2010年 10月 15日
fumiko 史子。<2>
純一は健康体で生まれたけど、
そうでなかったら、そうでない純一の姿を、
夫はきっと、当然のように、
そのまま受け入れたんだろうな。
わたしだったら、うろたえて、
どうしていいかわからなくなるに違いない。
そういえば、あの時もそうだった。
純一が中三で、恭太がまだ年中さんのときだった。
ある日、夫が言ったのだ。
「おれ、首、切られそうなんだよね」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
いや、真っ黒、だったか。
わたしは晴天のへきれき、とでも呼びたい気持ちで、
すぐには声が出てこず、夫の顔を見つめ返した。
すると、いるとは思っていなかった恭太が、
突然大声で泣き出したのだった。
びっくりしたわたしたちは、
お互いに顔を見合わせて、
恭太の手とか足とかをさわったり、なでたりした。
恭太はそのとき、お気に入りのミニカーで遊んでいて、
それでどこかをけがしたと思ったのだった。
「お父さん、首、切られるの?
刀で、首、切られちゃうの?」
大きな涙をこぼしながら、
そういって泣く恭太の姿は、
今思い出しても胸が熱くなる。
わたしたちは一瞬ぽかんとし、
そして次の瞬間、大笑いした。
「違うよ。恭太、違うんだよ。
お父さん、首を切られるわけじゃないんだ」
「え?」
「お父さん、会社をやめることになりそうなんだ」
「え?会社?」
「そう、首を切られるんじゃないんだ」
「ほんとに?会社をやめるだけなの?それだけなの?」
この恭太の名言は、わたしたちをもっとも支えてくれることばになった。
夫は何度も何度も繰り返したものだった。
「恭太のいうとおりだよ。
何も、刀で首をちょん切られるわけじゃないんだ。
会社をやめる、てそれだけのことなんだ」
結局夫は、それからすぐにリストラされて、
一年近くも、次の職にありつくことができなかった。
夫は「こんな機会はめったいにない」といって、
幼稚園の送り迎えを積極的にこなし、
受験勉強中だった純一のことにも普段より心をくだいていた。
夫が就職活動にそれほど熱心ではないように見えたわたしは、
わたしがパートに出たほうがいいのじゃないかというと、
夫は、大丈夫大丈夫と笑って答えるばかりだった。
幼稚園のままたちには夫が家にいることがばればれで、
わたしはそれを、恥ずかしいとさえ思っていた。
夫は、そんなこともちいとも気にしなかった。
「こんな風に、子どもたちと過ごす時間が持てるのって、
初めてのことじゃないかなあ」
そんなことさえ、言ってのんびりと構えていたのだ。
わたしは、そんな夫に腹が立って仕方がなかった。
とうとう食べるものにさえ事欠くようになり、わたしが悲壮感たっぷりに、
「ごはんもない、パンもない、スパゲティもない」
というと、夫は、
「マカロニもある、じゃがいももある、小麦粉もある」
と笑って答えた。
その、あまりにもあっけらかんとした答えに、
「だって今日全部食べちゃったら明日は何を食べるの」
さらに悲壮感にとらわれていうわたしに、夫は平然として言ったのだ。
「明日のことは、明日考えよう」
そして夫は、
「ゆでたじゃがいもにサワークリームをかけて食べるとおいしいんだ。
今日はじゃがいもにしようよ」
などと楽しそうに言ってのけた。
能天気な楽観主義!
わたしはこころの中で、
何度こう言って夫を罵倒したか知れない。
しかし、振り返ってみると、
まさにその、夫の、
能天気な楽観主義があったからこそ、
わたしたちはなんとかやってこれたのだった。
あら!なんだかどこかで聞いたようなセリフ、と思った方はかなりのキョータ通。>あ、そんなんなりたくもないって?
同じ話をくり返し読ませるな?、、、、ですよねー。>でもまだ続きます。
でも全く同じ話にはならない。つーか、できない。恐れ入ります。
いや
しないとね ^^
実は、私もだんながお金を稼いでこない(畑仕事や、家事はいろいろやってくれてる)ことで、2年くらい、悶々と悩んでたんです。健康保険払えてないのもあるし。。。私が稼ぎ頭になろうと決めて、パートを始めたんだけど、それが、へんな上司にあたっちゃって、身に覚えのないことで、1時間も説教されるとか、自己啓発の本とかCDを聞けとかいわれて、なんか人格を否定されるようなやり方で、人を扱う人だったんです。
で、昨日、やめてきました!もう腹くくって、いま情熱をもってやってる仕事の方で、もうちょっとがんばろっと、決めました。もう娘も一応自立してるし、後の人生、好きなことやって、のたれ死に(?)しようが何しようが(ほんとはやだけど)いいことにしようと思って。
でも子供がいるとまた、ちがうでしょう?