2007年 03月 26日
感応
友人が時々、「母の宅急便」を送ってくれる。 母のいないわたしのために。 うめぼし、のり、ひじき、マルタイラーメン、ふりかけ・・・。 どれもこれも、ニースでは超高級品。 こどもの漢字ドリル、なんてものも入っている。 これは入手不可能。 これらが届くことはすごくうれしい。
でも、一番うれしいのは、これ。 本。 友人は読み終わった本を、気前よく、がんがん詰めて送ってくれるのだ。
大学生の時、詩人の谷川俊太郎の本に出会って、
「ああ、わたしはもう、詩人にはなれないなあ。」
と思った。 彼の詩には、わたしが言いたいことがすべて書いてある。 まるでわたしの心の中をのぞかれたみたいだった。 その詩を、書くことはできない。 だけど、読んだ途端、ああ、これだよ! わたしが言いたかったのは! とひざをたたく思いがする。
宮本輝を読むと、同じことを思う。
「ああ、わたしはもう、作家にはなれないなあ」。
宮本輝はわたしが言いたかったことを、もっと上手に、もっと感動的に、もっとわかりやすく、書いてくれる。
「あれぇ、それ、それをね、言いたかったんですよー え、えぇー 言われちゃったなあー まいったなあー しかしうますぎるよー やられたなぁ。」
宮本輝を読むと、それの連続だ。 どの本も大好き。 この「命の器」というエッセー集の中に、「“感応”ということ」という、ほんの一ページほどの文章がある。 わたしはこの、「感応」、ということばが、大好きだ。 いま一度読み返してみたら、それは「仏法用語」であるという。 むむむむむ、そ、そうか。 そうだったのか。 これは、なんだか、ますますいい感じだなあ。
感応すること、あるでしょう? あ、この人とは合いそうだな。 親しくなる前になんとなくわかってしまう時。 歩いていて、なんとなく目が合い、挨拶してしまう時。 なーんとなくいい感じがするんだけどなー、ていうその気持ちに、ちゃーんと、名前が、あったのだよ。 感応。 って。
この人はねー、祈っている、としか思えないんだけど、いかがなもんでしょうか。 誰か教えてください。
私も 文を書くのが好きだったけど 作家には なれないなぁと 感じたことあります。自分の 気持ちを 相手に共感してもらえる文を綴るって 気持ちいいだろうな。
大学生の時 友人に 「あー 谷川俊太郎 ? 誰でも通る道よねー わたしは 中学校の時 夢中になったわー」 と言われ え わたし 遅れてる て こと ? て 目を点にしたこと あります
共感 て 感動 を 呼ぶ のですよねー
そうですね~。
よくは知らないけど、私も祈っていると感じるよ。
宮本輝は、「錦繍」を読んでから 大好きになりました。
その後、関西出身だと聞いて(遅いっ!笑)、ほほ~と。
でも 私が関西出身だから 好きなんだと思っている友人もいる。
ちがうんだよ。チミ~。ってね。
出身地なんて関係なく、宮本輝の”気持ち”が好きなんだよお。
作家さんの”気持ち”なんて 本当は分からないはずだけど、
文章に流れている優しさとか温かさ、とか。
読み終わった後に 絶対、落ち込まないところも好き。