誕生後一日目、風が熱を出した。
母子手帳の記録によると、午後から機嫌が悪くなって夜に三十九度の熱。
すぐにトミシゲさんに電話。
飛んできてくれて、救急隊員さんを呼んでくれた。
わたしたちは部屋から出されてトミシゲさんと救急隊員さん、ふたりで何かを検査していた。
後で聞くとかかとから採血して何かの数値を見たらしい。
そのまま病院へ搬送。
出産の途中で何かに感染した、とのことだった。
でもいつ感染したのか、どうして感染したのかはわからないと。
入院は約十日。
八王子じゃなくて立川の病院だった。
夫は毎日のように病院へ母乳を運び、
わたしは確か、一度か二度、行ったきりだった。
小さな透明な箱に入った風は色んな管を体に注していた。
思わず涙が出そうになり、夫にいさめられた。
周りを見てみると信じられないくらいの小さな赤ちゃんたちがたくさんいたのだ。
せっかく自宅出産で生んだ子どもをいきなり入院させられたわたしは
言いようのない矛盾に苦しんでいた。なんなのよこれは。
ついさっきまで自分の中にいた小さな人が
いまは自分の手の届かないところにいる、というそれだけのことが
産後のカラダとかキモチを不安定にしていたのかもしれない。
退院するとき「軽快」しました、と言われる。
軽快とは何ですかと問うと、この病気によって、今後の風の健康状態には何ら影響はないという意味ですと。
一ヶ月検診の際、かかりつけの小児科医にいきさつが記載された書類を見せて
もし、入院しなかったら、風はどうなっていたんでしょう、と聞いた。
わたしはどこかで、入院なんかしなくても風は大丈夫だったんじゃないかと疑っていたのだ。
「もし入院していなかったら?」
やさしい顔のその小児科医はにこやかに言った。
「もし入院していなかったら風くんは今、ここにはいないでしょうね」
わたしは自分の中に巣食っていた疑問とトミシゲさんを責める気持ちを払拭して反省し、
トミシゲさんに正直にその気持ちを話した。
「風の命を救ってくださってどうもありがとうございます」
写真は2012年11月、スケートへ行ったときの風といもうとの空。