f0136579_2223630.jpg

我が家の長女さん、土曜日は毎年恒例のダンスコンクールで外泊。
日曜日の午後にようやく戻ったと思ったら花束を抱えていた。

母の日だって!

した三人からは朝からビズ攻めにあっており、
今日はそんな日だったなあとぼんやりとは思っていた。

十八のムスメから花束をもらう五十のお母さんになっていた。
いつの間にかわたしったら!












f0136579_2224728.jpg

一本一本、それぞれ違う。なんと、九本!>わたくしのラッキーナンバーです。










f0136579_223452.jpg

手の込んだ模様!




















ありがとうありがとうありがとう~。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

周りからは「母の日どうだった?」と聞かれます。浸透度高し。フランスの母の日。

[PR]
by kyotachan | 2016-05-30 22:14 | 六 人 家 族 | Comments(4)

vapeur ヴァパァ/ 湯気






f0136579_042651.jpg

わたしの母親は夕食の準備をするとき、
たとえば副菜を一品だけ、早い時間に、たとえば四時ごろに作っておく、
ということがよくあった。

それはひじきとこんにゃくの煮物だったり、
きんぴらごぼうだったりした。

その手の副菜をいれるお茶碗(というのか?)は、
忠えもんのもの、と決まっていた。

ウチの近所にあった小さな窯元・忠えもんさんの焼き物は(ウチのほうでは、陶器一般は焼き物、と呼ばれていた)
一見荒削りなのだけど、ほっこりと温かい作風で
値段も手ごろだったことから
母は一時、忠えもんさんに足繁く通っては色々と買ってきていた。

出来立ての、ひじきとこんにゃくの煮物が忠えもんの中でゆげを立てている。
このお茶碗はふたつきだったから、とても便利だったのだと思う。

四時、といえば、ちょうど小腹のすくころで、
わたしは、がまんできずにおはしを持ってきて勝手に食べてしまうことがあった。

最初はもちろん、ちょっとだけのつもりなのだけど
気がつくとわたしはたいてい、それを全部食べてしまっていた。

それを見た母はくすりと笑って
「なんねキョータちゃん。ひとりで食べてしもうたとね」
というくらいだった。

夕食のおかずに作ったものを早々に平らげられてしまって、
母は困らなかったのだろうか?









だいこんの皮とにんじんできんぴらを作った。
だいこんの皮の苦味にひとかけら入れた唐辛子がぴりりとからんでいい感じ。

こんな無駄のない料理をすると、
わたしってけっこうできる主婦じゃん?
と自分をほめてやりたくなる。

なにせ普段は無駄の多い主婦なだけに。


































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ




[PR]
by kyotachan | 2011-11-26 00:56 | 五 人 家 族 | Comments(5)

bébé ベベ/ 赤ちゃん


f0136579_2165421.jpg

わたしは小さいころ母によく、
あんたは恭太ちゃんが死んだから生まれたんよ
といわれた。

恭太ちゃん、というのはわたしより二年前に生まれた、両親にとっては三人目の子どもで、
未熟児だったために生後一日で死んでしまったのだった。

その頃のわたしは、「赤ちゃんは神さまがつれてくるものだ」と信じこまされていた。
年のころは幼稚園生か、小学校の一年生か。

「恭太兄ちゃんが死んだからわたしが生まれた」のであれば、
「神さまはどうやって恭太兄ちゃんが死んだのを知ったのだろうか」、
というのが当時のわたしの大いなる疑問だった。

なんでだろうなんでだろう、とずっと疑問だったのだが、
それは聞いてはいけないことのような気がして、どうしても聞くことができなかった。

ある日、母親が例のごとく「恭太ちゃんが…」と話をはじめたので、
思い切って聞いてみた。

恭太兄ちゃんが死んだけん、うちが生まれたとやろう?
でも赤ちゃんは神さまがつれてこらすとやろう?
じゃあどげんして神さまは恭太兄ちゃんが死んだってわからしたと?

一瞬、か、二瞬、くらいの間があり、
となりで聞いていた父親の、

お、キョータのむずかしかことばいいよるばい。

で一座は笑いに包まれ、それでおしまいになってしまった。

わたしは、ああ、やっぱりこれは聞いてはいけないことだったのだ、
と、父のいうところの「むずかしい」質問をしてしまった自分を恥じた。

思えばわたしが小さいころはたくさんの「タブー」があり、
わたしの両親はなんとかそれらをごまかして子どもに伝えていた。

確かにわたしは、そのようにしてうまくごまかされていたのだけれど、
あとになって真実を知ったときも、
やはりこれはごまかすしかなかったのだろうなと妙に納得もした。

わたしはどうだろうか。

少なくとも赤ちゃんの問題については、
わたしたち両親が愛し合い
その結果赤ちゃんがわたしのお腹に宿り
子どもたちはわたしの足の間から出てきたことになっている。

長女が、長男の出産に立ち会ったことも大きい。

愛し合う、がどういう行為なのかも、
おそらくこどもたちはあらゆるところで映像を目にしているはずだ。

正しい性教育を、などという高尚な気持ちからではなく、
神さまだのという単語を持ち出すのが面倒くさいから、というのが正直なところだ。

神さま、の話はわたしにはとてもむずかしい。































友人とビーチでピクニック。寿司になる具がなく、おにぎり。のり、うけたよ。ありがとう!
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

酢飯だったのでしょうゆも持参。こちらではおにぎりも「寿司」扱い。



[PR]
by kyotachan | 2011-08-29 21:49 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(13)





f0136579_23344422.jpg

小学校三年生のときのクラスメート、エミちゃんには、
ずいぶん年の離れたお姉ちゃんとものすごく小さな弟がひとりづついた。

おうちは車の修理やさんで、エミちゃん家に遊びに行くと
修理工のお兄さんがおんぼろの、
だけど今思えばおそろしいくらいかっちょいいオープン・カーでわたしの家まで送ってくれたものだった。

エミちゃんもわたしもお手紙を書くのが好きで、
教室の中で渡しあうのにあきて、実際に切手を貼って、送りあった。
毎日学校で会う友人に、わたしはどんな手紙を書いていたのだろう。

ある日エミちゃん家に遊びに行くと、
おいしそうなショートケーキを出してくれた。

エミちゃんのお姉さんはおそらく当時高校生くらいだったのだと思うのだが、
わたしたちにケーキを分けてくれながら、

「うち(わたし)?うちが食べるわけなかろーもん。太るやろが!」

と笑ったような怒ったような顔でいった。
わたしは心底びっくりした。

太るから、という理由でケーキを食べないんだって!
それはあまりにも新鮮で衝撃的なせりふだった。









小学校五年生のとき、クラシックバレエの教室に通っていたわたしを
母親がバレエ公演に連れて行ってくれたことがある。

東京まで二人で夜行の寝台列車に乗った。
母親と二人きりで旅行したのはそれがはじめてだった。
そしてそれが最後になってしまった。

わたしが小学校五年生というと二人の兄は高校生だ。
父親と兄たちを、母親はどう説得したのか。
おそらく一度だけ、娘に本場のバレエを見せてやりたいといってくれたのだったと思う。

いくらしたのかは覚えていないが
母親は高価なチケットを一枚だけ買った。

「終わるころにはここで待っちょるけん」

母親は大きな劇場の前でわたしにそういった。
どこで待っているのか不安に思ったわたしの気持ちを察したらしく、

「心配せんでよかよ。母ちゃんはちょっと行きたかところのあるけん」

そう付け加えた。

戻ってきて、どこにいっとったと、と聞いても
母はどこへ行っていたかはとうとうわたしに明かさなかった。

その日の夜は母の看護学校時代の友人の家に泊めてもらった。
食事は外で済ませてお邪魔し、お風呂だけをいただた記憶がある。

「せっかくだから写真を一枚撮ろうよ」

母だったか、母の友人のほうだったかが言い出し、
寄せてもらった座敷で写真を撮ろうというとき、
母の友人がお嬢さんに声をかけた。ほら、あんたも入りなさいよ、という感じに。
はたち前くらいだったと思う、そのお嬢さんが言った。

「やだよー!化粧もしてないのに」

このせりふもわたしにはとても新鮮で衝撃的だった。









わたしはわたしもいつかは、
太るからケーキは食べない、といってみたり、
お化粧してないから写真には写りたくない、という日が来るのだろうな
とこころのすみっこでなんとなく期待していたような気がする。

そんなせりふを言うのは、どこか大人の女の人のような気がしていた。

今頃になって、ふとこのふたつのせりふが頭によぎり、
ああ、わたしにはついに、どちらのせりふもいわないまま、この年になってしまったなあと思った。

わたしは大学に入学したときに、近所の化粧品やさんで、
「お化粧道具」一式をそろえてもらったのだが、
それだけで満足して、それを使う気にはならなかった。

それでも時期がくればわたしだって一人前に
お化粧したり、おしゃれをしたり、を楽しむに違いないと思ってもいた。

大学生だったか、もう就職したあとだったか、
母親の化粧品の買い物につきあったことがある。

そのときお店の人に何かを聞かれた母親が、
「ああ、うちの娘はねえ、ぜーんぜん、興味のなかごたっとですよねえ」
そんな風に答えたのを聞いて、ちょっと心外だった。

わたしはとっさにこころの中で言い返した。
いや、興味はあるのよ興味は。ただ、その時期がまだ来ていないだけ。

わたしはずっとそう思い続けていたのだが、
はたして母親の予言(?)はぴたりと当たり、
五十を意識するこの年になっても、
お化粧にもおしゃれにもとんと興味を持てないままだ。

服装は基本的に十代のころから T シャツ・G パン。
子どもが三つくらいになったころ、
ママ友が「最近またスカートはけるようになってうれしい」というのを聞いて、
あれ?そうなんだっけ?スカート、はくんだっけ?
とトンチンカンなことを思った。

わたしは子育てをしているからとしょうがなく T シャツ・G パンの格好をしているわけではなく、
子育て以前、結婚以前からずっと子育てに最適な格好をしていたのだと気づき、
なんだかおかしくなってひとりで笑った。
まさかそれが理由で四人もの子どもたちに恵まれたわけでもないだろうが。










二、三年前から、頭の分け目から飛び出す白髪が気になって仕方がなかった。

白髪染めをしてももって三週間。
三週間を過ぎるとまた染めなくてはならない。

いっそのこと、刈ってしまいたい。

家族に何度もその話題を向けても
そのたびに反対される。

わたしは自分の髪の毛がだんだん、汚れていて、不潔なものに思われて仕方がなかった。
きたならしいものを頭にのっけているようでとてもいやでしょうがなかった。

ひと月ほど前、とうとう夫が、
「ほんとうに本気なのね?」
といって、バリカンで刈ってくれた。

中学生のころ「四大巨頭会談」の代表にされたくらい、
巨頭には悩まされてきたのだが、
その大きく膨らんだわたしの頭に、わたしはついに対面した。

わたしは新聞紙に山盛りになった自分の髪の毛を見下ろし、
きたならしいものから開放されて、ただただうれしかった。

計算外だったのが、子どもたちの反応。

長女はわたしを見るなり、目に涙さえ浮かべていった。
「どうしてママ?なんでママ?そんなこと、どうやって思いついたの?」

そういわれても、わたしとしては髪型を変えたくらいの意識しかない。
どう答えろというのだろう。

三女は「ママ、頭にスカーフ、まいた?」
とわたしが頭にスカーフを巻くのを確認してからでないとこちらを向いてもくれない。

長男や次女も「t'es moche, maman ! テモッシュマモン/ ママ、みにくい!」とようしゃがない。

丸坊主になったママがよほどおそろしかったらしい。
まあそれもひと月ほどたって、ちょっと落ち着いてきた。










そして驚いたことに、髪の毛を刈ってからというもの、
頭皮からの発汗が増えた。

最初は髪の毛がないのだから、と石けんで頭をこすっていたのだが、
そうすると、中学だか高校だかに、男子生徒からただよってきた、
あの、汗くさ~い、ツン!とするにおいが、「自分から」してくるのだ。

そして、首の後ろに、あせもをたくさん作った。

わたしはもともとじゅうとくなほどの汗っかきではあるのだけど、
今までは頭髪によってそれを押さえ込んでいたのだろうか。

どういう理由からなのか、今まで以上に汗をかくので、一日に何度もシャワーを浴びてしまう。
髪の毛がないから、それもあまりに手間にならず、快適なんである。









刈りあがった髪の毛は、はたして、ほとんどが真っ白だ。
ああ。こんなにも白い髪の毛を、黒くしようとしていたんだなあ。
そう思ったら、申し訳なくなってきた。

髪の毛が白くなりたいといっているのだもの。
白いままにさせてやればいいだけの話じゃないか。

美しくいることよりも自分の快適さだけを重視して生きてきた。
食べたいものを食べ、気持ちのいい格好をしていればそれだけで満足だった。
それでもいつかはわたしももっとおしゃれに興味を持つはずと思って生きてきた。

刈りあがった、半白、というよりほとんど白い頭を見ながら、
いやあ、わたしはもう、このまま変わらないんだろうなあと思う。
































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ




[PR]
by kyotachan | 2011-07-14 01:52 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(14)




f0136579_2575764.jpg


耳の後ろもちゃんと洗った?

わたしは母親にこういわれた記憶がないのだが、
NHK でやっていたアメリカの番組「大草原の小さな家」の中で、
たらいにお湯をはって体を洗っているローラとメアリーのところに、
笑顔のすてきなお母さんがやって来て言うのだった。

耳の後ろもちゃんと洗った?

わたしの育った家では、テレビは夜の八時まで。
父親のいる時は、有無を言わさず父親にチャンネル権があり、
それは、正座まではしなくとも、少なくとも「集中して見る」ものだった。
家族でだらだらとテレビの前で過ごすことはありえなかった。

父親は NHK を好んだ。
単に「(父親にとっては)くだらない」コマーシャルがない、
という理由だったと思う。

そんな父親が好きだったのが「大草原の小さな家」だった。

素朴でまじめで勤勉なお父さん。
美しくてやさしいお母さん。
かわいい子どもたち。

生活はまずしいが充足した人生を送るこの一家が
父親は気に入っているらしかった。

父親のお墨付きで堂々と見れる番組はあまりなかったから、
わたしは嬉々として見た記憶がある。

その時もわたしたちは家族で見ていた。
わたしは母親に向かって聞いた。

なんで耳の後ろなの、と。

なんで耳の後ろのことだけをお母さんは確認したのか、
わたしには不思議だった。

なぜ足の間じゃなくて耳の後ろなのか。
よごれているだろう足の間のことだったらまだわかる。
わたしの母親は湯船の中でわたしの足の間にちょいと手の指を入れて、
ちゃんと洗ってあるか、確認したものだった。

しかし耳の後ろって、そんなによごれるものだろうか。
そしてそこをちゃんと洗ったかどうか、確認しなくちゃいけないのだろうか。

隣りで見ていた母親にたずねると母親は言った。

耳の後ろ、て自分では見えんけん、きれいになったかどうかわからんやろ。
そいけん、お母さんがちゃんと見てやらすとやろ。
そいに、耳の後ろのきれいになっとったら、まず他もちゃんと洗えとるってことやろう。

わたしはそれまで、そんなこと思ってもみなかったからびっくりした。
それでまた母親に聞いた。

でも、お母さん、いっぺんもそげんこと、言うたことなかよね。

ありゃ、そうじゃったかね。
キョータの耳の後ろはちゃんときれいになっとるよ。

母親はそんな風にいい、そのあとはつとめて
「耳の後ろは洗うたね」と言ったりもしたが、
それはわたしにはなんだか付け足しのように思えた。

ずっと、なぜ耳の後ろなのか、という思いは消えなかった。













f0136579_414378.jpg


この季節、日中は日当たりのいい子ども部屋へ PC を移動して、
PC はもちろんのこと、洗濯物をたたんだり本を読んだりするのも、
なるべくその暖かい部屋でするのだが、
夫が部屋に入ってきたかと思うといきなり、言った。

うわっ(ここだけ日本語の感嘆詞)、耳が、、、、まっくろ!

いつもこの調子でわたしをからかうのが常な人なので、

あら、そう?昨日もちゃんと綿棒でそうじしたんだけど、

とクールに対応したのだが、
わたしの耳がまっくろ、なのは本当だったらしく、
夫は綿棒を水で湿らせてきて、かいがいしくわたしの耳そうじを始めた。

その綿棒の動きからすると、
耳のまわり、つまり、
耳の穴ではなくて、外側が、まっくろ、らしい。

茶色に染まった綿棒を見て、
お互いにもう答えはわかっていた。

わたしはその三日ほど前に、
髪を自分で染めた(もちろん白髪染め)。
そしてそのあと、染料が落ち着くまではと
シャンプーをがまんしていたのだった。

普通はその日か翌日にはかゆくなってシャンプーするのだが、
今回はなぜか、もう一日がまんできそう、と三日もたっていた。

もちろん体の方は毎日シャワーで流しているのだけど、
頭をぬらしたくないために、耳を洗うことなど正直思いつきもしなかった。

自分の顔だって、鏡を使わなければ自分で見ることはできない。
しかし、顔は鏡をのぞけばそこに映ってくれる。
耳の後ろは、鏡をのぞいただけでは映らない。

そう、わたしはこの年になってはじめて、
耳のまわりは自分の目では見えないから、
鏡をのぞいてもそこに簡単には映ってはくれないから、
だから、たとえば白髪染めの染料が残っているのに気がつかなかったりするから、
というより、耳がまっくろでも人に言われるまでそんなことを夢にも思わない状態になるから、
それだから、なにがなくとも、たとえシャンプーはしなくとも、特に念入りに洗わなくてはならない、
耳の後ろだけは。ついでに耳の前とか横とかも。ということを実感として知ったのだ。

もしかしたらローラとメアリーのお母さんは、
娘たちの将来をすでに憂えて、言ったのではなかったか。

耳の後ろもちゃんと洗った?

たらいの中で体を洗うあなたたちには想像もつかないだろうけど、
あなたたちもいずれ、白髪染めをする日が来るわ。
それはね、耳の周りに張り付いて気づきにくいものなのよ。
だからね、今のうちから、耳の後ろだけはしっかりと洗う習慣をつけておくの。
そうすれば、まっくろな耳になったりはしないから。

ぞっとした。

耳のまっくろな、
中年のおばさんに会った、
数人の人たちを思いながら。

その三日間の間に、
わたしは何人もの人と接触しているのだ。

ああ、耳のまっくろなやつだと思われたな。
実際、まっくろだったのだからしょうがない。

なんて耳のきたないやつなんだ。
これだけ耳がくろいってことはどこもかしこもくろいんだろうな、
たとえばそれは体だけじゃなくて、腹の中とかも?
そんな風に思われてしまったような気がする。

耳の後ろだけは、しっかり洗わなくちゃ、とこころに決めた。


























すみませんすみませんすみません。耳のまっくろなやつでどうもすみません。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


キョータもついに「老い」と戦うごとなったばい。永遠のオリーブ少女のつもりやったばってんねえ。>え?

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2011-01-26 04:30 | 喜 怒 哀 楽






f0136579_21241572.jpg


母親がファンだったこともあって、
向田邦子は帰省するたびに読んでいた。

わたしも夢中になって読んだ記憶がある。
もう三十年近くも昔のことになってしまった。

Ginger さんからまた本が送られてきた。
向田邦子の随筆集が何冊か入っていた。

表紙に見覚えがあるし、
確かに読んだ記憶もあるのだが、
今回、初めて読む本のように新鮮な気持ちで読んだ。
はたして三十年前はどのくらい理解していたものやら、とも思った。

弟さんの向田保雄さんの書いた「姉貴の尻尾」も入っていた。
こちらは初めてで、読みながらおいおい泣いてしまった。

向田邦子の随筆集も、
何も泣かせる話ではないのに、
泣けて泣けて仕方がない。

台所の片隅でひとり、
ぐじゅぐじゅ言いながら読んでいる。

向田邦子と母親はおない年だった。

わたしは母親の生きた時代に
涙しているらしい。

日本が、もっとも日本らしい、
美しい時代だったのだなあなどと思う。

こういう言い方は嫌いなのに、
「昭和はよかったなあ」
と思っている自分がいる。

わたしの生きている時間はいつの間にか、
「昭和」より「平成」の方が長くなってしまった。

今年で、向田邦子が死んで三十年になる。
亡くなったニュースを聞いて、くやしそうにしていた母親の姿が見える。

わたしの母親は、十二年前の今日、亡くなった。

苦しんで苦しんでゆがんでしまっていた顔が、
ついにおだやかになった日でもあった。


























窓から見えたハトが、きょとん、としていてかわいくて。時々洗濯物を汚す犯人でもあります。
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


長男と三女がお休み。ふたりで仲良く遊んでおります。ま、金曜日だしね。風邪の話題は今日でおしまい。>きっぱり。

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2011-01-21 22:05 | 五 人 家 族







f0136579_21572967.jpg




お母さん、覚えちょる?

わたしは三つか四つやった。
いや、もしかしたら五つか六つやったかもしれん。

冬で、寒い風の吹く夜やった。

知らん街で、一緒に銭湯に行ったことのあったよね。
家族旅行はいっぺんもしたことなかったと思いよったけど、
あれは確かに家族で旅行した途中やった。

汽車の乗り継ぎ時間の間に銭湯へ寄ったのか、
あるいはその日泊まるはずのお宅に負担にならないように
家族で銭湯へ行ったのか、
そのへんの記憶はもうまるでなくなっとる。

番台には女の人の座わっとらした。
そしてかなり混んどったよね。

お母さんは

「お湯のきれいかねえ。
感心やねえ」

てしきりに言いよった。

わたしは湯上りで汗ばかいとるとに
毛糸のカーディガンば着せられてから
肌にちくちくしていややったとば覚えとる。

そしてお母さん、銭湯ば出るとき
番台に座っとらした女の人に

「お湯がきれいだったから」

て百円ば渡したとよ。

わたし、びっくいした。
ほんとうにびっくいした。
そして聞いたよね。

「なんで?お湯のきれいかったら百円ばやらんばと?」

「そげんことはなかさ。
ばってん気持ちよかったけん、
百円くらいやろうかね、て思うたっさ。
こんだけ混んどって
お湯のきれいかったとやもん」

その時のお湯代がいくらだったか思い出せんけど、
でも、百円、か、それより安いくらいやった気がする。
そして、百円、は当時のわたしには大金やった。

その頃のおこづかいは十円、とか二十円、で
そいばにぎりしめて駄菓子やに行きよったとやもん。

銭湯に行って、
お湯がきれいやったら出るときに
もう一回、お金を払う。

お母さんが教えてくれたこと、
ちゃんとまだ覚えとる。

ばってん、わたしは、まだしたことなか。
銭湯に行きたかなあ。

もう一回、
お母さんと、銭湯に行きとうなってきた。

<パターン① 方言編>














f0136579_21574894.jpg


お母さん、覚えちょる?

わたしがたしか三つか四つのころ。
いや、もしかしたらもう五つか六つだったかもしれない。

冬で、そして、寒い風の吹く夜だった。

知らない街で、一緒に銭湯に行ったことがあったよね。
家族旅行はいっぺんもしたことないと思ってたけど、
あれは確かに家族で旅行した途中だった。

汽車の乗り継ぎ時間の間に銭湯へ寄ったのか、
あるいはその日泊まるはずのお宅に負担にならないように
家族で銭湯へ行ったのか、
そのへんの記憶はもうまるでなくなってしまった。

番台には女の人の座っていた。
そしてかなり混んでいた。

お母さんは

「お湯のきれいかねえ。
感心やねえ」

としきりに言っていた。

わたしは湯上りで汗をかいているのに
毛糸のカーディガンを着せられて、
肌にちくちくしていやだったことを覚えている。

そしてお母さん、銭湯を出るとき
番台に座っていたた女の人に

「お湯がきれいだったから」

て百円を渡した。

わたし、びっくりした。
ほんとうにびっくりした。
そして聞いたよね。

「なんで?お湯のきれいかったら百円ばやらんばと?」

「そげんことはなかさ。
ばってん気持ちよかったけん、
百円くらいやろうかね、て思うたっさ。
こんだけ混んどって
お湯のきれいかったとやもん」

その時のお湯代がいくらだったか思い出せないけど、
でも、百円、か、それより安いくらいだったような気がする。
そして、百円、は当時のわたしには大金だった。

その頃のおこづかいは十円、とか二十円、で
それをにぎりしめて駄菓子やに行っていたのだから。

銭湯に行って、
お湯がきれいだったら出るときに
もう一回、お金を払う。

お母さんが教えてくれたこと、
ちゃんとまだ覚えてる。

だけど、わたしは、まだしたことがない。
銭湯に行きたいなあ。

もう一回、
お母さんと、銭湯に行きたい。

<パターン②ふつう編>






















母のことを思うときはいつも方言なので、
書くときもつい方言になります。
でも読みにくいかも知れません。

<①>でいくか、<②>でいくか、

みなさんのご意見をお聞かせください。
次回から、どちらのパターンでいくか、
それで決めようと思います。



















ぜひ清き一票、もとい、正直なご意見を。>オネガイシマチュ~。>いつも一言多いです。
ブログランキング・にほんブログ村へ


銭湯、行きたいです。お湯がきれいで、出るときにも思わず払っちゃうようなそんな銭湯。

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2010-11-17 22:38 | なげーやつ | Comments(38)





f0136579_20271282.jpg


母が死んで十二年になる。

これまでにも
母のことはたびたび書いているのだけど
ちゃんと「母のこと」を書きたいなと
ずっと前から思っていた。

そう思ってはいたのだけれど、
どういう風に書いたらいいのか、
考えれば考えるほど
わたしの頭は混乱してしまう。

こうなったら思い出せるかぎりの母との思い出を
ただただ思いつくままに書いてみようと決めた。

わたしと母親との付き合いは三十二年間だった。

三十二年間の母との思い出を
わたしはどう書くのだろう。

なぜだか自分でもドキドキしている。
今日のタイトルに数字をつけていくつもり。






















というわけで、「書いて書いて書きまくれ」第二章のはじまりはじまり~。>また読んでちょ?
ブログランキング・にほんブログ村へ


明日、何からはじめようかなあ。>まだ頭の中、真っ白。汗

恐れ入ります。
[PR]
by kyotachan | 2010-11-16 20:22 | なげーやつ | Comments(20)

bento ベントー/ 弁当







f0136579_2243417.jpg


中・校時代はお弁当だった

わたしはわたしからは一言も発する必要はなく
朝起きるとすでに
ハンカチで包まれた弁当が準備されていた

手前の方に「ごはん」がつまっている約束で
わたしはその方を必ず上にしてかばんに入れた

おかずのつゆがごはんにしみないようという
母の心づかいなのだった

教室に入ると朝の朝礼の前か後かに
購買部から一枚の紙が回ってきて
その日のお昼のためのパンを予約することができた

わたしはついに一度も
このパンの予約表に名まえを書くことがなかった

もちろんお昼時に購買部へ行けば
その日の朝の予約ではけた分以外のパンを買うことはできたから
弁当にプラスしてパンも食べる
ということはあったのだが

弁当のいる日に弁当を持っていかない
という日はついに卒業まで一日としてなかった










f0136579_2252660.jpg


高校に入ってから
中学にあった「朝のパン予約表」はなくなったが
やはりわたしはあいも変わらず
弁当のいる日には母の作ってくれた弁当を欠かさず持参した

ある日
わたしだってパンを食べたい日もある
ということに今さらながら気がついたわたしは

そうだお母さんに弁当はいらないから
と言っておけばいいじゃないかということに思い当たった

ばかみたいな話だけれど
それを思いついた時には
なんて妙案なんだろうと
ひとりで笑ってしまったくらいだ

こうして時々
わたし明日パンにするから
といって母の弁当を断るようになった

当時はもう二人の兄たちは
大学生となって家を出てしまっていて
実家に残っている子どもはわたしひとりだけだった

弁当くらい最後まで作ってやろうじゃい

という決意を母がしていたかどうか
今ではもう確かめようがないけれど

明日パンにするから

とわたしが言うとき
母はちいともうれしい顔をしないのが
子ども心にちょっと意外でそして不思議だった

面倒なことをひとつ減らしてあげたんだから
よろこんだっていいのに

わたしの心の中には
そんな風なごうまんさがあった










f0136579_225492.jpg


わが家の長男はマンガ好きで
あーあーもー
マンガにかける情熱を
もうちょっと他の本にかけてくれるといいんだけど
とぐちが出てしまうくらいなのだけど

好んで読むのはたいてい
日本のマンガが多い

そこで覚えた bento ベントーがいたく気にいったみたいで

ねえねえママ次の遠足の時には bento ベントーにしてよね

とお願いされていた

よっしゃ
そんじゃあおいしい弁当を作ってやらにゃいけんね
と東京の友人にわざわざ弁当箱を送ってもらったりもしたのに

去年学校をかわってから
遠足時のお弁当は学校支給のサンドイッチ弁当になってしまい
弁当箱の出番がなかなかなかった

そしてついに(というほどでもないが)
先週の金曜日
久々のテコンドー教室の日に
お弁当を作ってあげることにした

長男だけのはずが次女までもお教室に行ってしまい
ああひとり分のお弁当をちゃんと分け合って食べただろうか
と心配していたのだが

ちゃんとおはしを一本ずつもって
ひとつのお弁当を二人で分けて食べたらしい

もちろん帰宅後もまた夕食を一緒に食べなおし










実はこれには後日談があって
翌日そうだそうだお弁当箱を洗わなくちゃ
と長男のリュックサックから弁当箱を出すとずっしりと重い

むむむ

なぜこんなにも重いのだ?
といぶかしげに開けてみると
上の段に入ったおかずは完食されているのもの
下の段に入ったおにぎりには手がつけられていなかったのだった










、、、、、ガクッ

ニース育ちの子どもには
ちゃんとお弁当箱の構図を説明するべし
これ今回の教訓
























おにぎりはくんくん匂いをかいでみて大丈夫そうだったのでわたしの胃袋へ。
え?ダイエット?ああありましたねそんな話が、、、汗汗
ブログランキング・にほんブログ村へ


肉・卵・おにぎり・ノー野菜!これが長男弁当完食の鉄則。

恐れ入ります
[PR]
by kyotachan | 2010-09-29 22:55 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(12)







f0136579_1894766.jpg


実家に帰るわ

ということを周りの人たちに伝えるとき
わたしはこころのどこかに優越感を抱えていたなと思う

そして友人の誰かが
同じことをわたしに告げるときは逆に
わたしは口にだすほどではない
それでもジェラシーに似た気持ちを
こころのどこかに抱いたんだよなあと

あ、帰るんだ、いいなあ

そんな風に言ってみたこともあったかもしれない










十八の時に予備校の寮に入ってから
三十を過ぎて母が死んでしまうまで

わたしが「実家に帰る」ことを楽しめたのは
このほんの十年とちょっとの間のことだった

いつでも帰る場所があるというのは
実はとんでもないありがたいことだったのだなあ
などと今さらにして思う

帰ってまず楽しみなのが
母の手料理だった

母は「料理は仕方なく」というのが口癖のような人だったけれど
わたしにとっては今も母の料理がいちばんいいなと思う

父親はまだ働きに出ていたから
昼間は母と二人で食卓を囲んだ

午前中にたいてい二人で市場へ出る

いい魚が出ていれば魚を調達し
かつおぶしは乾物屋で、小豆とごまは豆やで、というのが母親流だった

あー腹ん減ってきたね
キョータちゃんなん食べる?
あっつあつのごはんにさ、もやし炒めてどがんね
もやしばさ、じゅっじゅって炒めたらおいしかもんね
お昼近くになると何を食べるかを聞いてくるのだけど
母親の頭の中にはすでにメニューができあがっているのだった
父親のいない食卓はあくまで質素が第一、というのもまた母親流だった

ひげは、、、
よかやろ
せからしかもん
母親の炒め物は必ず中華なべを使った
味付けは「塩・こしょう」の一緒になった瓶とおしょうゆ

あっつあつのごはんにもやし炒め
そして母ご自慢の糠床でつけたキャベツの芯や人参やきゅうりが並んだだけの食卓だったのに
今もこうして思い出すのは一体どうしたことだろう










f0136579_1810157.jpg


最近こちらでももやしをよく見かけるようになった
週末にアジア食材のお店で見つけたもやしは
五百グラム入って 1€ ≒ 113 yen だった

しゃきしゃきとしたもやし炒めを食べたら
母親と一緒に食べたもやし炒めを思い出した

わたしは唐辛子を入れて辛めのもやし炒めが好きだ
そしてあっつあつの白いごはんがあればこれだけでもう何もいらない

f0136579_18101618.jpg
























わたしが愛用している庶民の味方「Dia(旧Ed)」というスーパーにももやしが時々出ていて
そこは400gで 2.29€ ≒ 260 yen。値段にばらつきがあるなあ。味も↑こっちの方がグーでした。
ブログランキング・にほんブログ村へ


母のことを言いたいのか、もやしのことを言いたいのか、はっきりしなさい!

両方です。恐れ入ります
[PR]
by kyotachan | 2010-09-27 20:39 | 五 人 家 族 | Comments(39)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31