人気ブログランキング | 話題のタグを見る

fumiko 史子。<25・了>







fumiko 史子。<25・了>_f0136579_0132122.jpg


「地球号寮、という名まえ、
最初はついてなかったんです」

昭彦さんが思い出したように言った。

「名まえをつけることさえ、
思いつかなかった、というか。
だから、この名まえをつけたのは、
留学生たちの受け入れが
本格化してからなんです」

「そうだったんですか。
わたし、門のところの看板、
大好きなんですよ。
はじめてここにお邪魔したとき、
あの看板を見て、
純一はきっとここにくることになるな、
て思ったんです」

わたしが言うと、

「それはそれは」

昭彦さんはうれしそうに笑った。

由美子さんが、ふと口を開いた。

「わたし、こんなこと言うの、
不謹慎かもしれないんだけど」

昭彦さんの方を見て続けた。

「ああ、わたしはしあわせだなあって、
しみじみ、思うことがあるんです」

由美子さんは、ほんとうにしみじみ、
しあわせそうに、そう言った。

「主人が医者をしていたころだって
けして不幸せだったわけじゃないですよ。
主人は仕事一筋で、浮気もしなけりゃ、
飲み歩くなんてこともしない人だし、
たまにゴルフに出かけるのを
唯一の楽しみにしている
まじめな人だったのだし」

そうよね?
由美子さんはそういって
昭彦さんを仰ぎ見た。

「子どもがふたりいて、
わたしは子どもと家の中のこと。
夫は外で一生懸命働いてくれる。
それはそれで充分だと思っていたんです」

夫がどこからか、
熱いほうじ茶を持ってきてくれた。
わたしたちは四人でそれをすすった。
とてもおいしいほうじ茶だった。

「そして、息子が、突然、
いなくなってしまって。
なんだか自分ひとり、
地獄に落ちたような気持ちになったりもしたけれど」

由美子さんはそこで一息ついた。そして、

「ほら、覚えていらっしゃいます?
友子ちゃん。わたしに、美代子さんを
紹介してくれた、高校時代の」

ええ、もちろん覚えてますよ、
わたしたちはふたりで答えた。

「友子ちゃんね、小学生の時、
小学校の六年生の時、
ふたつ下の弟を、事故で亡くしたんですって。
ふたりで、自転車で歩道を走ってたら、
友子ちゃんの後ろからついてきていた弟さん、
曲がりきれなかったダンプカーに巻き込まれて」

ああ、なんということ。
胸がちりちりと痛んだ。

「わたし、そんなこと、全く知らなくて。
友子ちゃんも何も言ってくれなかったし。
ただ、背中、さすってくれるだけだった。
わたしが美代子さんに会って、
ほんとうによかった、気持ちがすっきりした、
て話したら、よかった、体験者の話は
すごく気持ちが楽になることがあるから、
そう言って、やっと自分のことも話してくれたんです」

そうだったんですか、
わたしたちはそう言った。

「いつか、主人が、
自分だけが犠牲者のような気になってた、
そんな風に言ったことがありましたけど、
わたしもほんとうに、そう思いました。
ああ、わたしだけじゃないんだなあ。
わたしは、自分ひとりだけが、
こんな悲しい思いをしているんだと
思ってしまっていたなあって」

わたしたちは、ただうなづくことしかできなかった。

「今ね、こうして、
主人とふたり、地球号寮で、
休みもなく働くことになってしまったけれど、
今まで感じたことのない、充実感を感じるんです。
もちろん、ああ、疲れたなあって時はありますけど、
でも、主人が、わたしの大好きなピザを、
わたしの目の前で焼いてくれて、
ぼんやりとそれを見ている時なんかに、
ああ、わたしはなんてしあわせなんだろう、
てね、しみじみ、思ってしまうんです」

由美子さんはまた昭彦さんを見た。

「息子が、自分の命を使って、
わたしに教えようとしてくれたものが、
ここにあるのかなって。
こんな風に、自分の命がいまここにあって、
それだけで自分がこれほどしあわせなんだって、
前は思ったことなかったですから」

そのことばが終わるか終わらないくらいに、

「ジューン!ジューン!」

というかけ声が聞こえてきた。

純一が、スピーチの台に立っている。

そうか、純一もスピーチするんだ。
わたしは夫と顔を見合わせて笑った。

「レディイイイイイイイッスアーンドジェントルマアアアアアアアン!」

純一がいきなり叫んだ。
食堂中が、爆笑の渦に巻き込まれる。

わたしたちも大笑い。

留学生たちから頭をたたかれて
くしゃくしゃにされている純一が見える。

なんだ純一のやつ、
みんなに愛されちゃって。

こころの中でつぶやくと
思わず涙が出そうになる。

恭太は、いちばん前に陣とって、
兄のことを誇らしげに見あげている。

何を話すのやら、
と感動に似た気持ちで
純一を遠くから眺めた。

ふと、

わたしは、
わたしたちが今、
地球号寮という名まえの、
大きな船に乗っている錯覚におちいった。

純一が、舵を取っている。

昭彦さんと由美子さんのとなりには
イタリアで結婚したというおじょうさんが見える。
やさしそうなご主人とふたりの子どもたちもいる。

美代子さんも乗っている。
ふたりのお子さんたちはもう
こんなに大きく成長したのだ。

まだお会いしてもいないのに、
わたしにはその時、はっきりと見えた。

昭彦さんと由美子さんのおじょうさんとその家族が。
美代子さんと彼女のふたりの子どもたちが。

恭太のクラスメートの三芳くん、山下くん。
ドゥ・フレールのご主人と奥さん。

ああ、丸田先生!
あの時と同じ、
丸田先生もいる。

そして、たくさんの、
いろんな国からやってきた学生たち。
日本人の学生たち。

おとなもいれば、子どももいる。

わたしたちはみな、
この船に乗って、
地球の上を、をさまよっているのだ。

そこは、国も民族も関係なかった。

体の大きさも髪の毛の色や目の色も
その人それぞれに、さまざまだった。

体の不自由な人も
病気と闘っている人もいた。

悩んでいるもの。
苦しんでいるもの。
悲しみのどん底にいるもの。
しあわせの絶頂にいるもの。

ひとりひとり、
抱えているものは違うけれど、
わたしたちにはひとつだけ、
共通していることがあった。

それは、
わたしたちはみな、
今ここに、命がある、
というその一点だった。

わたしたちはただそれだけでよかった。
わたしたちはそれだけで充分に満足だった。

地球号寮という名まえの船に乗ったわたしたちは
小さい、小さい、地球という星の上を、
のらりくらりと、さまよっていた。

と、

割れるような拍手で我にかえった。

スピーチを終えた純一が、
ふたたび周りの学生に
くしゃくしゃにされているのが見えた。


(了)

























長きにわたって読んでくださった方、どうもありがとうございました。こころから感謝いたします。
ブログランキング・にほんブログ村へ


叱咤・激励・つっこみ・野次・罵倒・けなし、、、もうなんでもゆってくれいっ!>覚悟、しとるけん。

恐れ入ります。
Commented by miho-1722 at 2010-11-10 07:34
日々なにげなく暮らしている私、
「史子」を読んで色々な事に気付かされました。
前にも書いたんですが、どの回もとても感情移入が出来るんですよね。自分に思い当たる事が必ずある・・・。

さっき、もう一度最初から読み返してみました。

kyotachanお疲れ様でした。そして、有難うございました。
Commented by nana at 2010-11-10 08:07 x
初めまして。同じフランスに住んでいます。
ずっとコメントもせずに影で(笑)読ませていただいてました。
素晴らしい表現力に吸い込まれるように読み進めました。
私ちょうど今、いろいろと大変なことに囲まれて頭が爆発しそうなのですが(笑)、貴女の文章を読んでいろいろ考えさせられることもあり、感謝です。
今後も陰ながら応援しております。ありがとうございました。
Commented by candybowl2 at 2010-11-10 08:33
最後に わたしもがんばろう って勇気をもらえる終わり方
でよかった^^
どことなくさわやかな後味。
わたしも 毎日ご飯を食べられて あったかいお風呂に入れる
幸せ、母に気付かせてもらいました。
とても共感。
また新しいお話できたら読みたいです♪
Commented by tomatomatos at 2010-11-10 11:11 x
あーおわっちゃった・・・
明日からナニを読めばいい?
Commented by juliavonlea at 2010-11-10 14:39
え、もう終わるの?ここで終わるの?
長くても大丈夫なように、ちゃんと心づもりしてたんだよ~。(笑)
Commented by tamasan at 2010-11-10 15:35 x
終わっちゃった~
しみじみとした中に、ほのぼのとした温かさが感じられて
素晴らしい作品ですね。
登場人物も個性がよく書かれていて、kyotachanさんは
並々ならぬ文学的才能がお有りな方だと思います。
次回作品、心待ちにしています。

どなたかブログ読者の中に編集者はいませんか~
Commented by masako at 2010-11-10 17:59 x
えええええええっ?!
終わっちゃったの?
私もjuliaさんと一緒。何年(?!)続いても良いように、長い間読み続けるつもりでいたのよ~。
でも。
純一くん、あたかい思いの真ん中で成長していて、嬉しくなっちゃう。
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:17
☆miho さま

こちらこそ、リアルタイムで読んでくださってありがとうございます。いつも温かいコメントがあったからこそ続けられました。また書きますね。読んでくださいよー!」
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:20
☆nana さま

わー!ステキなコメントありがとうございます!いつも「影で」で読んでくださっていたんですね。こうして影から出てきてくださったことに感謝します。少しでも生きていくのが楽になったらこれほどうれしいことはありません。またぜひ寄ってください。
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:22
☆candybowl さま

お忙しいのにリアルタイムで読んでくださったんですね。感激です!ほんとうにわたしたち、今日こうして生きてる、てことだけで奇跡?そう思うと何かに感謝したくなっちゃいますよね。また書きますね。
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:23
☆とまとさん

なーに言ってんのよー!nice!nice!nice! は明日も営業してるからー!ちゃんと寄ってくださいよー!いつも読んでくれてありがとねー。
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:25
☆ジュリアさま

っもー!なーにうれしいこと言ってくれてるんですかー!最終回とりやめて続けようかな。>うそうそ。
読んでくださってありがとうございました。これにこりず、また書きますからぜひ読んでくださいねー!
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:26
☆tamasan さま

いやいやいやいや、、、そこまで持ち上げられるとつい木に登りたくなります。笑。いつも温かいコメントを寄せてくださってどれだけはげまされたか知れません。また書くつもりですのでぜひ読んでやってくださいね。いつもありがとうございます!
Commented by kyotachan at 2010-11-10 19:27
☆masako さま

わはは。そう言ってくれてありがとう!また書くから読んでおくれよ~。っつーか、マサコちゃま、決めたんでしょ!何を決めたのよー!
by kyotachan | 2010-11-10 00:26 | なげーやつ | Comments(14)

南仏・ニース在住。フランス人元夫の間に一男三女。

by kyotachan
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31