2008年 06月 15日
bon fête papa ボン フェット パパ/ 父の日おめでとう
今日は父の日
わたしはわたしの父親とは
「親子の断絶状態」
が長く続いた
気がついたとき
それは中学生くらいだったと思うけど
その頃にはほとんど
父親とは口をきいていなかった
どうしてだろう?
去年はこんな光景が浮かんできた
今年はこんな光景が・・・
小学校二年生くらいの時だったと思う
わたしは食事が終わっても食卓に残り
テレビを見ていた
なにを見ていたのかは忘れてしまった
家にゆっくりしていることの珍しい父親が
その日は家にいて
なんとなくそばにいたい
という気がしていなかったわけでもなかった
ような気がする
そんな父親が食卓で書き物をしており
台所で片づけをしていた母親に叫んだ
ち!と舌打ちをして
わたしのことを指差しながら
なんねこの子は!
さっきからテレビばっかり見とってから!
全然なっとらんじゃなかね!
ショックだったのは
父親がわたしに向かって言ったのではなく
母親に向かってわたしことをしかりつけたことだった
お父さんはわたしのことを
どうしてお母さんに向かって怒るの?
わたしはここにいるよ
お父さんの隣にいるんだよ!
そういうやりきれない気持ちが
わだかまりのように残った
わたしはわたしがりっぱな教育者ではないように
わたしの父親だってそうではなかった
わたしたちは
子どもを育てることを誰に教えられたわけでもなく
単に恵まれて
子どもを育てる親となる
自分がこう言えば子どもがどのように傷つくのか
そんなことを瞬間瞬間熟考して子どもに接しているわけではない
静かな時間を過ごしたいときに
子どもが騒げば
それだけで
叱り付ける理由があるのだ親側には
あ~あ
こんな風に言ったら子どもがかわいそうだよ
こころの片隅でそう認めていながら
こどもに向かって理不尽なことを叫び散らすのは
日常茶飯事だ
だから
わたしは父親を責めるつもりは毛頭ない
ただわたしの父親への気持ちが
そういった毎日のちょっとした出来事の積み重ねで
離れていったのは事実
僕とムスメとは仲のわるかっとですよね
父親はこういう言い方をよくしていた
母親がガンに倒れ自宅療養をしているとき
あるいは
母親がついに亡くなり
わたしと父親がふたりで客人を迎えるときなどにだ
わたしは三十を過ぎていて
今さら親子の断絶もなかったし
妻に先立たれた父親を
いたわる気持ちだって芽生えてきていたはずなのに
そう言われると
出鼻をくじかれたような気になったものだった
父親にしてみれば
いーよいーよ今さらやさしくしてくれなくても
というひねた感情があったのかもしれない
晩年はそばにもいてやれず
ほんとうに何もしてやれなかった
母親が死んでちょうど五年後に
父親が死んだときには
正直言って
ああ やっとお母さんに呼んでもらったね
とほっとした
わたしは最後まで
いいムスメではなかった
おとうさん
だいすきなおとうさんにうたをうたってあげる
おとうさんはうたがじょうず
おとうさんはしあわせなひと
おとうさんはやさしいひと
こころのそこからだーいすきおとうさん
<次女のクラス創作詩>
おとうさん
父の日おめでとう
そう、親だって、完璧には程遠い、迷える人間なんです。
親になって初めて分かる、親の気持ち。
子供を育てながら、日々、反省そして、成長をしなくちゃと
思うダメハハな私です。
そう思った。親を亡くして自分の子供がいる、どちらもまだ私は
その立場にないからそんな先輩のkyotachanの言葉がぎゅーっと
くるよ。。。。
うちは早くから離れて暮らしてたから良かったのかも。
亡くなってから父の大きさがわかったかな、私。
うちの主人も不器用でストレ-トだから、娘達との衝突は多いけど
心底は心配してるんだよ。
見せないけどね。キョ-タさんのお父さんもそうだったのかな~
私のことを「失敗作」って言ったね。
いろいろ、、、あるよね。
でもきっとお父さん、わかってくれてるね。
親子だもん。
今はお母さんと二人でKyotachanのこと見守ってるよ。
絶対!!!
わたしも十八の時から家を出てるんだけどねー父親ってなんつーかどうしようもなく家長だったんだよねー母親への思いやりが全く見られなくて離れて暮らすようになってからはよく手紙を書いてたの「お母さんにやさしくしてね」って・・・母親にそんな手紙書かなくていいよーお父さんよく思ってないみたいだしーとか言われたんだけど ある意味暴君的存在だったのよねー母はよく耐えたなーと思う母が先に死んだときもなーんだか母親があっかんべーしてるみたいだなーとかって思っちゃった あ!不謹慎だねー