2018年 04月 30日
burn out バーンアウト/ 燃え尽き症候群
最近やたらと耳にする Burn out ということば。
最初は夫が使ったのだ。
「○○(共通のフランス人の友人)は Burn out だったんだよ」と。
「はっ?!なんすかそれ?」
と問うわたしに夫は言った。
「うつの激しいやつ」
それを聞いて、ああ、Burn out ! 燃え尽きちゃった人ってことね、と理解した。
それを皮切りに、というわけでもなかろうが、
それ以来、何度も何度も耳に入ってくる。
それも「わたし Burn out だったのよね」
と自己申告する人たち。
その度に、「うわ!おまえもか!」と思う。
だって目の前にいる人、全然そんな風には見えない!
わたしにとっての「うつ」は長兄のかかったうつが基本になっている。
当時大学生だった長兄は実家を出て長崎市内で一人暮らしをしていた。
医学部の何年生だったか、失念してしまったが、三年生?四年生?
「死ぬことばかりを考えてしまって自制心がきかない」
ということだった。
医学生だからもちろん、うつがどんな病気かの知識もあり
それでも自分がそれに罹患してしまった。
がんの知識があってもがんにかかる医者はいるのだから
なにも不思議なことはないのだが、
当時中学生だか高校生だったかのわたしは、「ええっ!なんでそんなことが!」とかなり驚いた。
長兄の友人が元気付けようとドライブに誘ってくれ、
車の助手席に座っていた長兄は車の走行中に無意識にドアを開けて外に飛び出しそうになったそうだ。
「こりゃもうあかん。医者に連れてって」
ということになり、医者のすすめで長兄は帰省してきた。
別人だった。
頬が漫画で描いたように三角にこけていた。
目が漫画で描いたようにくぼんでいた。
もともとやせ型体形なのだが、その時はもう、ガリガリだった。
「いやあ、あんた、えろうやせとるやんね~」。
長兄を見たとたん、事態の深刻さを察しただろう母が
その深刻さを払拭したいかのように明るく言った。
「まじね。そぎゃんやせとるやろか。そいぎん写真でも一枚、とっとこーか」。
長兄は長兄で、やせていることくらいとっくに気がついているだろうに
そんなことにはたった今いわれるまで気がつかなかった、というふりをした。
父親は何も言わず、うっすらと笑っていたような気がする。
そして本当に、カメラにフイルムが残っていたことを確認した長兄は
父親だか母親だかに頼んで写真を一枚撮った。
次兄のほうもすでに実家を出てしまっていたから
実家には両親とわたしだけだった。
しばらく長兄はうちで療養することになった。
確か数ヶ月、半年くらいはいたのじゃなかったかと思う。
長兄はほとんどの時間を自室で過ごしてたのだけど、
たまに話すこともあった。
長兄が死んでしまうことだけはいやだった。
かといって、わたしたち家族にできることはそんなになかった。
ただただ静かに長兄の回復を見守るしかなかったのだ。
長崎のアパートに戻ってもしばらくは薬を飲んでいると聞いた。
うつってなんてやっかいな病気なんだと思った。
そんなやっかいな病気にあいつもこいつもかかっているのか?
それはほんとうなのか?ほんとうにそうなのか?
というつまらない疑問。どうでもよかったね。
蛇足。
日本人では考えられないサイズの肥満体の人、
を見かけることがある。
よくもまあ、からだのどこも悪くせずにそこまで食べることができましたね、
とわたしなんかは感心して尊敬の念さえわくほどだったのだけど、
このくらい太った人は antidépresseur アンチデプレッサー/ 抗うつ剤の副作用なんだと友人が教えてくれた。
ということはけっこうなうつ患者がいるってことなのか?
あ、そもそもうつと Burn out は一緒にしちゃあいけなかった?
というつまらない疑問。すみません。
写真は去年の夏に訪れた小さな村。
って
自覚しとる人は
バーンセーフ
~^^
あはは!なるほどねえ。そうですね。流行している?と思うほどにバーンアウトを自己申告する人が多くて。
それもふくよかな体形でにこやかで、そこそこ外見にも気を使っている人で。ほんまいかい!て言いたくなっちゃいます。
tabikiti さんはもしかして経験者かな。わたしは兄のこの経験で「まじめすぎるのがいかんらしい」と聞きおよび、なるべく不真面目をこころがけて生きてきました。おかげでうつとは縁がなくきております。気分の落ち込むことはもちろんありますけどね。