2020年 09月 09日
遠いところにあるとき、近いところにあるとき(LBGTQ)。
『我が子に「ニセ乳」を作ったというエピソードが載った新聞記事に着想を得た荻上直子監督が、母親に取材をしたのが映画制作のきっかけである』
それにしても驚く事って次々にわき出てきますね。
コメントしずら~い記事にコメントありがとうございます。
さなえさんのブログを読むとわたしってまだまだひよっこだったということを思い出させてくれます。元気がでる~。
驚くこと。いちばん驚くのは自分のことを田中美佐子側だと信じていたことです。問題が遠くにあるときにはわたしはものすごく寛大でものわかりがよい。近くにくるととたんに偏見に満ちた自分を思い知らされる。がくっ。オレってこんなんだったんだ!驚きです。
でもここからがはじまり。LBGTQ なんて名前がつく前からその悩みを抱えていた人たちはニンゲンが存在してからこちら、ずっといたはずですよね。どんなにつらかっただろうと思う。わたしはその人たちを認めることはできる。ただ慣れてないだけ。慣れる。慣れてやるー。一緒にふつうに生きていきたい。
もうなんだかわからない世界だから、どう理解していいのかさえも分からずずっと佇んだまま来てしまっていて。
そうそう、別の話だけど私も
人種差別とか絶対ないと思っていたのに、韓国にいるときに通った語学教室でベトナムの人と一緒になったとき、あ、自分はすごい差別の心がある、と気づいたことがあります。。。自分にショックでした。でもそのあとベトナムに旅行に行ったら、その気持ちは払しょくされて、人も文化も大好きになったのだけど。。。
人生って本当に不思議だよねえ。
わたしもいつかは心から納得したいと思いつつ、まだ府に落としきれてないです。この気持ちをどうしたらいいんだろうね。。
実際に自分がどう反応するのか全く想像がつかないです。
島国で育っているし、昭和の人だからなぁ。
社会人になって、会社の先輩にゲイバーに連れて行ってもらったことがあるのを思い出しました。
入り口はオドオドしましたが、席についてくれた方と話していて、男性とか女性とかあまり感じない印象の良い方だったのは覚えています。外見はとても格好いい男性でしたが、女性に興味がないのもあり、すぐ打ち解けて話したと記憶しています。
映画の予告を見て、本編が見たくなりました。
今週末日本で封切られる「窮鼠はチーズの夢を見る」も気になってます。
本当に正直すぎる人ですね、kyotachanって。
こういう風に心の内面を書いて表に出すことで、少しは整理できたのでしょうか。
映画は他人ごとだから見終えたら切り替えは出来るけれど、目の前の現実は簡単に切り替えは出来ないですよね。
子供たちの個性を尊重して受け入れるしかないと頭では思っていても、そう簡単なことではないですよね。
しかも、自分は理解している方だと思っていたでしょうから、ことさらだと思います。
長い時間で見れば、子供たちはそれぞれ巣立っていくのですから、巣立っていった時点で親の責任はほぼ終わり、自分で考えて無事に暮らしていってくれと、割り切るのが理想かもしれません。
とはいっても、そう簡単ではないし時間がかかるでしょうが、ファイト!です。
いつも共感のコメントをいただく気がする。ものすごく励まされます。どうもありがとう。
ここのところ、この出来事がなかったらわたしは自分のごう慢さに気づかなかっただろうな、と思うことばかり。長男の病気しかり、友人たちの姿しかり。
人種差別なんてわたしがするわけない!と思い込んでいるけど、ほんとうはものすごく蔑視していたりしてね。うわー、わたし、なに?てびっくりしたりして。
もっともっと色んな人たちに出会うことが必要なのかもしれない。もっともと色んな人たちに慣れていくことが必要なのかもしれない。いやあほんとほんと、色々、話してみたいです。
面白かった、といわれてめちゃくちゃうれしい。ちぐまさんて、わたしの中ではハイレベルな読書オリーブ少女なんですよねー。インスタで見かけた本がわたしには難解レベルだったので。そして雑誌のオリーブも愛読しているような。あはは、勝手にすみません。
あ、そうでしょう?自分は田中美佐子だと思うでしょう?この映画の中ではこの母親の葛藤しただろう時期が気持ちいいくらいに割愛されているんです。息子に生まれた子どもが娘だったとわかったとしてそれを簡単に受け入れる母親なんていないと思うんです。楽しそうにブラジャー買ってくるかい!てつっこんでしまいました。この映画、おすすめですよー。機会があったら見てくださいね。
ゲイバー。わたしも新宿二丁目の一軒に連れて行ってもらったことがあります。はげたおっさんがそのお店のママでした。完全に女性なんだなと思ったことを覚えています。何人か働いていた人たち、みんなほんとうに気持ちのいい人たちばかりで居心地がよかったなあ。でもわたしにとてはゲイバーの体験はまったく別物。
この映画、おすすめです。生田斗真ってきれいな顔した男の子っていうイメージだったけどこれを見て評価がめちゃくちゃ上がりました。いい役者さんなんだなあって。かもめ食堂と同じ監督さんです。流れている空気がいいんです。
小学生のころ母親に「正直正直って正直すぎたら社会で生きていかれん」と言われたことがあります。五年生のときに担任の先生への作文をクラスの代表で書くことになったんですが「いつも頭にふけがあって鼻の横に黒いラインを入れています」と書いたんです。おかげでこの先生にはにらまれて「きょうたさんは性格が悪いのでクラスのみんなで無視することにしました」と母親のところに電話があったそうで。母親は「あほらし」とわたしには黙っていて聞かされたのが大学生になってから。人生おもしろいことが色々とあります。
おっしゃるとおり、わたしは自分の気持ちを文字にするとすっきりするみたいなんです。それを読んでもらってコメントまでもらえるとはここはわたしにとってはセラピーの場所のようなものです。
巣立つ子どもたち。うわー。待ち遠しいような待ち遠しくないような。ファイトですね。ありがとうございます。
東京大学の池谷祐二先生。監修された絵本を取り寄せたくらい大好きな先生です。この先生が常識は好き嫌いのこと、と明言されています。これを読んだときの胸のつかえがとれたような気持ち。下にリンクを貼っておきます。よかったら一読ください。
https://www.1101.com/n/s/rethink_ikegaya
これってわたしの常識外。
かなり非常識なことだ。
つまりわたしの気には入らない。
文中でしつこいくらいに書いたのも常識とはわたしの好き嫌いのことだという考えがあってのことです。二十代のころ自分には常識がないと悩み続けた自分を思い出します。いい思い出です。
>>>日本は同質化といったことを求める空気のとても強い社会>>>
女のこころを持って生まれたのに男のからだをしている自分を想像してみてください。苦しくて悲しくて死んでしまいたくなると思いませんか。この苦しみに同苦する社会。理解しようと努力する社会を作っていかないとと思います。
あたし!あたし!あたしが読んでますよ。笑
私も自分は田中美佐子側だと思っている。
そして、きっと、世の中の人の多くは田中美佐子側と思いつつ、そうじゃないのかも知れないとkyotachanの文章を読んで思いました。映画見たくなりました。
どうもありがとうございます。こころつよいー!
kotokotoさんはブログを作ってすぐくらいからずっとこうしてコメントをいただいてますよね。同年代の子どもがいる共通点でものすごく励まされたり共感してもらったり。ワインでも持ってお礼にうかがいたいくらい。
田中美佐子だと思うでしょやっぱり。でも家の中にほんとうに生田斗真がいたら「オトコじゃん!」て思ってしまったんですよねー。自分のこころの偏狭さを思い知らされました。この記事を書いてから同じ映画をもう一度見直しました。一度目には気づかないことに気づけたりして二度目も楽しかった。これおすすめですよ。ぜひぜひ。