2009年 09月 18日
capacité キャパシテ/ (人の器の)容量
□ キャパ
夕方、子どもたちと一緒に帰宅したマコは、靴をぬいだその足で台所へ向かった。
ぐったりと疲れてはいたけれど、一息ついている時間はない。
洗ったお米の入っているお鍋をまず火にかける。
炊飯器はもう五年以上使っていない。
お鍋でも充分においしいごはんが炊きあがることがわかってからは、もう炊飯器を使うことはないだろうなとマコは思っている。
とんかつの衣はつけておいたから、ごはんが炊きあがったらすぐに揚げればいい。
やっぱりサラダがあったほうがいいな。
早く茹で上がる方のマカロニの袋を出しながら、冷蔵庫にきゅうりとトマトが入っていたことを頭の中で確認する。
マコはマカロニをゆでるお湯をわかしながら、食器洗い機の中の皿を食器棚に片付け始めた。
次女は時間がかかるからすぐに宿題をはじめさせたほうがいいなと思いつつ、声をかけるのをためらった。
きっとちょっとだけ遊んでから、と答えるに違いないと思ったし、マコ自身、あまりにも疲れていて宿題をみてあげる気力がなかった。
とにかくまず夕飯を作って、それを食べてからにしよう。
疲れと空腹が重なったときに起こる頭痛がはじまりかけていた。
末っ子のジュンが台所に入ってきた。真っ赤に染まった空を見上げながら
「(ママいま朝?)」
不思議そうな顔をしながらマコに聞く。五年前、ニースで生まれたジュンはフランス語しか話さない。
朝なわけないでしょう?いま幼稚園から戻ってきたんだから。これは夕焼けだよ、と答えようとしたら
「(ママいま朝?)」
ジュンが二回目のセリフを口にし、それと同時に電話が鳴り始めた。
ちょうど茹で上がったマカロニのお湯を切ろうと、熱湯がジュンにかかってしまわないように注意しながら鍋を持ち上げたところだった。
「(危ないからどいてくれる?)」
こころの中に浮かんだセリフが声になって出てこない。
マコが、今日はわたしは相当疲れているなと自覚したその時だった。「しつこい調」に突入したジュンが
「(ママいま朝?ママいま朝?ママいま朝?)」
と同じセリフを横で繰り返す。
数日前の朝、今まで見たこともないような朝焼けをふたりで見たのだった。
木製の雨戸を開けると空が真っ赤だった。
それに見とれていたマコのとなりに来て同じように空を見上げたのがジュンだった。
その時ふたりできれいだねと言い合ったのだ。
今また空が赤くなっているのを見てその時の朝焼けを思い出しているのだろう。
幼稚園から帰ってきたこの時間が朝ではないことはジュンにもきっとわかっている。
だけどあの時と同じくらいに空が赤いね。きっとそんなことを母親と確認しあいたいだけだ。
そんなことはマコにもわかっていた。
充分すぎるほどわかってはいたが、今日はだめだった。
いつもそうだ。子どもはマコのキャパが極端に狭くなっているときに限ってまとわりついてくる。
いつもは電話の音に走り出す上の子どもたちも、今日に限って誰もとる気がないらしい。
電話はあきらめよう、そう思ったとたんに何かがぷつんと切れた。
「(知らないってば!)」
マカロニをざるにあげながら、マコはジュンにどなり返す。
頭の中で準備していた「普通の母親が言うはずのセリフ」はとうとう出番をなくしてしまった。
ビックリした顔のジュンを見ながらマコはもう何も言う気がせず、黙ってジュンが台所から出て行くのを見送った。
そしていつものようにこころの中で叫ぶ。
「あーっ、、、、もーやーっ!キャパがちっせーんだよ、キャパがーっ!」
今年四十になったマコは最近「人のキャパ」ということをよく思う。
キャパ、キャパシティ、人の器の容量。
自分の器からあふれだす日常。
こなしきれていないと思うことの連続。
わたしはもしかしてとんでもないものを抱え込んでしまったのでないかという恐れにも似た悔恨。
□ 仕事
五年前マコは夫の出身地、フランスのニースへ来た。
システムエンジニアとして東京で順調に働いていた夫の仕事が、あの9.11のテロを境に目に見えてうまくいかなくなったためだった。
当時末っ子のジュンを妊娠中で子どもたちは五才三才十一ヶ月の三人。
ニースへ来て間もない頃、出会ったばかりの人に聞かれた。
「(あなた、仕事はしてるの?)」
ニースへ着いたばかりだったし、すでに三人の子持ちでかつ妊娠中だったし、ガイジンだったし、マコは、その質問に少なからず驚いた。
仕事って、、わたし妊娠してるしさ、、、おまけにニッポンジンだし、、、
口に出しはしなかったが、どうしてそんなことわたしに聞くの?という不可解さが残った。
そして、その質問を受けたのは一度や二度ではなかった。
働いてないの?ああ、、、妊娠中だから?
一様にそんな風な反応をされた。
妊娠中だからって働かない理由にはならないでしょう?
まさかそういう人はいなかったけれど、そんな風なこころの声が聞こえてきそうだった。
五年間、ニースに住む間に、マコは思い知ることになる。
フランスでは労働は当たり前のことで働かないのは特別な理由がなくてはならないのだ。
働かざる者食うべからず。
ジュンが生まれて育児にかかりきりになっていられた時間はまだよかった。
ずいぶん甘い理由だね、と思われていようが、理由らしき理由があったのだから。
フランスにももちろん、出産育児の時期には育児休暇がある。
それでも子どもが生まれてから二ヶ月で復職する人が多い。
マコは四人の子どもたちを全員母乳で育てた。
ジュンが生まれたときは上三人はまだ「公園にいればしあわせ」な年齢だったから
ベビーカーを押してよく公園へでかけたものだ。
ベンチでジュンに母乳をあげていると「(あら、母乳なの?わたしも母乳で育てたのよ)」というママに会うことが一度ならずあった。
そうかフランスにも結構母乳育児をするママは多いのだなと思ったのだが、しばらくしてそれは仕事復帰までの二ヶ月間だけというママが大半だということにも気づいた。
仕事は出産育児を理由にこれ幸いと辞めてしまい、子どもが二才になっても三才になっても仕事復帰のことなど頭になく、しつこく母乳を飲ませていたマコとはスタンスがまるで違う。
自立心。
自立心がマコには欠けているのだ。
だいたい、今までに自立していた時期なのあるのだろうかわたしは、とまで思ってしまう。
フランスのママたちはいつも自分の足で立っていることを忘れない。
結婚しても出産しても、それは仕事と並行して行われるべきのことなのだ。
育児より仕事。
優先順位の逆転。
離婚率の高いフランスでは子どもが生まれたからといって仕事を放棄するにはリスクが高すぎるのだろう。
それに幼稚園や小学校の制度を見ても、日本に比べるとずっと母親が働きやすいシステムになっている。
就学時間は曜日に関係なく、毎日朝の八時半から夕方の四時半と決まっている。
さらにお金さえ払えば朝は七時半から預かってくれるし、同様に、夕方も六時半までは延長することが可能だ。
「ヌヌ」と呼ばれるベビーシッターが街中にはあふれている。
スーパーの掲示板を見れば必ずと言っていいほどヌヌの売り込みのチラシを見つけることができる。
子どもは日々成長する。
いつかは親の手など借りずとも一人で生きていくようになる。
しかし一度掴み取った仕事を手放せば、また同じレベルまで這い上がれる保証はない。
フランス人のママたちを見ているとそんな叫びが聞こえてくるようだ。
逆の見方をすれば、ヌヌはマコにだってできる仕事ではあった。
アシスタントマテルネル(母親の補助)としてのヌヌの仕事をしているママたちは多かった。
自分の子どものほかに他人の子どもを預かる。
どうせ自分の子どもの世話をしなくちゃいけないのなら、他の子どもも一緒に見ようということだろう。
働いているママたちのおかげで、需要はいつもある。
自分の子どもが幼稚園に入ったとたんに他人の子どもの面倒を見るママもいる。
たくましいなあと思う。マコにはとてもできそうにない。
四人の子どもの世話であっぷあっぷな自分が他人の子の世話などできない。
自分の子どもの世話だけでさえ子どもを「殺してやりたい」と思うときがあるのだ。
他人の子どもの世話ができるはずがない。
そんなキャパは持ち合わせていなかった。
マコはここでもまた、自分自身のキャパの狭さを思い知らされていた。
ジュンが就学して二年、マコが自分の仕事のことを考えはじめてからもう、数が月が過ぎた。
子どもの送り迎えははずせない。
学校がお休みの水曜日と週末もはずせない。
子どもたちだけで家の中においとくにはまだ、年齢が低すぎる。
それでも子どもたちが就学している日中、ぽっかりと時間が空いてしまうのは事実だった。
フランス語が完璧に話せるわけでもない、特別な資格があるわけでもない、とりたてて言うほどの能力があるわけでもない、時間の制約はおおいにある、こんなマコにできる仕事がはたしてあるのだろうか。
マコのキャパ。
今のマコのキャパでまかなえる仕事が。
□ 教養
「昨日さあウチのお母さん、びっくりしてたよー。マコのお母さんってさ、〝わたしはマコにいい就職をしてもらいたいから大学にやるんじゃない。わたしはマコに教養を身に付けてもらいたいから大学にやるんだ〟て言ったんだってー!さすがマコちゃん家は違うわねーって!」
けしていやみではなく大口をあけて笑いながら言う、同級生のババさんのことばを、マコは今でも時々思い出す。
高校三年のとき、進学に関する保護者会のあった翌日のことだ。
もともとマコは当時はやりはじめていた英語の専門学校への進学を志望していた。
「小学校しか出ていない」が口癖の、学歴コンプレックスのあるマコの母親がそれに大反対した。
専門学校を出たって、なんの学歴の足しにもならないというのがその理由だった。
中学までは普通に学年でもトップクラスにいたマコは高校では鳴かず飛ばずの成績で、もうこれ以上お勉強はうんざりだというスランプに陥っていた時期だった。
どうしても大学に進学する気はないというマコに、母親は一計を投じた。
兄がお世話になったという国語担任の大石先生のところに相談に行くようにとマコに命じたのだった。
「電話をして時間をとってもらったんだからね」
切羽詰った母親に強く言われて、マコはしぶしぶ、彼女自身は習ったこともない、その大石先生のところへ行くはめになったのだった。
「マコさんは、専門学校へ行って好きなことだけを学んだほうが効率がいいと考えているかもしれない。
大学へ通う四年間がとてつもなく無駄で長い時間だと感じているのかも知れない。
僕は、十八才からの四年間を、大学という場所で、一見無駄かと思えるような時間を、ゆっくりと過ごすか過ごさないかということは、その後の人生が大きく違ってくると思うんだよ。
大学へ行くことが無理だというんなら仕方がない。
だけどマコさんの場合は違うでしょう?親御さんがそれをすすめてくださっているんだから。
マコさんは大学へすすまれたほうがいいのだと僕は思いますよ」
職員室の片隅の大石先生の机のところで、マコは初めて大石先生と向き合った。
高校の先生というよりは、書斎で書き物をしている方が似合いそうな、おだやかでやさしい人だった。
学校の先生には恵まれたことがなく、嫌われたことはあっても、好かれたことはついになかったマコは、大石先生の、その先生らしからぬ態度に感動さえ覚えた。
そして「一見無駄かと思えるような時間」ということばが、なんだかとても魅力的に感じられて、大学へ進学することを決めた。
結局マコは一年浪人までさせてもらい、東京の大学へ進学した。
マコが過ごした大学での四年間は、マコの母親が期待したように「教養を身につける」ためには使われず、また大石先生の言ったように「一見無駄に思えるような時間」という高尚な時間を過ごすこともなかった。
大石先生は「一見無駄に思えるような時間」と言ったのであって、「無駄な時間を過ごしていい」とは言わなかった。
大石先生が言いたかったのは「一見無駄に思えるようでも、後から思えばけして無駄ではなく、有効だったと思える時間」ということだったはずなのだ。
マコも気づいてはいたのかもしれない。
しかしマコは「大学へ行きさえすれば無駄な時間を過ごせる」と解釈した。
あえてそう解釈したかったのかもしれない。
マコの大学生活は、母親の期待や大石先生のことばをまるごと裏切った四年間だった。
ひたすらに怠惰で、だらしのない時間の連続。
四年後、マコは卒業単位ぎりぎりで大学を卒業した。
たとえそれがぎりぎりセーフだったとしても、マコが日本の最高学府である大学を卒業したことにはかわりはなかった。
その内容がたとえいかがわしくてとてもほめられたものではないにしても、教養まがいのものは身につけてしまったのだろうなと思う。
ここにきて、マコが四十になったこのときに及んで、マコはこの教養というものが、マコの邪魔をしているのじゃないかと思うことがあった。
仕事をしたければ、なんだってやればいいじゃないかと思う。
子ども相手はいやだとか自分のキャパだとかいい訳ばかりを並べて仕事にありつこうとしないのは、マコの教養がそれを阻んでいるんじゃないかという気がするのだ。
ばっかじゃないの、と思う。
マコは大学を卒業したあと、長女の妊娠がわかるまでの八年間、東京にある水処理機械を売るメーカーで働いた。
幸運にも、というか不幸にも、というか、先輩と上司に恵まれすぎた。
特にしたい仕事だったわけではないのに、自分が本当にやりたいことを探すこともせず、会社の居心地のよさだけを理由に、だらだらと勤め続けてしまった。
その会社を退職するときに、マコは決めたのだ。
今度働くときには、わたしの好きな、わたしの納得できる仕事をしようと。
今になってそのことを持ち出してどうする、と思う。
教養が、学歴が、無駄に過ごした日々が、今のマコのキャパを狭めてしまっているのじゃないか、マコはそんな気がして、それがはがゆい。
お母さん、、、、
マコの母親はちょうど十年前になくなったのだが、今も時々話しかける。
お母さん、教養じゃあ、教養だけじゃあ、だめだったよ。教養だけじゃあキャパは広がらないんだよ、、、、、
□ 楽観
マコは二十代のころ「自分のカラダの中でもう一つの命を育てる人」を、尊敬のまなざしで見つめていた。
当時のマコは酒は飲む、タバコは吸う、食事はいい加減で、かなり不健康な生活をしていた。
こんなわたしのカラダの中で、まっとうな命が育つのだろうか。
充分に汚染された血液の中で、健全な命が育つものなのだろうか。
マコは不安だった。
結婚し、実際に妊娠出産を経験してみると、それはよく言ったもので「産むがやすし」そのままだった。
生まれてきた赤ちゃんは美しすぎるほど美しく、そして健康だった。
子どもの世話が始まると、今度は子どもを二人も三人も育てているママたちをものすごく尊敬した。
わたしはひとりできりきり舞いしているのに、あの人は三人も。
わたしににそんなことができるだろうか。
そんなことを思っていたマコは次々と子どもに恵まれて、あれよあれよと言ってる間に四人の子どものお母さんになった。
とてもできないと思っていたことを、いつの間にか実現してしまっている。
あ、わたし、なかなかやるじゃん。
ふとそんな風に思う。
人としてのキャパは広がってきてる。ちゃんと広げてきてる。
マコに限ったことではなく、人は誰だって、生きていく過程でそれぞれのキャパを広げていくのだろう。
ほんの二年前くらい前には、マコがニースで車を運転することなど考えもしなかった。
友人のヴェトナム人のママが運転しているのを見て、尊敬さえしてした。
わたしにニースで運転なんてできるだろうかと全く自信がなかった。
尊敬、というより嫉妬、だったかもしれない。
そのあとマコは教習所に通って免許を取った。
フランスで生まれたフランス人でさえ「北の方へ行けば運転するけどニースでは絶対にしない」というこのニースで、いまや毎日ハンドルを握っている。
ほらマコ、できたじゃん。
二年前、嫉妬心にさえかられた自分を笑ってみる。
マコにだって、できるのだ。
キャパを広げることはできる。
今度は仕事だ。
マコのしたい、マコができる、マコだけにしかできない仕事が、きっとある。
マコはできる限りの可能性を探ってみればいい。
マコはマコらしく、ここで戦ってみればいい。
大丈夫、わたしは大丈夫、そう楽観してみる。
へこたれない。
口にだして言ってみる。
よっこらしょ。どっこいしょ。へこたれないよわたしは。
なにものにもへこたれない。
わたしのキャパはもっともっと広がる。
確信してみる。自分で決めてしまう。
子どもたちに対しても同じことだ。
大丈夫だよマコ、子どもたちはとってもいい子たちばかりだから。
マコのお腹のなかにやってきてくれた子どもたちなんだから。
マコのところがいいって、自分たちで選んで生まれてきてくれたのだから。
マコはただ、子どもたちが持って生まれたものをつぶさないようにすればいいだけだから。
何もむずかしいことはない。
そしておそすぎるなんてことはひとつもない。
今から、たった今から、子どもたちの前で、自分のキャパを広げてみればいい。
こちらのキャパが広がっているときには、子どもたちのことを大きなこころで包みこんであげられる。
こちらの器が大きければ、子どもたちの問題などすべてがそこに収まってしまう。
子どもはマコのキャパが極端に狭くなっているときに限ってまとわりついてくる。
マコはさっき、台所でそう思った。
それは正しく言えば、マコのキャパが狭くなっているから子どもがまとわりついてくるように感じてしまうのだ。
問題は子どもの方にあるのでない、自分の方にある。
マコのキャパが狭まっているときには、子どもと同じレベル、あるいはそれよりももっと狭くなっているから、子どもの行動がひとつひとつ許せない。
ほんとうに「殺してやりたい」とさえ思ってしまう。
マコが日本にいた時のことだから、もうずいぶん前の話だ。
生後四ヶ月の赤ちゃんが泣き止まないからといってその赤ちゃんを殺してしまったお母さんがいた。
マコはどうしてもそれをひとごととは思えない。
そのニュースを知ったとき「ああわたしでなくてよかった」と思った。
自分にもその境地におちいる可能性は充分にあるのだ。
キャパが極端にせまくなるとき、人は我知らず自分をそんな行動に走らせるのだと思う。
自分の子どもを死なしてしまう可能性はわたしの中にもあるはずなのだとマコはいつも自分を戒める。
意識している、自分の中にある負の部分を。
自分を悪い方にひっぱるなにかがあることを。
同時に、それに引っぱられないようにする力も持っている。
負の力に負けない、もっと大きな正の力をもてばいい。
言い換えれば自分のキャパを広げておけばいい。
念じてみる。キャパを広げる。そしてそれは広がる。
自分のキャパが広がるとき、周りの環境さえ変わるのだ。
いい方へいい方へ、転がっていけばいい。
もちろん、そう思ってはいても、うまくいい方へ転がらないときだってある。
だけど、いい方へ転がるようにと念じることはできる。
いい方へ行くか悪い方へいくかを決めるのは結局自分自身のこころなのだ。
マコは今日も自分に言ってみる。
わたしは大丈夫。
わたしにはできる。
わたしはへこたれない。
わたしの器はもっと大きい。
わたしの器にはどんな悩みさえ入ってしまう。
大丈夫、大丈夫。
わたしは、大丈夫。
□ 感謝
母親があんなことを言わなかったら。
一生貢献できる職業、ということをもっと若いうちから真剣に考えていたら。
仕方なく会社員をしていた時間をもっと違うことに使っていたら。
両親はいつまでも生きてはいないということをもっと早くに悟っていたら。
自分の年齢を考えて出産していたら。
たら、たら、たら、たら。
マコがおちいりやすい愚痴モード。
たら。
たら、からは何も生まれない。
愚痴はなにも生んでくれない。
過去からはなにも発生しない。
今と、未来。
大切なのはそれだけだ。
過去はもう動かせない。
今から、生きる。
今と、未来を。
なにも心配することなどなく、大学まで進学できた環境に、どうもありがとう。
つまらない仕事を八年間も続ける事ができたのは会社の先輩と上司のおかげです、どうもありがとう。
母親が亡くなったとき、すでに生まれてきてくれていた長女に、どうもありがとう。
昨日より今日のほうがもっと大好きと思える夫に、どうもありがとう。
考えるすきを与えないほど、次々にやってきてくれた命たちに、どうもありがとう。
「ゴチソーサマデシタッ」
ジュンが食べ終わったお皿を台所に運んできた。
マコの方をふり向いて、うれしそうに言う。
そっか、、、ゴチソウサマは言えるんだね。
マコはこころの中でつぶやきながら涙ぐみそうになる。
食事の前にどなってしまったことをまだあやまれないでいる。
「(ママ?ママ?わたしね、ちゃんと椅子から降りて、そしてお皿を持ったよ)」
そうだよね、、、お皿をまず持ってしまったら、椅子から降りるときにお皿をすべらせてしまうかもしれないもんね。
なんていい子なんだろう、、、。
どう言おう、なんて言おう、一瞬考えたけど結局言えたのは一言だけだった。
「(どうもありがとう。)」
フィクション部門二作目。一作目の時わずかな人たちではありましたが温かいおことばを頂戴してとてもうれしかったです読んでくださった方どうもありがとうございます。
ひとこと、、「なげー!」「いまいちー!」「ようわからんぞー!」「くだらなすぎー!」感想を残してくださると、、、うれしいいんだけどなあ、、、、
マコってキョータのことなんでしょっ?、、ってそれ違いますから、、、、恐れ入ります
もったいないから五話連載にすればいいのに…(と姑息な意見)
看病のときのことで悔いています。キャパです。いらいらして思わず怒鳴ってしまった。当座すぐになんてやさしさに欠けているのだろうと思うのですが、すぐまたやってしまう。もっとずうっと長期に介護に暮れている夫はいくらでもいるのに。病気で打ちひしがれているというのに。他人には献身しているように見えるであろう自分を嫌悪しました。
つまらない仕事だったよね。それはわかっていて、もったいなく真実申し訳ないと思っていました。これもキャパ(会社の、言い訳と思いながら)でどうしようもなかったなあ。
”昨日より今日のほうが…”、”つぎつぎにやってきてくれた命”、なっていいことだろう。大きな器なのですよ。がんばってください。
書き方が今回はふうわりしてますね(前回はムラカミさんぽいなーって思ったのです)
心の奥底で悩んでいることや感じていたことに
スポッとうまく入り、じ~んとしてます。
悩みや壁にぶち当たるのは人を大きくさせてくれる神様からのチャンスだと思っています。
人はみな自然界の中で生かされている小さな生命であり、
人だけでは生きてはいけない。
小さなことで悩まず、広く豊かな心を持って未来へ進みたいです。
三作目も楽しみにしています。
どれもなんだか暖かいね。1つの記事にしてしまうのがもったい
なくて5部作にしちゃえばよかったのにぃ。 だってじっくり読みたいもん。
第二話もしっかり入り込んで読めました^^
フィクション?ノンフィクション?
半分半分?
そう思わせるからこそ、入り込んで読めるのかな。
なかなか本を開く余裕はないけれど、こうして思いがけずいい文章を読むことが出来るのは、PCのいい所ですね。
きっと私、何度か開くページになると思います。
恐らくPCの向こう側で、共感の嵐ですよ^^
キッチンの写真はキリンおじさんの所ですか?
素敵で、しばし眺めてしまします。
ときどきあるのですが、ただフラフラ散歩してただけなのに、どうして今の私にドンピシャな文に出会えたのだろう。引き寄せたのか引き寄せられたのかもキャパのひとつかとも思いますが。
途中こみ上げてきて少し目がぼやけてしまいました。
kyotaさん、またひとつ、ありがとう・・・。
思っていること・考えていることが同じだとしても、言葉にしてこうまでうまく表せるのは、けして同じには出来ないッス。
物書きになればいいのに。うん、なれるよ。
(一作目まだ読んでないや、ちょっと行ってみよう♪)
読みやすくて面白かった。もっと、書くべきだと思う。
教養ではだめだった、教養まがいのものを身につけてしまった、
とは、私のことかと思いました。
器の小ささを思い知るのも同じ。
日本でも、働くのが当たり前になりつつあるので、
進学は資格の取れるところに行くべきだった、今からでも行くべきか、
と、揺れることしばしば。
最高学府を出ながら、じゃあ英文科なのだから英語堪能かと言われれば、全然だめで。
花嫁道具みたいな学歴、なのですが、その学校名が、再就職を後押ししたので、あながち無駄でもなかったかな...
もっと、書くべきですよ。
仏文科ならではの、作風だと思います。
と、お会いしたこともないくせに言ってみる(笑)
私もよく、自立のこと考えます。
特に、言葉もできない・資格もない・特技もない私が、もしもこの国で
子供と取り残されたらどうするか・・・とか、哀しい想像をしてみたり。
働かない分、家のことはきっちりやろうと思いながら、ついつい手を抜きがちで、
自己嫌悪に陥いったり。
そして、この国の悪いところばかり見つけて、日本はよかったよなあ・・・とか思ったり。
今の自分の体たらくは、この環境のせいではないのに。
自分が変わらなきゃ、結局何も変わらないのに。
ところで、雨大丈夫でしたか?
義父のところ、すごかったみたいです。
「仕事はしてるの?」「いつも何してるの?」
私もいつも聞かれる質問です。
「だって、まだ引越ししてきたばっかりだし」
「だって、言葉も完璧にできるわけじゃないし」
って自己弁護をいつも心の中で繰り返してました
ブレない人間になりたいっていつも思うけどブレブレ、
大きな器の人間になりたいものです。
気持ちを代弁してもらったようで、こころがあらわれました
ありがとうございます。
コレは読んだ。
人の器って、思うんだけどさ、生きてる間じゅうずーっとろくろ
を回し続けていてて、たまにグチャッと失敗したりまた最初から
作り直したりしながら、形や大きさを変え続けて、その人が死ん
だ時にろくろから外して焼いて、やっと器として完成するんじゃ
ないかってね。
何が好きかというと、積もり積もったものが吐き出されているという開放感があること。
いうべきことがたくさんある生き方をしているのだから、やっぱりそれを吐き出すのが自然な行為なんだと思わせる文章。
もっと書いてください。
女性のキャリアはこんな社会になっても難しい問題ですよね。
こう言うといつも女性に怒られるのだけど、子育ては、それはもう立派な仕事で、それに専念することに誇りを持っていいと思うんだけどなぁ、、、(バシッ!痛てぇ!)
自分の子供をお金を払って他人に預けて、他人の子供の面倒を見に行くって、僕には解せないんだよねぇ〜。(ザクッ!うぎゃ〜)
親が自分より先にいってしまうというのを、最近ヒシヒシと感じるようになって、いい加減 自立しないと・・・と思えば思うほど
焦れば焦るほと、なにをどうしていいのか分からなくなってきて。
キャパをもっと広げれば、キャパシティを越えられれば やることは自然と見つかるのかな。。
自分をしっかり持っていたいけど、今ちょっと自分を見失い中なワタシ。
キョータちゃんの文章は、色々考える機会を与えてくれるので 大好きです。ありがとネ。写真も、とってもとっても素敵だよ。
読んでくださってどうもありがとうございます!これはねー夕食の準備をはじめてから食べ終わるまでにマコの頭に去来した数分間の思いなんですよ、、、だから一気に読んでほしかったのです、、、次回は連載式にしてみようかな、、、、
うわー!コメントありがとうございますー!現役ママさんにそう言っていただくと勇気がわいてきます、、、子育ってってほんっとーに今までわたしたちが積み上げてきたものが何一つ役に立たないと落ち込んでしまうことがありますよね、、、特にかぎこめさんはお嬢さんひとりだからいつも相手をしてあげなくちゃならないしいっそうたいへんだろうなあと思います、、完成度の高いお料理と写真をしっかり作り上げていらっしゃる方だからこそよけいに思い通りにならない子育てにはイライラ感がともないがちなのかもしれませんね、、、いい加減なわたしだって腹立つことばかりですから笑、、でもこんな風に子どもと長時間かかわりあえるのも長い人生のうちのほんの一時のことだと思って、、、今日もなんとか頑張りましょう、、、ね!また寄ってくださいねー!
そんな大家の名前を思い出してくださって、、、恐れ入ります、、デビュー作読んでみたくなりました、、その作家さんの本は何冊か読んだと思いますがどれも恋愛がテーマのものだったような、、、そうそうほんとにねーおりのようにたまったものをこうして吐き出すのがわたしの唯一の精神安定剤になっています、、また描いたものをすぐに読んでもらう場があることにこころから感謝しています読んでくださってどうもありがとう!
ようこそいらっしゃいましたご訪問ありがとうございます、、、恥ずかしいだなんて!こうしてコメントをいただいてわたしがどれほど勇気をいただいているか、、、!実はいつもひとりよがりの文章になっているんじゃないかこんなもの誰も読んでくれないんじゃないかってドキドキしているんですよ、、こうしてコメントをいただくとほんとうにうれしいです!ぜひまた寄ってくださいねー!
わたしは陽の当たる縁側で新聞を読んでいて母はとなりのベッドにいる時わたし大笑いしたんです新聞の記事を読んで「何が書いてあった?」と聞かれてああ、、母は新聞も読めなくなったんだと今さらのように驚きましたそれからは新聞を読む時間があったら足をさすってあげようと思いましたそれでも母が死んだ時いや死んでしばらくするともっとやってあげることはたくさんあったのじゃないかって悔やみました kandamyojin さんわたしたちはわたしたちのできることは全部やってあげたはずなんですよわたしの母も奥様もだから安心して逝かれたと思いますそしてわたしが夫と出会うためにはあの会社で働いていなければならなかったんですちゃあんと意味があるんです社会人時代に教わったことはけして無駄にはなっていません今も楽しかったなあとほのぼのします日の丸の話と首相の参拝の話あたりが一番こころに残っています
いつも読んでくれてほんとうにどうもありがとう、、ゆのみちゃんほど今の自分や環境や状況に感謝して生きている人はいないよーおいしいごはんもチャレンジャーの精神で作り続けてて、、、ゆのみちゃんのお宅に行くといつもほんわかするよ、、、共感が感動を生む、、てことがあるよね、、これからもわたしが胸の奥底に持っている気持ちをひとつひとつ文字にしていきたいなと思っています、、、ムラカミさんほどの大家に、、うう、、、どうだっ?!
いつも読んでくださってどうもありがとうございます
>>>>>小さなことで悩まず、広く豊かな心を持って未来へ進みたいです。、、、ことばにしてみたらとても簡単そうだけどこれがなかなかできないことなんですよねー今朝ももうどうしてっ?!ていうくらいどなりなまくって子どもたちを登校させたばかり、、、あーもーやーっ!てまだ叫んでしまってます笑
あ、、、やっぱり連作の方がよかった?いやあこれさあマコがカーッとなってからそれが冷めるまでの数分間のできごとなのよ、、、だからなんつーか一気に読んでほしかった、、てのがあるのよねー次回は連作に挑戦してみるわ、、、あくまでもフィクションで笑
あ、、、どもどもー準ストーカーさん?爆、、、いつも読んでくださってありがとうございます、、、、子どもってねーなんだかもうどーだっていーやー!て窓から捨てたくなる存在だったりするんですよねーでもそんなに憎らしいのも「愛情があってこそ」だったりするわけで、、、いいママでいなくちゃいけないーってものすごくガマンしてしまってるママって多いと思うんですよ、、その反動で殺してしまったりもするのだろうし、、、もっとなんつーかテキトーに?でも包み込んであげられる?そんなママになれたらいいなー、、、
そうそう写真めちゃくちゃ迷ったんですがきりんおじさんのところから拝借、、、
あ、、、それはわたしのキャパのせいです、、ミナコさんが寄ってくださるようにそして一言残してくださるように念じておきましたから(うそうそ)
長女が生まれてからのきりきり舞いの毎日をブログというカタチで残しておけたらどんなにかいい思い出になっただろうなあって思うことがありますさんちゃんの成長する様子を見ていると本当に楽しい、、、にくらしくっていとおしくってこちらが望むと望まざるとにかかわらずわたしたちはキャパを広げていかざるをえないし子どもたちはこちらが思うよりも速いスピードで成長していくし、、、まあほんとに生まれてくれてありがとうわたしの子どもでごくろうさん、て感じかな笑
いや~長いのに~どうもありがとね~ワンピース読んでるほうがよっぽど有意義だったんじゃん?笑
物書き、、、いいねー!その響き、、、物書きで自立ー!これが実現できたらいいな
公園であなたとマサミさんの会話を聞いていてうわー!こりゃあほんっとのインテリだわーとてもかなわん!て思ったことが二度三度ならずあります、、、学歴だけではないちゃんと身についた教養を感じました、、、財産だよーきっとーたまちゃんといおくんが健全に育っているのもお母さんのふところが深いからだよー土台がしっかりしてるんだからこれからどんどん広がっていくよキャパ、、、
実はこっそりと身辺のことを調べさせていただきましたこれはあなたがモデルです(うっそだよ~ん笑)
日本で教育を受けて日本で育つとさ、結局自立しないままおばさんになっちゃうようにできてるんだよねーだいたい出産して仕事を続けられる人はよほどの決意とそのための環境を自分で切り開かなくちゃいけないし、、、システム事態が出産→退職→専業主婦を推進してるもんね、、、大丈夫さーわたしたちここでしっかり生きていこうぜ!
雨、、、確かに大雨でしたが水害といえるほどのことはなく、、、少し高台にあるかもウチの周辺は、、、お父さん浸かったの?
読んでくださってどうもありがとうーコメント励みになります!
わたしも共感することで勇気をもらったり感動したりすることが少なくないのでわたしの胸の奥底にたまったものをひとつひとつ文字にしていけばいいのかなあと思っていますそれがわたしのストレス発散法でもあるのです、、こうしてすぐに読んでくださる人がいることにものすごく感謝しています
ごみんごみん、、、長いの読ませちまって、、、えええええええええ====っっっ?!?!てことはなんだい?人は死ぬときにやっと満足したカタチになると、、、それまではぐぢゃぐぢゃな人生なんだと、、、あなたはこうおっしゃりたいわけっ?!、、、う~む、、、それはまたなんだかむなしい思想だなあ、、、まるで死んだあとにパラダイスに行けるというキリスト教の教義みたいではないですか、、、わたしはね今ここで生きてる間にしあわせになるのー!
わっちゃー!わざわざお越しいただいてすみません!ありがとうございます!
認証制ってエロコメント対策にいいなあと思うんですが送信を押すとコメントが消えてドキッとするんですよねーせめて確認画面をつけてくれないかなーっていつも思います、、、あ、、あのこんなことここで言うことじゃあないですね、、次回からはよく考えてコメントしますですハイ
そう言ってもらえるとほんとうにうれしいですどうもありがとうございます、、、実際たまってるんですよねーわたしの中にそれはもうおりのように、、、それを吐き出すことが何よりのストレス発散法になってます、、、少しずつそのおりを吐き出していければいいなと、、、
子育て、、確かに二十一世紀の人材を育ててるんだって胸をはってればいいのかもしれないけど結局家の中から出ないんですよね、、、学校と家の往復で自分の世界がものすごーく小さいのが不満なんです子育てにかかわるのは尊い仕事だというのはわかるでも頭の切り替えをしたい家の中から飛び出たいわたしは違うことをしたいわたしにだって社会貢献できるんだ、、、そんな感じですかねー(バシッ、、ザクッ)
そっかー!今の仕事気に入らないの?辞めるのに理由なんていらないでしょうにー!あ、、でも再就職って今ものすごーくたいへんなんじゃない?!それともしばらく仕事から離れてのんびりしたいとか?ご両親のことや自分の自立、、、う~む、、、kちゃんったらひそかに悩める少女だったのね、、、、一息いれにニースに遊びに来る?
んだよ( ̄ー ̄) それまでどう生きたかが、死ぬときに手に
入る器に反映されるのかもなーとふと思っただけ。
ちなみにワタシはいつもハッピーですぜ。
あとさ、きょーたちゃんのキャパみたいな文章、読んでて面白い
からワタシも次楽しみしてますぜ。
ああ!なるほどなるほどー!よく死ぬことはよく生きることだ、、てやつね?それだったら納得ですたい、、、ところで!あの寿司の映像、、、あれはもう、、、キャシちゃん殺したろかー?!て思いましたよ、、、、あんなもん食いやがって、、、それをニッポンザルに見せつけやがって、、、、
お!じゃあ次はこのくやしさを、、、読んでくれるのん?
ファン1号になりますよ。
わー!mippi さん!どうもありがとうございますー!ファン一号誕生です笑
投稿、、、ねえ?ちょっと今ネットで見てみたけどなんだか、、、うまい話みたいな感じでこわいわ、、、一度投稿しちゃったらもうその原稿は「使えないもの」になりそうだし、、、でもこうして読んでいただける場があってよかったです!また寄ってくださいね~
三女ちゃん、おねえちゃんになったね!
(子供はいないけれど・・・)
タラ、タラ気をつけよ~
楽観と感謝、心がけよ~
っと、読み終わったら気持ちがちょっと素直になりました
とっても面白かったです^^
うわー!読んでくれたの?ありがとう~、、、うれしいです!
最近の快進撃「わっちゃー!」「まじっすかー!」「おいおいおいおいー!」て突っ込みながら拝見しております、、っとにもーキミってばおいしーもの食べすぎよ!、、、で?最近あっちの方静かじゃない?全くお見かけしなくなっちゃって、、、なんだかさみしーなーって(うそうそ)よかったねーこれから秋に向けてますますサマンサ節にあぶらがのりそう、、楽しみにしとります
読書家の acco そう言ってもらえてうれし~ずっとこころの中にたまってるものを一つ一つ書いていこうかなーって、、、それをこうしてすぐに読んでくださる場があることに感謝してます~たら、、、ねえ?わかっちゃいるけどたら、、て思ってしまうのが人間、、、難しいですね
「ぐるりのこと」わたしも見たばっかりだったのでTBもらっておきました、、久々のヒットだったなああの邦画、、おくりびとよりよっぽどよかったわ、、、
私、最近こちらでブログを始めたました。
日本ブログ村の地域から飛んで来ました。
私も佐世保なので・・・
それと、四人の子の母親です。あっ、今は二人の孫のおばあちゃん!!!
記事をなんだか懐かしく読ませて頂きました。
子育て中はいろんなジレンマを覚えますよね。
子育ては親育て・・・とは良く言ったものだと思ってます。
私も子供達に育てて貰いました。
50歳を過ぎて、今からの人生が楽しみなんですから・・・
また寄らせて下さいね。
うわー!佐世保から?ようこそいらっしゃいましたーご訪問ありがとうございますー!
とても美しい方ですねー!お孫さんがいらっしゃるようにはとても見えない!久しぶりに見た佐世保の風景思わず涙がでそうになりました、、おまけに四人のお子さんがいらっしゃるなんてー!ほんとうにうれしい!今後ともどうぞよろしくお願いいたしまーす!
長い?長いよね。でも私は、一気に読むにが好き。
マコの気持ちが、途切れないで読める。マコの気持ちに共感できるから…
同じダヨね〜。と思う事が多いよね。マコ…
でも言葉にできるって素敵です。文字にすると、
しっかり向き合う事ができる。通りすぎないで…
本当は、あまり本を読まない私ですが、
いつも吸い込まれるように読ませてまらってます。
これも読んでくださったの?ありがとうございますー!マコ、、、同じですかやっぱり、、、子どもって、、、ねえ?殺したくなるくらい愛情を注いでしまっている対象ですよね、、、