Victoire 1945


今日は祝日。 カレンダーには、『 Victoire 1945 』 と印刷されている。 『終戦記念日』。 もっと正確にいうなら、『1945年の勝利記念日』。 
歴史に疎いわたしは、フランスは、日本より少し早く戦争を終ったんだな、ということに気づく。 そしてそれは、勝利だったのだろう。
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わたしの母親は、昭和四年 (1929) 生まれ。 母親が、話してくれた、戦争体験。

戦争が終って、初めてアメリカ人を間近に見たとき、ぎょっとなった。 驚いた。 ニンゲンだったからだ。 『鬼畜米英』 と教えられていたから、アメリカ人とは、ニンゲンではなく、『鬼』 だと思っていた。

戦争被害者は、なにも死者に限ったことではない。 ここにもいるのだ。 間違った思想を植えつけられた、一人のニッポンジンの女の子。 かかしのような人形に、槍を持って突っ込んでいく、そういう訓練も、受けたらしい。 このかかしにも、あなたと同じように、父親がいて、母親がいて、きょうだがいて、カラだの中には、あなたと同じように赤い血が流れているんだ、と教育されるより、

『このかかしは、鬼なんだ。 それがアメリカ人だ。』

と教えられた方が、槍でつつきやすかっただろう。 『鬼』 だと思えば、槍でつく理由も、自分に納得させやすかっただろう。

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戦争。 わたしたち日本人は、あまりにも多くの事実を知らされていない、と思う。 bebecat さんのブログを読んで、そうか、オーストラリアでも蛮行をはたらいたのか、日本人は。 ということを初めて知った。 中国、韓国、フィリピン、 ・・・ 日本人が、どの国で、何をしてきたのか、ということを、わたしたちはあまりにも、教育されていなさすぎる。 もっと、『わたしたちの祖先が、他国にしたわるいこと』 に目を向むけても、いいのではないか。

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わたしは、四十才になって、『自分のしてきたこと』 を振り返り、『なんて残酷なことを人にしてきたんだろう』 と思うことがある。 でも、わたしはそのようにしか生きられなかったし、それが、最善の生き方だと、信じていた。 それ以外の生きかたは、わたしにはできなかった。

ニッポン、という国も、もしかしたら、そうなのでは、と思う。 『ニッポン』 という、あまりにも小さな島に住む、『ニッポンジン』 という民族は、少しでも、自分たちの領土を広げなければ、自分たちの未来が、おびやかされるに違いない、と思い込んだのではないだろうか。 それには、少しでも多くの、『ニッポン以外』 の領土を、自分たちの領土にする必要があった。 そこを、自分たちの領土にするためには、そこに住んでいる人たちを、殺してしまうしかなかった。 それが、『ニッポンジン』 が幸せに暮らしていくための条件である、と思い込んだ。 未熟だった、ということばで、片付けてはならない。 でも。 国、が成熟するために、未熟な経験が必要だったのかしれない。 わたしと同じように。

悲しい。 悲しくてたまらない。 そうやって、わたしたちの祖先 『ニッポンジン』 に、殺されてしまった、多くの人たちのいることが。 

悲しい。 悲しくてたまらない。 そうやって、わたしたちの祖先が、ほかの民族を、ほかの国民を、殺してしまったということが。 それが、生きていく最善の道だ、としか思えなかったことが。

悲しんでいても、過去を消しゴムで消してしまうことはできない。 『事実は事実』 として、認めなければ。 そして、相手が、『もういいよ』 というまで、あやまるしかない。 それを、ニッポンはしているのか。 

今までにわたしが傷つけた、たくさんの方々へ。 ほんとうにごめんなさい。

今までにニッポンが傷つけた、たくさんの国々の方々へ。 ほんとうにごめんなさい。

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戦争は、それを起こす側にも、受ける側にも、『被害者』 はすでに、存在する。 もう、こんなことは、やめにする時期に来ているはず。 もうそろそろ、もうひとつ、上の境涯に、進んでいくべき時にきているはず。 わたしたちは、みんな、

『宇宙船 地球号』

という、ひとつの、ほし、に乗り合わせた、地球市民なのだもの。 言語がちがっていても、民族がちがっていても、国籍がちがっていても、信じるものがちがっていても、わたしたちは、同じほしに生まれ合わせた者どうし。 必ず、共存しあえる道があるはず。

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小さい頃、母に聞いたことがあった。

ねえねえ、ほとけさま、て、ほんとうにいるの。
さあねえ。 かあちゃんは、いるような気がするけどねえ。
え、ほんと? じゃあさ、どこにいるの。

母は、自分の胸をさした。

この時のことを思い出すと、胸が震える。 熱くなる。 わたしたちが祈っていること、そのものだからだ。 母親は祈っている人ではなかったけれど、ちゃーんとそのことを知っていたのだ。 わたしたちは、『ひと一人一人の中にほとけがある』 ことを信じて、それを信じるために、祈っている。 わたしの中にも、あなたの中にも、子どもたちの中にも、隣に住む人の中にも、苦手なあのひとの中にも、いま、ここに生きているもの、すべての中に、ほとけがいる。 それに、みんなが気がついたとき、この世の中は、平和になるのに違いない。 この世の中が平和になる、とはつまり、この世にいる、一人一人のこころの中が平和になる、ということだ。 気の遠くなるはなしだ。 でも、世界が平和になるためには、それをみんなが、理解するしかない。 

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『宇宙船 地球号』 乗組員のみなさま。 宇宙というほしを、いまこそ、戦争のない、平和なほしにいたしましょう。 
あなた、の中にいる、ほとけ、を信じること。 ここから、世界平和への第一歩が始まる。 わたしは、そう信じている。 そう信じて、生きていることが、そう信じて祈れることが、わたしはうれしい。

戦争つながりで TB !
Anzac Day by bebecat
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by kyotachan | 2007-05-08 15:43 | お い の り | Comments(5)

ロイック ルフェルム


長女が、*CP(セーペー)に入学する時だったから、今から約三年前。 
フランスには、入学式がない。 学校の初日は、なーんとなく、わさわさしながら親子ともども校庭に入り、なーんとなく振り分けられたクラスを見つけ出し、、なんとなーく子どもたちが教室へ入って行くのを見届けながら親は退散する、という格好になる。 その、わさわさしている校庭に、赤ちゃんをおんぶした男の人がふら~っと入ってきた。 長髪でブロンドだ。

「へー いるんだなー おんぶする人。」

そう思った。 経験のある方にはおわかりだろうが、赤ちゃんをおんぶする、てなかなかの重労働。 わたしには、子どもが歩き出す前、どうしてもしなければならない、という事態以外は、避けたいことだった。 だって重たいもん。 でもこの人、どうみても二歳くらいの男の子を、ひょい、て軽々とおぶっている感じで、なんとなく印象に残った。

長女が入ったクラスに、イネスがいた。 長女と大の仲良しになった。 ふたりが一緒にいると、こちらまで幸福感に満たされる。 そんなふたりだ。 手遊び歌、小さい時に、やったでしょう。 フランスにもある。 それをふたりでやる。 息が合っている。 合いすぎている。 一瞬、よりもっと短い時間の、呼吸が合っている。 見ていて嬉しくなる。 お泊りもした。 ウチにも来た。 六歳でいい友達に会う。 いいなあ。 わたしにはその頃の友達、もういない。 ずーっと、仲良しでいてほしい。 長女の幸福と同時に、イネスの幸福をも祈ってしまう。

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イネスのママ、ヴァレリは、プロのバレリーナだった。 いろんな国で踊って来たらしい。 イネスのために、お教室を開くから、いかが、と声をかけてもらった。 このときの喜びようを、どう表現していいかわらない。 母親として、ただただうれしかった。 長女はとにかく、バレエをやりたい、とその二年位前から、ことあるごとに、言っていたのだ。 図書館からバレエの本を借りてきて、じーっと見たりしていた。 バ レ エ 。 費用、がねー。 ずっと、先延ばしにしていたのだった。 お月謝は、保険代とわずかな金額だった。 「イネスのためにやるのであって、営利が目的ではないから」。

ヴァレリとおしゃべりしている内に、夫のロイックは、『グラン ブルー』 ジャック マイヨール の後継者とされる人物だということがわかってきた。 あの日、イネスの弟、ノエをおんぶしていた人だ。 

「今度、仕事で日本に行くかもしれないのよ。 『グラン ブルー』 『ジャック マイヨール』て、日本でも有名でしょ。」

確かに、ジャック マイヨール の後継者、て注目を浴びそうなキャッチフレーズだ。 ロイックの家族が、日本に行き、そこで仕事をしたり、バカンスを楽しんだりすることを想像すると、なんだかわくわくした。 

2005年年末、ニース市内で引越しをしたわたし達は、転校を余儀なくされた。 間もなく、ロイックとヴァレリは少し田舎の方に一軒家を購入して、イネスも学校を変わった。 それでも長女とイネスの友情は今も続いている。 ある日、我が家の電話が点滅している。 イネスから、長女へメールが来ていた。

「Tu me manques. (チュ ム モンク)」

日本語に訳せば、「さみしい」 とか 「会いたい」 とかに置き換えられるだろう、このフレーズ。 直訳すれば、「わたしの中にあなたが欠けている」、ということだ。 イネスはとても繊細で、ウチにきた時に、歯が痛み出して泣きだす、ということが一度ならずあった。 新しい学校で、長女ほどに仲良くなれる友だちがいないのかな、と胸が痛んだ。

イネスから長女にメールが来たすこしあと、学校のない水曜日に一緒に遊ぼう、とヴァレリから電話があった。 その日は朝から長女を迎えに来てくれて、夕方また、送り届けてくれた。 

「心理学の勉強を続けて、心理療法士になるつもり。 自分でキャビネを開くことだってできるし。」

というような話をした。 彼女はいつもダイナミックでおそろしく気持ちがいい。 からだは鍛え抜いている人の緊張感があふれている。 ノエを出産後に始めたテコンドーは、今や黒帯だ。

ロイックは、たびたび公の場で見かけた。 それは、ローカル新聞だったり、ローカルテレビのニュースだったり、スポーツショップのカタログだったり。 一度はフランス全国に流れているスター養成番組 『スターアカデミー』 に、一日講師として出演したこともあった。 どれもこれも、「海に潜る」ことの延長線上にあるもので、彼、あるいはヴァレリを含めて彼ら、と言ってもいいかもしれない、彼ら、にとってみたら、どうでもいいことのようだった。 たとえば、「見たよー新聞」 「すっごいねー スターアカデミーの講師するなんてー」ということをこちらが言っても、「え、新聞に? あら、見てないわわたし」 「ああスターアカデミーねー。 あれ、見てるの? わたしたち、見てないのよー」 という具合だ。

ロイックは、潜水の世界記録を三回、塗り替えている。 モットーは「ノーリミット」。 もっと深く。 もっと遠くへ。 どこまでも。 もっと。 もっと。

四月十一日。 長男がテコンドーの教室に通う日。 テコンドーのパーク先生が、わたしを見るなり・・・
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by kyotachan | 2007-04-13 21:41 | お い の り | Comments(8)

Trets (トレッツ)


ニースから西に向かって約百五十キロ。 高速飛ばして、車で約一時間半。 トレッツ、というところに、お祈りの場所がある。 欧州研修道場、とういう名前の通り、ヨーロッパ各地から、お祈りの仲間たちが集まってくる。 フィンランドなど、遠方から来て、一週間、泊まっていく人たちもいる。 お祈りの仲間たちは、現在、百九十カ国 ・ 地域にいる。

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今日は、新しいお祈りの仲間、ジョエルのお祝いにやって来た ・・・ ジョエル て ?
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by kyotachan | 2007-04-03 16:30 | お い の り | Comments(5)

九年たちました


祈る、ことを教えてくれたのは、わたしのダーリン。 


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最初は反発した。 いや、「反発した」、というような、生半可なことばではすまされないほど、いやでいやでたまらなかった。 彼が所属していた(今はもちろんわたしも所属している)、その祈りのグループのことが、嫌いだったからだ。 嫌い、というよりこれは、ほとんど「アレルギー」とも呼べるほどで、カラダ中が、脳みそが、血管が、それを拒絶しているように感じていた。 彼から、その話を聞かされた日、わたしの頭の中はまっしろ。 いや、まっくろ、だったか。 とにかく、絶体絶命。 別れよう。 別れるしかない。 と こころに強く、誓った。

わたしは、なぜ、そんな「アレルギー」を抱えていたのだろう。 今となっては不思議なくらいだ。 わたしが知っていたのは、週刊誌上で語られる、そのグループのスキャンダルの類。 それを百パーセント鵜呑みにしていた。 グループの代表者が、女性をレイプした、という記事を、うわーっ いやだーっ とまるまる信じ込んでいた。 「活字 = 真実」、おそらく、そういう思考回路ができていたんだろうな。

別れる、と強く誓ったはずなのに、別れなかった。 一緒に暮らし始めた。 彼は、祈る。 基本的に朝と晩、一日二回。 長女を妊娠して、仕事をやめたのと同時に、わたしも彼の真似をするようになった。 どうして? どうしてだろう? ただ、なんとなく。 ダーリンはただの一度もわたしに、祈ることをすすめさえしなかったのに。

不思議だねえ、祈ると、ほんとうのこと、が見えてきた。 そのグループに関する、週刊誌の記事がデマばかりであることが、だんだん分かってきた。 「刷り込み」されていたのだ。 これは効果的だねー。 デマだろうがなんだろうが、活字になって、国中にその情報が流れると、それが事実がどうか、という確認作業はされず、なーんとなくそうなんだろうなー、 てそのことを頭の中に刷り込んでいく。 脳みその中に。 血管の中に。 なんども、なんども、同じような記事を、週刊誌の見出しに載せる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 何十年にもわたって。

いまや「祈り」はわたしの生活の基本だ。 ぬかすと、変な感じ。 祈り始めた頃は言い換えれば、初めての子育てが始まった頃だ。 八王子に引っ越したばっかりで、長女を病院に連れて行くのも必死だった。 

「病院に着いたら、わたしが駐車しやすい場所が空いていますように。 長女がいい子で予防接種を受けてくれますように。」

そんなことばかりを祈っていたように思う。 今も、自分の叶えたいことを祈るのは変わらない。 でもそれと同時に、とても自然なこととして、「世界の平和」をも祈るようになった。 なんだろうね? 「世界の平和」、て。 わたしはそれは、「世界中の人々のこころの中が平和なこと」、だと思う。 「世界中の人々のこころの中が平和になる」、ためにはどうすればいいんだろう。 わたしは、「世界中の人々の中の一人」である、わたしの友人のこころが平和になるように、と祈っている。 世界の平和は、そこからしか始まらない。

祈り、を知らないまま、わたしの一生を終えてしまっていたら、と思うと、ぞーーーーっ としてしまう。 きっと、いろんなことが理解できずに、うんうん、うなって一生を送っていただろうな。 この先、わたしにどんなプレゼントをくれることがあっても、この「祈り」というプレゼントには絶対かなわないよ。 
ダーリン、人生最大のプレゼントをどうもありがとう。
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by kyotachan | 2007-03-23 19:19 | お い の り | Comments(0)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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