2016年 05月 19日
chemin de cumin (3) シュマンドゥキュマン/ キュマンのみち
「ちょうど、今から十年前のことなんです」
「ああ、あなたの、お母さんが詩を書いたのが?」
おじさんは結局、もう一本のビールを注文した。
「はい、わたしは十三歳だったんですけど、ものすごくよく覚えているんです」
「へえ、そう」
ユイは楽しそうに笑う。
「だって、もう、それが、詩、というか、文字を覚えたての赤ちゃんが、うれしくてただただ知っている単語を並べただけのような詩で」
おじさんはおいしそうにビールを飲んでいる。
「太郎、次郎、キュマン、
太郎は船のキャプテン、
次郎はタムタムの奏者、
キュマンは三男」
ユイは詩を口ずさんだ。
「なんだかもう、とにかく何を言いたいのかさっぱりわからなくて、家族で大笑いしたんです」
おじさんは黙って耳をかたむけている。
ユイは遠いことを思い出すような顔をする。
「わたしのお姉さんが、手伝って、それからなんとなく、詩、みたいな形になったんです」
「お姉さんが、いるんだ」
「はい、わたしの四つ上の」
「そう」
「でも、最後までお姉さんも『どうしてスリッパなの』て言ってたんですよねえ」
「えっ?」
おじさんがすっとんきょうな声をだすとユイはまた笑った。
「なんか、カレーのお鍋に、スリッパが入ってる、て一節があるんですよ」
「ほう。それは、どうして?」
「韻、というんですか?最後の音を、そろえる」
「ああ、韻。うん、韻を踏む、だね」
「そう、とにかく、韻を踏めば、それでいい、みたいな」
「……ふ~ん。スリッパ、ねえ」
おじさんにはそれがどんな詩か、想像もできないようだ。
「お姉さんは最後には『お母さんの詩なんだからお母さんがいいと思えばそれでいいんじゃない』って」
「うん、そりゃあ、そうだ。あなたのお母さんの詩、なんだもの」
おじさんが簡単に同意すると、ユイは困ったように言った。
「だけど、やっぱり、それってものすごくヘンな詩なんです」。
「なんだか、読みたくなっちゃったな。あ、と言っても、ぼくはフランス語は読めないだよなあ」
おじさんは残念そうに言う。
「大丈夫です。お母さんが日本語にしたのもあるし」
「ほんとう?じゃあ今度は代々木の本家に行かないとなあ」
ユイはにっこり笑って答える。
「はい、ぜひ」。
どのくらいの人たちに伝わっているんでしょうかこの話。
もうちょっと続く……。