいた。

朝、夕、校内は車だらけになるので数人の職員さんたちが車を先導してくれる。
わたしはその時、かなり急な坂の途中にいた。

そして反対方向からのぼってくる車がのぼりやすいようにと車をバックしたら「ゴツン」という音。
「やっちゃった」と思うと同時にわたしは車から降りた。

わたしがぶつけた車は小さなプジョー。
乗っていたのは着任したばかりの体育の先生だった。
神経質そうな顔をしたブロンドのマダム。

わたしの車はルノー・エスパス。
七人乗りのファミリーカー。

「なんでバックしたの?」
確か開口いちばん、こう言われた。

「前の車がのぼってきやすいように。確認せずにバックしてしまって」
そんなことを言った気がする。

幸い、車はどこも痛んでいなかった。

子どもの名前を聞かれ、クラス名を聞かれた。
なんだかこちらが逃げるとでも思っているみたいだなと思った。

念のために、と電話番号を聞かれて、それで終わった。

しかにウチに着く前にこの先生から電話があり
「カーラジオの調子がおかしい。事故の衝撃のせいだ」
という。あらら。

わたしにとっては幸いしたのはその場で合意調書を作成するはめにならなかったことだ。
こんなもの、読んでもちんぷんかんぷんだし、完全にお手上げだったはず。

翌朝、夫がつきそってくれて、先生と事故検分。
神経質そう、な印象だったがその朝の彼女は完全に戦闘モードに突入していた。

よく覚えているのは彼女が
j'ai la bonne foi ジェ ラ ボンヌ フォワ

と言い、夫が苦笑いしながら
vous voulez dire que nous avons la mauvaise foi ? ヴ ヴレ ディー ク ヌザヴォン ラ モーヴェーズ フォワ

言ったこと。
わたしは foi フォワ とは「信仰」だと思っていたから

「わたしはいい信心をしていいます」
「あなたはぼくたちが悪い信心をしているといいたいのですか」

という会話だったと思っていたのだが今辞書を見るとおそらくは

「わたしは誠実です」
「あなたはぼくたちが不誠実だといいたいのですか」

という会話だったらしい。くー!foi にそんな意味があったとは!
真意を知るのに数年かかってしまった。





わたしは悪いのはわたしの方であるのだし
修理代を請求されたらそれはそれで仕方のないことと思っていた。

話し合いは夫と先生の間でなされて、校内に設置されているビデオを借りるとかなんとか、
なんだかそのへんのことは被害者である先生がされるらしい。

被害者、つまりは金を受け取る側が動かないとならないという仕組み。
こちらは待つしかないらしく、それはそれはごくろうさまです、という感じでお別れした。

ひと月くらい後に何かしら請求書が届くのかしら
と思っていたらそれ以来、何の音沙汰もなし。

夫が想像するに保険会社が検証したはずだからその結果
カーラジオが損傷する事故ではないと結論づけたのではないかと。

まさか先生をつかまえて「どうなりました?カーラジオの件」
と聞いてみる勇気もなく、ほんとうにそのままになってしまっている。

朝夕の送り迎えだけだと、そしてたまに来る体育の先生だと
わざわざ連絡をいれて約束しないかぎり顔を合わせる機会はないのだ。

その先生はその年の三女の体育の先生だったのだが
「神経質そうな印象を受けるけど、授業はたのしい」
ということでわたしとの事故が尾を引いている様子もないのでなんだかほっとしたものだった。







ここまで書いたところで自己事故黒歴史を思い出した。

日本でもわたしは一度だけ事故を起こしている。
長女が生まれて長くペーパードライバーだったわたしが車を運転しはじめた頃。
乗っていたのは夫の日産ランドクルーザー。

信号待ちで停車したのだが白線を少し出てしまい、
気持ちが悪くてバックしたら後続車に追突、というおばかをやってしまった。

ぶつけてしまったのはトヨタエースだったか、ワゴン車だった。

この時、何を思ったか、こわくなって逃げようとしたわたし。
もちろん逃げきれるわけもなく、追いつかれてご用。

いま思い出したけどこの時もカーラジオの損傷とか言われた。
そしてこのときはほんとうに弁償した。

そんなことよりも「逃げた」自分がはずかしくて情けなくて。
おのれの不誠実さを思い知った事件ではあった。

だから今度事故を起こしたらけして逃げないで誠実に対応しようと決めていた。

それがニースで起こしたあの事故だったんだなあと今ごろ気づいているわけだが、
ただただ誠実に誠実にと対応したら何も弁償しないですんだ。

いやいやこれはたまたまのことでふたつの事故はまったく関係ないことだ。

いやほんとうにそうか?

これはたまたまなんかじゃなくて
わたしがほんとうに逃げないやつに成長したかテストしてもらった事故だった。

たまたまと思うか
たまたまなんかじゃないぞこれはと思うかは百パーセントわたしの自由。

ものごとを理解するのに数年かかる。
ということがよくあるなわたしには。ああ楽しい。












写真は2019年6月三女。学年末は仮装して登校する日があってその日の朝の風景。ウケル。
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何ごともすぐにはわからない。でもわかる日はきっと来る。未来のどこかにそれがあるというよろこび。


運転時にはバックはするな。バックしたら事故ると思え。これわたしの教訓。運転、いまはしていない。車がないから。






by kyotachan | 2020-09-18 01:08 | 非 日 常 事 | Comments(2)

過ぎ去った十六週間。

過ぎ去った十六週間。_f0136579_22381549.jpg


わたしのアルバイトは六月十六日に再開されるはずだった。
しかし客足がのびないから、という理由で延期された。

それがついに明日、七月七日(お、七夕だ)に再開されることになった。

三月十七日からおそよ十六週間、言いかえればほとんど四ヶ月。
季節は冬から春を通りこして夏・真っ盛り。

カレンダーは表分の半年を消費してしまい残るは裏面のみとなった。

子どもたちの反応がおもしろい。

「ママったらかわいそう」
「ママ、つらくない?」

え、何よ。けっこうよろこんでいるんだけど?

「またまたー、無理しなくていいよ」
「お裁縫にどっぶりつかってしあわせそうだったのにね」

いやいやほんとに、無理しているつもりはないんだけど。

四ヶ月の間に家族の間ではわたしはすっかりばあさん化してしまったらしい。
かわいいいぢわるばあさんになる、と言っていたのは若かりしころ。

かわいいはともかく、いぢわる、なのは健在だ。

先ほど、長女が自分の車を運転して友人とふたりで海へ行くという。

「駐車できないからって電話してこないでよ」
「……、っとにいぢわるー!」













写真は2016年、友人にもらったアップルパイ。きれいだな。
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ビーチ。かなり人が出ているみたい。夏だからなあ。


発疹、かゆみ、ともにほとんど治まりました。ご心配に感謝です。どうもありがとう~!






by kyotachan | 2020-07-06 22:47 | 非 日 常 事 | Comments(0)

三ヶ月の隔離生活まもなく終了。_f0136579_00241169.jpg


今週が終わればわたしの隔離生活も終わってしまう。
まるまる三ヶ月の隔離生活。

過ぎた時間はいつも短く感じるものだけれど、
この三ヶ月もやっぱり、あっちゅーま、に過ぎた。

ひと月前に隔離生活が解けて以来、夫はすぐに仕事場に復帰。
子どもたちも、ビーチで友だちと会う、山の方でピクニックをする、とあちこちに出かけている。

「ママって、出かけないよね?」

昨日、いまさらのように気がついたらしい次女が驚き顔で言う。

「別に用事ないし」
「それにしたって、あきないのっ?」

もともと、出るか出ないかでいえば出ないほうだ。

子どもたちが小さい子ころは「とにかく公園へ」という生活が何年も続いたから
その反動でいまは外に出なくても平気なのかもしれない。

三ヶ月間、退屈しないですんだのは「家で食べるしかない」という状況。
「何を食べるか」。隔離生活での全員の関心ごとはこれだったに違いない。

毎日、ああおいしかった、と思うものを食べたい。
三ヶ月間、常に頭にあったのはこれだった。

今日は宅配ピザにしよう!と決まった日のなんともうれしかったこと!

夫も子どもたちもみんな家にいて、それはなんだかとても安心できる環境ではあった。

一時は長女のボーイフレンド込みの七人。
一週間も一緒にいたおかげで彼の異物感は今ではほとんどなくなってしまった。

こんな風に家族全員が一緒に過ごすことなんて、この先もう二度とないことかもしれない。
そう思うと思いがけず貴重な時間をいただいたという気持ちになる。

思い切りお裁縫にも没頭できたし!
さあて。そろそろ早起きの練習でもしないとね。
















写真は自分の帽子を作る次女。いちおう形にはなりました。
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朝が弱いのはなかなか克服できない。惰眠が好きなのよね惰眠が。








by kyotachan | 2020-06-09 00:31 | 非 日 常 事 | Comments(6)

隔離生活解除前夜。=Déconfinement デコンフィヌモン=_f0136579_22142463.jpg

3月17日にはじまった隔離生活。
5月10日に一応、終了する。

7週間と5日間。およそ8週間の隔離生活。

明日からは外出のたびに許可証を持つ必要もなくなる。

子ども達は十日ほど前からそわそわし始めた。

長女は美容院に予約を入れたという。
長男もとにもかくにも散髪したいと待ちわびている。
次女は友人と会う約束を取り付けた。
三女はマクドナルド、いつになったら食べられる?と自問している。

リセの再開はいまのところ未定。
学年末なこともあってこのままバカンス突入、という見方が濃厚。

リセの先生をしている友人は
「一週間や二週間の授業を再開してコロナ感染のリスクを負うことはない」
という。

幼稚園、小学校は再開するらしいが登校はあくまで任意。
学校側はむしろ登校させないでくれ、という態度らしい。

長女にいたってはもともと週に一回の授業形態。
このままネットの授業だけで終業することが決まったらしい。

人との接触を避けたほうが賢明、という風潮はしばらく、というかこの先ずっと?続くのかもしれない。
この二ヶ月でフランス人たちの生活様式、生活態度は百八十度、ひっくり返ってしまった。

握手やビズの習慣はこのまま消滅してしまうのだろうか?
十年後、「そういえばあの頃までは無邪気にビズしあっていたわね」となつかしんだりするのだろうか。








フランスでも一人当たり二枚、マスクが無料配布される。
電話で予約をして指定された日に取りに行くというシステムだ。

我が家も六人分、十二枚のマスクの配給を受けた。

疑問がひとつ。

11日から公の場でのマスク着用が義務づけられるのだが
十歳以下の子どもは着用の義務はないらしい。

若い子どもたちほど感染のリスクは大きいだろうに、なぜ?
これって、小さいサイズのマスクを準備するのが面倒くさかったからじゃないの?

と性悪のわたしはかんぐってしまうわけなのだ。






おまけ。
隔離生活中、ずーーーーーっといいお天気が続いた。
それなのに!

昨日あたりからくもりがちになり、今日は午後から雨がぱらつきだした。
明日、隔離生活解除初日は一日中雨!

あわてて外にでるなよ。と天が言っているようではある。














今日はお祝いをしたい。隔離生活解除ばんざーい!>飲むことしか頭にない。
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といいつつ今後も公の場はなるべく避けるつもり。


写真はアンチーブのレストランに並べられたトマトたち。






by kyotachan | 2020-05-10 22:24 | 非 日 常 事 | Comments(6)

マスク、どの形にする?

マスク、どの形にする?_f0136579_00385229.jpg

ほんの八週間まえにはマスク姿はとてもめずらしく「お!」という風景だった。

そのマスクが義務化される。
んなことあるの?という出来事の連続な今日日、それこそ、んなことあるの?という感じである。

梨の木さんのお宅で見つけたフランス政府公認のマスク↓。
型紙も二種類紹介されていて親切なのは親切なんだけど。なんだかなー。











友人に「真ん中に縫い目のあるマスクはNG」と指摘されたのはほんとうだった。
そこでいまわたしが縫っているのがこのマスク(リンクはこちら→)。

古いTシャツが消費されてつけ心地もよくて気に入っている。
お望みならフィルターだっていれられますよ、というのがいい。

手縫いですぐにできるのもいい。

今日、早速ふるいカットソーで作ったマスクをしてお出かけ。

あついな!!!

涼しいであろうユニクロの生地はあいにく持ち合わせがない。
これ、夏まで着用が義務化されるとかなりの地獄だよ。

腹立たしいのは今までマスクのマの字にもなじみのなかったフランスが
ここへきてマスクの好ましい形どーの、縫い目がどーの、と『にわかに』言い出した印象のあること。

もちろんこの短期間で探求・研究・比較・実験をした上でのことなのだろうけどね。
















写真はにわか七人家族になった我が家。夕方にはアペロ。ほとんどアルコールゼロのモヒート。
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三女(16)もペロリと飲んでおりました。








by kyotachan | 2020-05-10 00:47 | 非 日 常 事 | Comments(2)

お買い物風景。

お買い物風景。_f0136579_18190474.jpg

午前中、次女とふたりで買い物。

わたしも次女もマスク着用。わたしは帽子もかぶった。
五月十一日に隔離生活がとかれると同時に公の場でのマスク着用が義務つけられる。
今日はその予行演習。

ドアを出たところでお隣さんと会う。
「これから銀行強盗へ行きます」
「あはは。顔が見えないから犬がこわがってますよ」。

これはうそ。この犬はわたしを見るなりいつも吠え立てる。

「ママ、よけいなことは言わなくていいから」。
次女からお小言を食らう。

外へ出ると想像以上に暑い。

並んでいる途中であまりに暑いのでカーディガンを脱いでTシャツ一枚になる。
わたしたちより一歩遅れて逆側からスーパーに到着したマダム(推定年齢七十五)。

これはゆずりありだなと頭をかすめる。
「わたしが先だったよ」みたいなことを言われそうな気がしたのだ。

その心配は無用だった。
このマダム、待つ間にずるずると前のほうへ前進して五人くらい前の人の脇に付けたのだ。

日本人のおばさん、とひとくくりにされて悪口を書かれるのはおもしろくない。
しかしあえて書くと、アラブのマミー(アラブ諸国出身のおばあさん)によくある態度ではある。

待つのが苦痛なのか?
どれほど急いでいるのか?
とにかくひとりでも抜くのが趣味なのか?

その人とお友だちになったら聞いてみたいと思う。
今のところお友だちになれていないので本当の理由はわからない。

先に並んでいた人たち、加えてわたしたちの後ろに並んだ人たちにもに文句を言われ、
わたしたちの前に入れてやろうと思っていたらわたしたちの前に並んでいたマダムが順番をゆずった。

それを見て思い出した。
数年前、このスーパーのレジで並んでいたら、アラブのパピー(アラブ諸国出身のおじいさん)が
わたしの少し前にぴたっとついてきた。

あら。嫌な予感がするが一応言う。
「ムッシュー、申し訳ないんですが、わたしはあなたの先にこの列に並んでいましたよ」

わたしの顔を見ようとしないこのムッシュー、正確な気持ちで呼ぶとこのじじい、
「いやいや、オレさまのほうが先に並んでいたよ」。

この手のいざこざはあちこちで見られる。
そして真剣勝負!といった言い争いに突入していることも少なくない。

わたしはこの時点ですっかりあきらめてしまう。
一分だか二分だか、先に用事を済ませるからといって何かの徳になるとも思わない。

という話を列で待つ間に次女にすると
次女のほうが烈火のごとく怒りをあらわにした。

そういえば、長男と一緒にこのスーパーのレジで待っているときにも同じ話をした。
長男も「ママ、今度から買いものはボクにまかせて。ボクにならそんなことしてくるやつはいないから」
といってちょっとびっくりするくらいの怒り方をしたのだった。

この日はわたしたちと同様、マスクの予行演習をと思ったのかどうかはわからないが
マスクを着用している人たちがほとんど。

そして一見して「手作り」とわかるマスクをしている人が目に付いた。
花柄のマスクをしている女性。あら。着ているワンピースとおそろい?
かわいらしい柄のマスクをしているムッシュー。奥様の手作りかしら?

牛乳やら水やらシリアルやら、一軒目のスーパーでは色々と足りないもの足りないものがあり、
いったん荷物を置いて、そのまま二件目のスーパーへ。こちらは並ぶことなく入れた。

そこでスーパーで知り合いのフランス人に遭遇。
彼もマスクをしている。

次女を入れて三人、みんながマスクというのはかなりこっけい(写真を撮ればよかった!)。
「ねえねえ、三人でさ、銀行強盗に行こうよ」。

次女は「また?」という顔。

乗りのいい彼は「いいねえ。そうしようそうしよう」。

彼も手作りマスクをしている。彼の奥さんは韓国人だ。

「あら。すてきなマスク。奥さまの手作り?」
「ああ、これね。これは甥っ子の手作りなの。千枚とか縫いまくってる」

そんな人がいるのだ。
わたしと次女のマスクを見て彼がひと言。

「真ん中に縫い目のあるマスクってNGらしいよ。縫い目からウィルスが浸入するとかって」。

あらま。なかなか厳しいご意見をちょうだいしてしまった。
じゃあ違うパターンのマスクにしなくちゃね。

この日の夜おそく、長女がボーイフレンドと一緒に帰宅。
日曜日まで我が家で隔離生活らしい。

一気ににぎやかになった我が家。
楽しんで過ごそう。
















というわけで長女が朝から作ったパンケーキ。大好評。
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by kyotachan | 2020-05-07 18:25 | 非 日 常 事 | Comments(5)

清潔?不潔?

清潔?不潔?_f0136579_00475301.jpg


わたしの記憶にある最初の風呂、といえばまきをくべるお風呂だった。
ヒノキではなくタイル張りの。

タイルはところどころ欠けていてそのタイルを洗面器に入れて遊んだ。

わたしは三歳、長兄九歳、次兄八歳。
誰がまきをくべてくれていたんだろう?

父親は仕事百パーセントで家のことは一切しない人だったから
母親しかいないと思うのだが、そうするとわたしは三歳でもう、ひとりで風呂にはいっていたのだろうか。

家族五人分の風呂をまきで、というのはかなりの重労働だったはずなのに
「一日の終わりにお風呂」は毎日の習慣だった。

そして、まきをくべるのはたいへんすぎる、という母親の訴えがあったのだろう。
いつからか、ガスが引かれて、お風呂はガスがわかしてくれるようになった。

そのお風呂にはシャワーがなかったから
髪の毛を洗うときには洗面器で風呂桶からお湯をさらって頭にかけた。

風邪をひいて「今日はお風呂はやめときなさい」と母親が言うときは
母親が蒸しタオルで足のあいだをふいてくれた。

正確にいうと、蒸しタオルを渡されて「ほら、こいでふかんね」と言われた。

わたしはわたしの育った家庭が特別清潔な家だと思ったことは一度もない。
一日の終わりにお風呂に入ることはきわめて当たり前のことだった。

フランスでの生活がはじまってきがつけば早十五年を過ぎた。
フランスに住み始めると日本人の生活様式って超清潔なのだということに気づかされる。

筆頭は家に玄関があり、上がりかまちがあるということ。
あれは日本の家の清潔さを象徴しているものだと思う。

フランスの家にはドアがあるばかりで玄関も上がりかまちもない。
靴を脱ぐ習慣がないから当然なのだけど。

フランスに来たばかりのころは下ふたりがまだ赤ちゃんだったこともあって
これにはかなりのストレスを感じた。

数年間はドアのわきにスリッパを入れたかごを用意して
来客たちには靴を脱ぐことを強制していた。

困るのが業者さんたち。
いかつい作業靴を脱いでくださいともいえない。

いや、もしかしたら、一度、「脱いでもらえますか」と頼んだことがあったかもしれない。
「作業中はぬいではいけないことになっている。足の安全を守るために」
と言われたのじゃなかったか。

そんな経験をして業者さんに関してはしょうがないとすぐにあきらめたのだが
業者さんたちの歩くところに一枚一枚新聞紙をしいた、という人の話を知っている。

うわっ。わたしにはできなかったけど、でもその気持ち、わかるー!と思った。
なんたって作業靴って普通の靴の百倍くらいはよごれているのだもの。

そして最初のころは「風呂につかりたい」欲求がものすごく強かった。
三十年以上続けてきた「一日の終わりにはお風呂」という習慣。

だから時々、せまいバスタブにお湯をはって入っていた。

さてそんな平均的な日本人女性が十五年以上フランスにいるとどうなるか。

これは隔離生活がはじまった、その日に感じたこと。
「わたしってけっこー、どうでもよくなっているんだな」。

明日から外へ出かけることができないとわかると
夜、寝る前にシャワーをあびる気にならないのだ。

清潔とか不潔とか、なんだかどうもいいことのように思えた。
時は三月でまだ寒い時期だったこともその思いの追い風になった。

一日、どうという不都合を感じることなく過ごしてしまうと、
「あれ?今日もシャワーとか、浴びる必要、なくなくない?」

そう、わたしは「一日のよごれをその日のうちに」という
ニッポンジンのすばらしい習慣をすっかり忘れ去っていたのだ。

フランス人の夫は日本にいるときには無類の風呂好きでもあって
わたしと同じようにその日のよごれはその日のうちに落とす人だった。

しかしフランスへ来てからというもの、早々にフランス人としての習慣を取り戻し
シャワーは基本的に朝でかける前に。気が向いたら夜に、というスタイルになっていた。

フランス人にとってシャワーとはその日のからだのよごれを落とすものではなく
一日のはじまりに「人々と接触する前に」からだを清潔にリセットするものなのだ。

同じベッドで寝るものとしてはどうしても許しがたいものがある。
だってさー、シーツとかさあ、よごれたからだで寝ると、当然、よごれるよね?

そう思うのだが、それをいってみたところで「キミ、ボクのどこがきたないっつーの」
と的外れな反論をされてけんかに発展するのは目に見えているから黙っている。

そんな生活が十年以上も続いているのだ。
なんだかここへきて、わたしのほうもぷっつん、糸が切れたみたいにどうでもよくなった。

そして三日、シャワーを浴びなかった。

四日め、の朝、もうどうにもこうにも我慢がならず、シャワーを浴びた。とりわけあっつーいやつ。

「うわ~~~!!!なんて気持ちがいいんだ~~~!!!」

一度経験して納得したらしいわたしはそれ以来、
一日の終わりにはシャワー、たいてい夕食の準備ができて、食べる前、に浴びることになった。

そうだよね。
風邪をひいたって、足の間だけは、清潔にしなくちゃいけなかったよね。
母の無言の教えをなんだかいまさらのようにかみしめた経験でもあった。
















んなわけで、まあ、適当に清潔にしております。
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写真は枝豆。冷凍。解凍して食べます。








by kyotachan | 2020-05-03 00:56 | 非 日 常 事 | Comments(6)

マスクとかオイルとか。

マスクとかオイルとか。_f0136579_00240671.jpg

マスクの苦手なわたしがまさかマスクを作ることになろうとは。
いやはや何があるかわからないのが人生。

はじめてのマスクは「たぶんすずしいかも」という期待のもと表は麻、裏は綿。
色んなところで作り方を教えてくださっている。
今回参考にさせていただいたのはこちら↓。









端切れにはこと欠かないからマスクを縫うのはいいのだけど
ゴムがない。子どもたちの使うヘアゴムの長いのがあったはずなのに見つからない。

Tシャツを裂くか。ストッキングで代用するか。

マスクとは関係ないのだけど
今朝、夫にお願いして頭を丸坊主にした。

5月11日には美容院も営業をはじめるそう。
……とても待てない。

おそらくは最初のころはこころまちにしている人たちでごった返すだろうし。

今日は頭を刈り上げてすっきりし、人生の初のマスクを縫った日だった。
わたしの頭、どうなったか見たいでしょう?

申し訳ないが老婆の坊主頭をお見せする勇気はないのです。
ほんの九年前に坊主頭にしたときのものでよければこちら↓。








九年前にすでに老いを語っている。
あれから九年。当然さらに老いた。オイルオレ。
















坊主頭でも白い部分は白いのよ。だからとーってもヘン。もともとヘンだからいいんだけど!
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ほんとうに最近おしてくれる人が増えた!めんどうでしょ。ありがとね。








by kyotachan | 2020-05-01 00:40 | 非 日 常 事 | Comments(2)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族