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電話の先で兄が言う。

「イタリアってほとんどのレストランにビンボー・メニューっつーのがあるんよ。
値段が普通の半分くらいで、店のネエチャンを呼んで、ビンボー・メニューってなんやねん!
貧乏人が食うメニューなんかい!て聞いたら、なんか、小盛りになっとるらしか」。

わたしだってイタリアのレストランには何度も入ったことがあるけれど、そのビンボー・メニューとやらには出くわしたことはない。

だけど、貧乏人のメニューって???

電話のこちら側で話を聞きながら、ちりり、と違和感を抱く。
イタリア人が日本語の「貧乏」てことばを知っているの???

「そのビンボーってさ、貧乏ちゃうよ。バンビちゃんとかさ、子ども向けのメニューってことやないかと思うんやけど」

「え、そうなん?」

え、そうなん?て、イタリアで bimbo てことばに貧乏を当てはめるの、あんただけだってば!
今になって兄は兄風のユーモアをかましただけだったのかもしれない、とも思えてきた。

さっそくグーグルで訳してみたらイタリア語の bimbo は「赤ちゃん」と出て来た。

この日はわたしの五十一歳の誕生日。

家族で出かけたタイ料理のレストランもうれしかったけど、
でも兄からもらった一本の電話のうれしさにはかなわない。

電話、またかけてねー!

51 ans dans l'eau

むかーしフランスにはこんなTVコマーシャルがあったそう。
51 cinquante et un / サンコンテアン はパスティスというお酒。

今年は水を得た魚のごとく、楽しく泳ぐぞ。

















写真はついにわたしの背を抜いた我が家の末っ子。
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五十一歳ににして家族でいちばんのちびになってしもーた。








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by kyotachan | 2017-08-05 16:09 | 五 人 家 族 | Comments(8)

vapeur ヴァパァ/ 湯気






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わたしの母親は夕食の準備をするとき、
たとえば副菜を一品だけ、早い時間に、たとえば四時ごろに作っておく、
ということがよくあった。

それはひじきとこんにゃくの煮物だったり、
きんぴらごぼうだったりした。

その手の副菜をいれるお茶碗(というのか?)は、
忠えもんのもの、と決まっていた。

ウチの近所にあった小さな窯元・忠えもんさんの焼き物は(ウチのほうでは、陶器一般は焼き物、と呼ばれていた)
一見荒削りなのだけど、ほっこりと温かい作風で
値段も手ごろだったことから
母は一時、忠えもんさんに足繁く通っては色々と買ってきていた。

出来立ての、ひじきとこんにゃくの煮物が忠えもんの中でゆげを立てている。
このお茶碗はふたつきだったから、とても便利だったのだと思う。

四時、といえば、ちょうど小腹のすくころで、
わたしは、がまんできずにおはしを持ってきて勝手に食べてしまうことがあった。

最初はもちろん、ちょっとだけのつもりなのだけど
気がつくとわたしはたいてい、それを全部食べてしまっていた。

それを見た母はくすりと笑って
「なんねキョータちゃん。ひとりで食べてしもうたとね」
というくらいだった。

夕食のおかずに作ったものを早々に平らげられてしまって、
母は困らなかったのだろうか?









だいこんの皮とにんじんできんぴらを作った。
だいこんの皮の苦味にひとかけら入れた唐辛子がぴりりとからんでいい感じ。

こんな無駄のない料理をすると、
わたしってけっこうできる主婦じゃん?
と自分をほめてやりたくなる。

なにせ普段は無駄の多い主婦なだけに。


































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by kyotachan | 2011-11-26 00:56 | 五 人 家 族 | Comments(5)

bébé ベベ/ 赤ちゃん


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わたしは小さいころ母によく、
あんたは恭太ちゃんが死んだから生まれたんよ
といわれた。

恭太ちゃん、というのはわたしより二年前に生まれた、両親にとっては三人目の子どもで、
未熟児だったために生後一日で死んでしまったのだった。

その頃のわたしは、「赤ちゃんは神さまがつれてくるものだ」と信じこまされていた。
年のころは幼稚園生か、小学校の一年生か。

「恭太兄ちゃんが死んだからわたしが生まれた」のであれば、
「神さまはどうやって恭太兄ちゃんが死んだのを知ったのだろうか」、
というのが当時のわたしの大いなる疑問だった。

なんでだろうなんでだろう、とずっと疑問だったのだが、
それは聞いてはいけないことのような気がして、どうしても聞くことができなかった。

ある日、母親が例のごとく「恭太ちゃんが…」と話をはじめたので、
思い切って聞いてみた。

恭太兄ちゃんが死んだけん、うちが生まれたとやろう?
でも赤ちゃんは神さまがつれてこらすとやろう?
じゃあどげんして神さまは恭太兄ちゃんが死んだってわからしたと?

一瞬、か、二瞬、くらいの間があり、
となりで聞いていた父親の、

お、キョータのむずかしかことばいいよるばい。

で一座は笑いに包まれ、それでおしまいになってしまった。

わたしは、ああ、やっぱりこれは聞いてはいけないことだったのだ、
と、父のいうところの「むずかしい」質問をしてしまった自分を恥じた。

思えばわたしが小さいころはたくさんの「タブー」があり、
わたしの両親はなんとかそれらをごまかして子どもに伝えていた。

確かにわたしは、そのようにしてうまくごまかされていたのだけれど、
あとになって真実を知ったときも、
やはりこれはごまかすしかなかったのだろうなと妙に納得もした。

わたしはどうだろうか。

少なくとも赤ちゃんの問題については、
わたしたち両親が愛し合い
その結果赤ちゃんがわたしのお腹に宿り
子どもたちはわたしの足の間から出てきたことになっている。

長女が、長男の出産に立ち会ったことも大きい。

愛し合う、がどういう行為なのかも、
おそらくこどもたちはあらゆるところで映像を目にしているはずだ。

正しい性教育を、などという高尚な気持ちからではなく、
神さまだのという単語を持ち出すのが面倒くさいから、というのが正直なところだ。

神さま、の話はわたしにはとてもむずかしい。































友人とビーチでピクニック。寿司になる具がなく、おにぎり。のり、うけたよ。ありがとう!
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酢飯だったのでしょうゆも持参。こちらではおにぎりも「寿司」扱い。



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by kyotachan | 2011-08-29 21:49 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(13)





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小学校三年生のときのクラスメート、エミちゃんには、
ずいぶん年の離れたお姉ちゃんとものすごく小さな弟がひとりづついた。

おうちは車の修理やさんで、エミちゃん家に遊びに行くと
修理工のお兄さんがおんぼろの、
だけど今思えばおそろしいくらいかっちょいいオープン・カーでわたしの家まで送ってくれたものだった。

エミちゃんもわたしもお手紙を書くのが好きで、
教室の中で渡しあうのにあきて、実際に切手を貼って、送りあった。
毎日学校で会う友人に、わたしはどんな手紙を書いていたのだろう。

ある日エミちゃん家に遊びに行くと、
おいしそうなショートケーキを出してくれた。

エミちゃんのお姉さんはおそらく当時高校生くらいだったのだと思うのだが、
わたしたちにケーキを分けてくれながら、

「うち(わたし)?うちが食べるわけなかろーもん。太るやろが!」

と笑ったような怒ったような顔でいった。
わたしは心底びっくりした。

太るから、という理由でケーキを食べないんだって!
それはあまりにも新鮮で衝撃的なせりふだった。









小学校五年生のとき、クラシックバレエの教室に通っていたわたしを
母親がバレエ公演に連れて行ってくれたことがある。

東京まで二人で夜行の寝台列車に乗った。
母親と二人きりで旅行したのはそれがはじめてだった。
そしてそれが最後になってしまった。

わたしが小学校五年生というと二人の兄は高校生だ。
父親と兄たちを、母親はどう説得したのか。
おそらく一度だけ、娘に本場のバレエを見せてやりたいといってくれたのだったと思う。

いくらしたのかは覚えていないが
母親は高価なチケットを一枚だけ買った。

「終わるころにはここで待っちょるけん」

母親は大きな劇場の前でわたしにそういった。
どこで待っているのか不安に思ったわたしの気持ちを察したらしく、

「心配せんでよかよ。母ちゃんはちょっと行きたかところのあるけん」

そう付け加えた。

戻ってきて、どこにいっとったと、と聞いても
母はどこへ行っていたかはとうとうわたしに明かさなかった。

その日の夜は母の看護学校時代の友人の家に泊めてもらった。
食事は外で済ませてお邪魔し、お風呂だけをいただた記憶がある。

「せっかくだから写真を一枚撮ろうよ」

母だったか、母の友人のほうだったかが言い出し、
寄せてもらった座敷で写真を撮ろうというとき、
母の友人がお嬢さんに声をかけた。ほら、あんたも入りなさいよ、という感じに。
はたち前くらいだったと思う、そのお嬢さんが言った。

「やだよー!化粧もしてないのに」

このせりふもわたしにはとても新鮮で衝撃的だった。









わたしはわたしもいつかは、
太るからケーキは食べない、といってみたり、
お化粧してないから写真には写りたくない、という日が来るのだろうな
とこころのすみっこでなんとなく期待していたような気がする。

そんなせりふを言うのは、どこか大人の女の人のような気がしていた。

今頃になって、ふとこのふたつのせりふが頭によぎり、
ああ、わたしにはついに、どちらのせりふもいわないまま、この年になってしまったなあと思った。

わたしは大学に入学したときに、近所の化粧品やさんで、
「お化粧道具」一式をそろえてもらったのだが、
それだけで満足して、それを使う気にはならなかった。

それでも時期がくればわたしだって一人前に
お化粧したり、おしゃれをしたり、を楽しむに違いないと思ってもいた。

大学生だったか、もう就職したあとだったか、
母親の化粧品の買い物につきあったことがある。

そのときお店の人に何かを聞かれた母親が、
「ああ、うちの娘はねえ、ぜーんぜん、興味のなかごたっとですよねえ」
そんな風に答えたのを聞いて、ちょっと心外だった。

わたしはとっさにこころの中で言い返した。
いや、興味はあるのよ興味は。ただ、その時期がまだ来ていないだけ。

わたしはずっとそう思い続けていたのだが、
はたして母親の予言(?)はぴたりと当たり、
五十を意識するこの年になっても、
お化粧にもおしゃれにもとんと興味を持てないままだ。

服装は基本的に十代のころから T シャツ・G パン。
子どもが三つくらいになったころ、
ママ友が「最近またスカートはけるようになってうれしい」というのを聞いて、
あれ?そうなんだっけ?スカート、はくんだっけ?
とトンチンカンなことを思った。

わたしは子育てをしているからとしょうがなく T シャツ・G パンの格好をしているわけではなく、
子育て以前、結婚以前からずっと子育てに最適な格好をしていたのだと気づき、
なんだかおかしくなってひとりで笑った。
まさかそれが理由で四人もの子どもたちに恵まれたわけでもないだろうが。










二、三年前から、頭の分け目から飛び出す白髪が気になって仕方がなかった。

白髪染めをしてももって三週間。
三週間を過ぎるとまた染めなくてはならない。

いっそのこと、刈ってしまいたい。

家族に何度もその話題を向けても
そのたびに反対される。

わたしは自分の髪の毛がだんだん、汚れていて、不潔なものに思われて仕方がなかった。
きたならしいものを頭にのっけているようでとてもいやでしょうがなかった。

ひと月ほど前、とうとう夫が、
「ほんとうに本気なのね?」
といって、バリカンで刈ってくれた。

中学生のころ「四大巨頭会談」の代表にされたくらい、
巨頭には悩まされてきたのだが、
その大きく膨らんだわたしの頭に、わたしはついに対面した。

わたしは新聞紙に山盛りになった自分の髪の毛を見下ろし、
きたならしいものから開放されて、ただただうれしかった。

計算外だったのが、子どもたちの反応。

長女はわたしを見るなり、目に涙さえ浮かべていった。
「どうしてママ?なんでママ?そんなこと、どうやって思いついたの?」

そういわれても、わたしとしては髪型を変えたくらいの意識しかない。
どう答えろというのだろう。

三女は「ママ、頭にスカーフ、まいた?」
とわたしが頭にスカーフを巻くのを確認してからでないとこちらを向いてもくれない。

長男や次女も「t'es moche, maman ! テモッシュマモン/ ママ、みにくい!」とようしゃがない。

丸坊主になったママがよほどおそろしかったらしい。
まあそれもひと月ほどたって、ちょっと落ち着いてきた。










そして驚いたことに、髪の毛を刈ってからというもの、
頭皮からの発汗が増えた。

最初は髪の毛がないのだから、と石けんで頭をこすっていたのだが、
そうすると、中学だか高校だかに、男子生徒からただよってきた、
あの、汗くさ~い、ツン!とするにおいが、「自分から」してくるのだ。

そして、首の後ろに、あせもをたくさん作った。

わたしはもともとじゅうとくなほどの汗っかきではあるのだけど、
今までは頭髪によってそれを押さえ込んでいたのだろうか。

どういう理由からなのか、今まで以上に汗をかくので、一日に何度もシャワーを浴びてしまう。
髪の毛がないから、それもあまりに手間にならず、快適なんである。









刈りあがった髪の毛は、はたして、ほとんどが真っ白だ。
ああ。こんなにも白い髪の毛を、黒くしようとしていたんだなあ。
そう思ったら、申し訳なくなってきた。

髪の毛が白くなりたいといっているのだもの。
白いままにさせてやればいいだけの話じゃないか。

美しくいることよりも自分の快適さだけを重視して生きてきた。
食べたいものを食べ、気持ちのいい格好をしていればそれだけで満足だった。
それでもいつかはわたしももっとおしゃれに興味を持つはずと思って生きてきた。

刈りあがった、半白、というよりほとんど白い頭を見ながら、
いやあ、わたしはもう、このまま変わらないんだろうなあと思う。
































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by kyotachan | 2011-07-14 01:52 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(14)







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お母さん、覚えちょる?

わたしは三つか四つやった。
いや、もしかしたら五つか六つやったかもしれん。

冬で、寒い風の吹く夜やった。

知らん街で、一緒に銭湯に行ったことのあったよね。
家族旅行はいっぺんもしたことなかったと思いよったけど、
あれは確かに家族で旅行した途中やった。

汽車の乗り継ぎ時間の間に銭湯へ寄ったのか、
あるいはその日泊まるはずのお宅に負担にならないように
家族で銭湯へ行ったのか、
そのへんの記憶はもうまるでなくなっとる。

番台には女の人の座わっとらした。
そしてかなり混んどったよね。

お母さんは

「お湯のきれいかねえ。
感心やねえ」

てしきりに言いよった。

わたしは湯上りで汗ばかいとるとに
毛糸のカーディガンば着せられてから
肌にちくちくしていややったとば覚えとる。

そしてお母さん、銭湯ば出るとき
番台に座っとらした女の人に

「お湯がきれいだったから」

て百円ば渡したとよ。

わたし、びっくいした。
ほんとうにびっくいした。
そして聞いたよね。

「なんで?お湯のきれいかったら百円ばやらんばと?」

「そげんことはなかさ。
ばってん気持ちよかったけん、
百円くらいやろうかね、て思うたっさ。
こんだけ混んどって
お湯のきれいかったとやもん」

その時のお湯代がいくらだったか思い出せんけど、
でも、百円、か、それより安いくらいやった気がする。
そして、百円、は当時のわたしには大金やった。

その頃のおこづかいは十円、とか二十円、で
そいばにぎりしめて駄菓子やに行きよったとやもん。

銭湯に行って、
お湯がきれいやったら出るときに
もう一回、お金を払う。

お母さんが教えてくれたこと、
ちゃんとまだ覚えとる。

ばってん、わたしは、まだしたことなか。
銭湯に行きたかなあ。

もう一回、
お母さんと、銭湯に行きとうなってきた。

<パターン① 方言編>














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お母さん、覚えちょる?

わたしがたしか三つか四つのころ。
いや、もしかしたらもう五つか六つだったかもしれない。

冬で、そして、寒い風の吹く夜だった。

知らない街で、一緒に銭湯に行ったことがあったよね。
家族旅行はいっぺんもしたことないと思ってたけど、
あれは確かに家族で旅行した途中だった。

汽車の乗り継ぎ時間の間に銭湯へ寄ったのか、
あるいはその日泊まるはずのお宅に負担にならないように
家族で銭湯へ行ったのか、
そのへんの記憶はもうまるでなくなってしまった。

番台には女の人の座っていた。
そしてかなり混んでいた。

お母さんは

「お湯のきれいかねえ。
感心やねえ」

としきりに言っていた。

わたしは湯上りで汗をかいているのに
毛糸のカーディガンを着せられて、
肌にちくちくしていやだったことを覚えている。

そしてお母さん、銭湯を出るとき
番台に座っていたた女の人に

「お湯がきれいだったから」

て百円を渡した。

わたし、びっくりした。
ほんとうにびっくりした。
そして聞いたよね。

「なんで?お湯のきれいかったら百円ばやらんばと?」

「そげんことはなかさ。
ばってん気持ちよかったけん、
百円くらいやろうかね、て思うたっさ。
こんだけ混んどって
お湯のきれいかったとやもん」

その時のお湯代がいくらだったか思い出せないけど、
でも、百円、か、それより安いくらいだったような気がする。
そして、百円、は当時のわたしには大金だった。

その頃のおこづかいは十円、とか二十円、で
それをにぎりしめて駄菓子やに行っていたのだから。

銭湯に行って、
お湯がきれいだったら出るときに
もう一回、お金を払う。

お母さんが教えてくれたこと、
ちゃんとまだ覚えてる。

だけど、わたしは、まだしたことがない。
銭湯に行きたいなあ。

もう一回、
お母さんと、銭湯に行きたい。

<パターン②ふつう編>






















母のことを思うときはいつも方言なので、
書くときもつい方言になります。
でも読みにくいかも知れません。

<①>でいくか、<②>でいくか、

みなさんのご意見をお聞かせください。
次回から、どちらのパターンでいくか、
それで決めようと思います。



















ぜひ清き一票、もとい、正直なご意見を。>オネガイシマチュ~。>いつも一言多いです。
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銭湯、行きたいです。お湯がきれいで、出るときにも思わず払っちゃうようなそんな銭湯。

恐れ入ります。
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by kyotachan | 2010-11-17 22:38 | なげーやつ | Comments(38)







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「あとがき」
のようなもの。

「史子。」を書き出したとき
遠藤周作著「王妃マリー・アントワネット」
を読み出した。

その前日にニースで
お世話になっている方からいただいた。

遠藤周作にはずっと、縁がなかった。
というより、自分から遠ざけていた。

大学時代、コジマさんというクラスメートに

「キョーター、これ、泣けるよー。
絶対よかけん読んでみー」

と渡されたのが遠藤周作だった。

題名は覚えていないが、
コジマさん出身の唐津が舞台の
キリスト教色の濃い話だった。

わたしはこの本を読破できなかった。
どうしても入り込めなかった。

コジマさんのことばに
「感動せんばいかん。泣かんばいかん」
と自分にプレッシャーをかけていたせいかもしれない。

何度か「仕切り直し」をして、
読み進めようと努力をするのだが、
わたしはとうとう、あきらめて
読まずにその本をコジマさんに返した。

「どぎゃんやった?」
「いや、そいが、読みきれんやったっちゃん」

こう答えたときの、自分の情けなさ。

そして、本を人にすすめるときは
充分に注意しなくちゃなあと
自分を戒めることにもなった。

本の好みはひとそれぞれ。

こちらがどんなに相手を好きでも
そして相手とどんなに気があう仲でも
本の好みも同じだという保証は
どこにもないのだとこのときに確信した。

これは「味」に関しても同じことがいえる。

友人に「おいしかったよ」とすすめられて
行ってみたレストランがまずかったときのあの
形容しがたい気まずさ。

「こんな料理をおいしいと思うあの人って?」

そう思うとき、わたしははっきりと
そのレストランをすすめてくれた友人を
どこかでバカにしてしまっている。

これは実はかなりやっかいな問題なのだ。
逆のことだって充分にありえるのだから。

「本」と「味」には要注意だ。

と同時に、
「本」と「味」くらい、

「好きなものを好きなときに好きなだけ」

という百パーセント自分の好みのままに
選んでいいものもないのだった。

わたしたちは自分が好きだと思うものを
好きなときに好きなだけ
読んだり食べたりすればいい。

人にすすめられた本やレストランが
好きになれないといって心配する必要などないし、
またすすめてくれた人をバカにする必要はもっとない。>キョータ!

本は世の中にあふれかえっていて
死ぬまでに読む本は、
死ぬまでに読めない本の何分の一にすぎないことは
これはもう火をみるより明らかなのだから。

おもしろくないと思う本を読むのは時間の浪費だ。
わたしたちはおもしろいと思う本だけを読んだ方が
よほど有意義で意味のある時間を過ごすに違いない。

食べ物しかり。
おいしいと思う味の可能性は
それこそ人の数だけあるのだもの。
自分がおいしいと思うものを食べればいい。

わたしにとってはいわく付きの遠藤周作だったのだが、
「王妃マリー・アントワネット」はおもしろかった。

おそらく史実に忠実に沿いながら
架空の登場人物をうまく使って
ひとつの小説に仕立てたのだろう。

マリー・アントワネットといえば
おそらく誰でも知っている名まえだと思う。

わたしはその実
彼女のことを何も知らなかった。

だいたい、オーストリア人、ということさえ
この本を読むまで知らなかった。

そして、今、現代のフランスで
これほど「デモ」と「ストライキ」が市民権を得ているのは
おそらく、十八世紀に、民衆自らの手で、
当時の国王と王妃をギロチンにかけたという事実が
その大きな原因なのだろうなあという気がした。

今フランス国内でしつこいくらいに繰り広げられている
サルコジ大統領に対するデモンストレーションは
「サルコジをギロチンに」という気持ちさえあるように思える。>そ、そう?

そしてわが家の温水器が壊れたのもこの時期だった。
折りしも十一月一日の祭日。
業者を呼ぶと「お出かけ賃・九十ユーロ≒1,0170yen 」 をぼったくられ
「内部の部品」を注文して交換するまでの五日間、
お湯ナシ、暖房ナシの生活を強いられた。

まだそれほど寒くなく、暖房ナシは問題なかったが、
シャワーのお湯が出ないのはやはり不便だった。

わたしたちは一番大きい鍋、パスタパンにお湯をわかして、
そこから洗面器でお湯を汲み、カラダや頭を洗った。

ちょうど「王妃マリー・アントワネット」の中で、
逃げ回る王妃が
「温かいお湯を使いたい」
とつぶやくシーンがあった。

わたしはそれを思い出しながら
「そうだよ。お湯が使えるなんてこんなぜいたくはないのだ」
と自分に言い聞かせていたような気がする。

二百年とちょっとの間に
超・庶民のわたしは
王妃マリー・アントワネットよりも
もっとぜいたくになってしまった。

史子。<10>くらいに「マリー・アントワネット」を読み終わった。

そのあとすぐに手に取ったのが
連城三紀彦著「一瞬の虹」。

これはアメリカ在住の Ginger さんが
送ってくださった本だ。

実はこの「史子。」は、Ginger さんが
「書いて書いて書きまくれ」
というコメントを寄せてくださったことで生まれた。

わたしは今までやってみようとしなかった
とにもかくにも「ひとつの話を毎日書く」ということを
Ginger さんのコメントで決心することができた。

昭彦さんや由美子さんが
亡くなった息子さんが上からあやつっているような
目に見えない力を信じているように
わたしもまた、目には見えないけれど、
絶対にわたしを支えてくれている力を
信じているもののひとりなのだ。

連城さんの本を読むのはこれが初めてで
エッセーだけでなくて、小説も読んでみたいな
と思わせられた。

いくつかのことがらを脈略もなく書き連ねていく。
最後にそれらがちゃんとつながっていることに気づく。

向田邦子さんにも共通する書き方で
わたしの大好きな手法だ。

これは一日で読み終わり、またすぐに手に取ったのが
宮尾登美子著「天涯の花」。

これも Ginger さんにいただいた本で、
そして宮尾さんの本を読むのもこれがはじめてだった。

人物像が、はっきりと書き分けられていて
「史子。」の人物たちが色あせて見え始めた。
ああ、わたしの書くものなんか全然だめだ、
そう思った。

わたしは「史子。」を、
その日その日で行き当たりばったりに
書いていたけれど、やっぱりそれでは
ひとつの小説を成り立たせるには無理があるなと痛感した。

そしてわたしは「自分の書きたいものを書く」と
ずっと思っていのだが、それは間違いだと気づいた。
そうではなくて、わたしは、

「自分の読みたいものを書く」。

わたしは自分の読みたいものを書いただろうか。

わたしが読みたいものを自分で書き、
そしてひとりでも多くの人がそれを読みたい
と思ってくれる日を夢見て、

今日も書いていこうと思う。

読んでくれて、どうもありがとう。
ランキングのクリックをたくさんどうもありがとう。
温かいコメントをほんとうにどうもありがとう。

nice!nice!nice! を今後ともごひいきに。






















あ、なんか、湿っぽい?いや~んもう~これからもおばかなわたしにお付き合いくださいませねん。>ぶっちゅう。
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しばらくは読書三昧ってことで。>あ、これはいつのものことか。笑

恐れ入ります。
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by kyotachan | 2010-11-10 21:40 | なげーやつ | Comments(16)

bento ベントー/ 弁当







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中・校時代はお弁当だった

わたしはわたしからは一言も発する必要はなく
朝起きるとすでに
ハンカチで包まれた弁当が準備されていた

手前の方に「ごはん」がつまっている約束で
わたしはその方を必ず上にしてかばんに入れた

おかずのつゆがごはんにしみないようという
母の心づかいなのだった

教室に入ると朝の朝礼の前か後かに
購買部から一枚の紙が回ってきて
その日のお昼のためのパンを予約することができた

わたしはついに一度も
このパンの予約表に名まえを書くことがなかった

もちろんお昼時に購買部へ行けば
その日の朝の予約ではけた分以外のパンを買うことはできたから
弁当にプラスしてパンも食べる
ということはあったのだが

弁当のいる日に弁当を持っていかない
という日はついに卒業まで一日としてなかった










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高校に入ってから
中学にあった「朝のパン予約表」はなくなったが
やはりわたしはあいも変わらず
弁当のいる日には母の作ってくれた弁当を欠かさず持参した

ある日
わたしだってパンを食べたい日もある
ということに今さらながら気がついたわたしは

そうだお母さんに弁当はいらないから
と言っておけばいいじゃないかということに思い当たった

ばかみたいな話だけれど
それを思いついた時には
なんて妙案なんだろうと
ひとりで笑ってしまったくらいだ

こうして時々
わたし明日パンにするから
といって母の弁当を断るようになった

当時はもう二人の兄たちは
大学生となって家を出てしまっていて
実家に残っている子どもはわたしひとりだけだった

弁当くらい最後まで作ってやろうじゃい

という決意を母がしていたかどうか
今ではもう確かめようがないけれど

明日パンにするから

とわたしが言うとき
母はちいともうれしい顔をしないのが
子ども心にちょっと意外でそして不思議だった

面倒なことをひとつ減らしてあげたんだから
よろこんだっていいのに

わたしの心の中には
そんな風なごうまんさがあった










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わが家の長男はマンガ好きで
あーあーもー
マンガにかける情熱を
もうちょっと他の本にかけてくれるといいんだけど
とぐちが出てしまうくらいなのだけど

好んで読むのはたいてい
日本のマンガが多い

そこで覚えた bento ベントーがいたく気にいったみたいで

ねえねえママ次の遠足の時には bento ベントーにしてよね

とお願いされていた

よっしゃ
そんじゃあおいしい弁当を作ってやらにゃいけんね
と東京の友人にわざわざ弁当箱を送ってもらったりもしたのに

去年学校をかわってから
遠足時のお弁当は学校支給のサンドイッチ弁当になってしまい
弁当箱の出番がなかなかなかった

そしてついに(というほどでもないが)
先週の金曜日
久々のテコンドー教室の日に
お弁当を作ってあげることにした

長男だけのはずが次女までもお教室に行ってしまい
ああひとり分のお弁当をちゃんと分け合って食べただろうか
と心配していたのだが

ちゃんとおはしを一本ずつもって
ひとつのお弁当を二人で分けて食べたらしい

もちろん帰宅後もまた夕食を一緒に食べなおし










実はこれには後日談があって
翌日そうだそうだお弁当箱を洗わなくちゃ
と長男のリュックサックから弁当箱を出すとずっしりと重い

むむむ

なぜこんなにも重いのだ?
といぶかしげに開けてみると
上の段に入ったおかずは完食されているのもの
下の段に入ったおにぎりには手がつけられていなかったのだった










、、、、、ガクッ

ニース育ちの子どもには
ちゃんとお弁当箱の構図を説明するべし
これ今回の教訓
























おにぎりはくんくん匂いをかいでみて大丈夫そうだったのでわたしの胃袋へ。
え?ダイエット?ああありましたねそんな話が、、、汗汗
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肉・卵・おにぎり・ノー野菜!これが長男弁当完食の鉄則。

恐れ入ります
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by kyotachan | 2010-09-29 22:55 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(12)







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実家に帰るわ

ということを周りの人たちに伝えるとき
わたしはこころのどこかに優越感を抱えていたなと思う

そして友人の誰かが
同じことをわたしに告げるときは逆に
わたしは口にだすほどではない
それでもジェラシーに似た気持ちを
こころのどこかに抱いたんだよなあと

あ、帰るんだ、いいなあ

そんな風に言ってみたこともあったかもしれない










十八の時に予備校の寮に入ってから
三十を過ぎて母が死んでしまうまで

わたしが「実家に帰る」ことを楽しめたのは
このほんの十年とちょっとの間のことだった

いつでも帰る場所があるというのは
実はとんでもないありがたいことだったのだなあ
などと今さらにして思う

帰ってまず楽しみなのが
母の手料理だった

母は「料理は仕方なく」というのが口癖のような人だったけれど
わたしにとっては今も母の料理がいちばんいいなと思う

父親はまだ働きに出ていたから
昼間は母と二人で食卓を囲んだ

午前中にたいてい二人で市場へ出る

いい魚が出ていれば魚を調達し
かつおぶしは乾物屋で、小豆とごまは豆やで、というのが母親流だった

あー腹ん減ってきたね
キョータちゃんなん食べる?
あっつあつのごはんにさ、もやし炒めてどがんね
もやしばさ、じゅっじゅって炒めたらおいしかもんね
お昼近くになると何を食べるかを聞いてくるのだけど
母親の頭の中にはすでにメニューができあがっているのだった
父親のいない食卓はあくまで質素が第一、というのもまた母親流だった

ひげは、、、
よかやろ
せからしかもん
母親の炒め物は必ず中華なべを使った
味付けは「塩・こしょう」の一緒になった瓶とおしょうゆ

あっつあつのごはんにもやし炒め
そして母ご自慢の糠床でつけたキャベツの芯や人参やきゅうりが並んだだけの食卓だったのに
今もこうして思い出すのは一体どうしたことだろう










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最近こちらでももやしをよく見かけるようになった
週末にアジア食材のお店で見つけたもやしは
五百グラム入って 1€ ≒ 113 yen だった

しゃきしゃきとしたもやし炒めを食べたら
母親と一緒に食べたもやし炒めを思い出した

わたしは唐辛子を入れて辛めのもやし炒めが好きだ
そしてあっつあつの白いごはんがあればこれだけでもう何もいらない

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わたしが愛用している庶民の味方「Dia(旧Ed)」というスーパーにももやしが時々出ていて
そこは400gで 2.29€ ≒ 260 yen。値段にばらつきがあるなあ。味も↑こっちの方がグーでした。
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母のことを言いたいのか、もやしのことを言いたいのか、はっきりしなさい!

両方です。恐れ入ります
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by kyotachan | 2010-09-27 20:39 | 五 人 家 族 | Comments(39)

moustique ムスチーク/ 蚊







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わたしが小学校の三年生か四年生のころだったと思う

夏のある日仲良しのユウコちゃんと遊んでいたら
開け放たれた団地の窓から九十にもなろうかと思われるおばあちゃんが
ギャザースカートをはいて上半身はハダカのまま掃除機をかけているのが見えた

人間が長く生きると男も女も中性化してしまうその例そのままに
そのおばあちゃんにも薄くひげがはえていた
おばあちゃんだとわかったのはおっぱいがたれさがっていたからだ

ビックリしたわたしは小声でユウコちゃんを呼んで
ふたりでもう一度そのおばあちゃんの姿を確認し
まちがいないよね!おばあちゃんハダカだよね!
と言い合った

家に帰ったわたしは母親に
今日ね開いている窓からおばあちゃんが掃除機をかけているのが見えたんだけど
ハダカだったんだよ。ギャザースカートをはいただけで上はすっぽんぽんだったんだよ!
と興奮しつつ報告したのだけど母親は驚きもせずに

まあこんだけ暑かったらハダカでおりたかとも思うばい

とひと言ぽつりと言っただけだった

今その風景をもう一度思い起こすと
家に残っているおばあちゃんが出かけているだろう家族のために
掃除機をかけていたんだろうなあ暑いのにえらいおばあちゃんだったんだなあと思う

そのころはクーラーのある家なんて一軒もなかった
夏には窓を開け放して風の入るのを待っていたものだった

現代の日本ではクーラーのない家を探すのが難しいくらいだろう

クーラーで家の中を涼しくするだけ
室外機はヒートし日本の気温はまたそれだけ上昇していく

どこかでストップ!をいう勇気を持たなければ
わたしたちの地球はいつか壊れてしまうに違いない

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今わたしたちが住んでいるニースのアパートにはクーラーはついていない

こう言えば日本を脱出したわたしが日本の住民を糾弾しているようだけれど
わたしとて日本にいた頃にはクーラーなしではとても生活できなかったのだから全くの同罪だ

ニースではフランス国内ではもっとも暑くかつ湿度の高い地域といわれているけれど
わたしの周りを見回してもクーラーつきの家に住んでいる人はほとんどいない
扇風機さえ「カラダに悪い」といって持たない人がいるくらいだ

わたしたちは volé ヴォレと呼ばれる雨戸を斜めに開けて
陽射しはなるべく入れないように、だけど風だけはふんだんに入るようにと知恵をしぼる
日中は volé ヴォレを斜めに開けていれば風があるとひゅーっと入ってきて思いがけず涼しい
夜はvolé ヴォレは閉めて窓を開け、蚊の侵入を防ぎつつ風を確保する
(一枚目の写真はわが家、二枚目は郊外の友人宅のお隣)

(写真一枚目の)この部屋は南向きでとても暑いけれど
海側を向いているせいか時にとても涼しい風が入ってくる

そして網戸なるものは存在しないから
蚊だってもちろん入ってくる

蚊取り線香やお線香をたいてなるべく蚊に刺されないようにしているけれど
おいしい肌には吸い付いてくるのが蚊なんである

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郊外にある友人宅に遊びに行ったとき
庭に入ったとたん蚊におそわれた三女
すぐに虫さされのクリームを塗ったから数分後には修復された
細胞が若いってすばらしい

こちらの蚊取り線香は何色ともいえない色をしている

明け方にああやっと眠れたかなという時間に
耳元で蚊の羽音がすることくらい腹の立つことはない

あとパチン!とたたいてこれはゼッタイにとった!
と手を離したとたんにぷ~ん!と再び飛びたつ蚊!

は~ら~た~つ~(の~り~)!























すみません。中学生のころ原辰徳さんのファンでした。
ど、どうしてって、そりゃーあーた当時好きだった男の子がハラタツそっくりだったからってだけですよ。
「キラワレモノ」代表者だったようなハラタツさんもいい年のとり方をされたようで、、、人間ね、やっぱ五十代ですよ。
そしてね、六十代で生まれ変わる。これっきゃないっす。
なんでハラタツなんか好きなのっ!何度言われたか、、、っもー!いいじゃんなんででもー!
キョータにもあった赤面の春。いや夏だったか。
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クーラーは苦手なのでここでの生活はわたしとってはラッキーです。暑いですけどね、、、、汗汗

恐れ入ります
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by kyotachan | 2010-07-24 00:04 | 日 常 空 間 | Comments(24)







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わたしが小学校の三年生か四年生ころだったと思う

遠くに住んでいる友達の家に遊びに行くときは
わたしは一旦自宅にランドセルを置いて
その子と一緒にその子の家に向かうのがふつうだった

おやつ代にとおこづかいをもらった

どういうわけだったか忘れたが
五十円玉だか百円玉だかのその硬貨を
十円玉に両替しなくてはならなくなった

その子とふたりで
途中のお店
そのお店とは
わたしが育った街にはところどころに点在する
表にはアイスクリームの入ったボックスが
奥にはお菓子や缶詰や「ちり紙」や洗剤などが売られていて
たいてい店の中が薄暗いようなお店だ

その店に入ったのだがそこではわたしたちより年端のいかないような女の子が留守番をしていた

今おかあさんが出かけているから何も売れない

という
わたしは

いいのいいの
何かを買いに来たんじゃないの
ただ両替をしてほしいだけなの

と言って
レジ
といってもそれは三段くらいの引き出しのある黒い木の箱だったのだが
それを女の子に開けさせて
五十円玉か百円玉かの硬貨を
十円玉に両替させてもらった

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ずっとあとになって
わたしはもう中学生くらいになっていたかもしれない

母親とその店の前を通りかかるとき母親が言った

昔あそこのおばさんが怒鳴り込んで来たことがある
あんたんとこのムスメがウチの金を泥棒したって


わたしはそんな話は初耳だったのでビックリしてしまった

だってお母さんそんなこと一言も言わなかったやんその時!

うん、だってあんたがそんなばかなことするわけないと思ったから
あんまりあほらしゅうてだまっとった


わたしはにわかに胸がドキドキした
わたしは泥棒はしなかったけど両替はしてもらっていたから

母親にそのことを話すと

ああ!そういうことだったか。泥棒ていうけん何でやろうとは思うとった。それで納得した
でもさヘンな疑いをかけられるようなことはせんほうがよかよ







この情景が今でも頭から離れないのは
わたしの母親はわたしを心底「信じて」いたのだなあと思うからだ
母親はわたしにそのお店で何が起きたのか確かめることさえしなかったのだ

わたしはその時はじめて
自分の母親に自分はこれほどまでに信用されているとハッキリと認識した

そしてわたしはウレシイというよりまずドウシヨウと思った
これほど信じられてるなんてドウシヨウと思ったのだ
わたしこれでもう悪いことなんてできないじゃんと

その時確かに思った「わたしはこれでもう悪いことなんてできない」という気持ちは
おそらくいつも心の片隅にはあったのだろうが
この後わたしは十五才くらいで父親のタバコを盗んでかくれて吸うことを覚えたし
二十代、親元を離れて暮らしているときにはそれこそ親には正直に言えることの方が少ないほど
めちゃくちゃで不道徳なことばかりをやらかした

それでも
もうすでに亡くなってしまった母親のこの時のことばが
今のわたしを支えてくれていることもまた事実なのだった

わたしにはかつてこれほどまでにわたしを信じてくれた人がいるという事実






わたしの母親は自分の子どもはお金を盗ったりしないとどうしてあれほどまでに確信できたのだろう

わたしは自分の子どもをここまで信じられるだろうか

お店のおばさんが怒鳴り込んできたとき
わたしはわたしの母親がしたようにまさかわたしの子どもはそんなことはしないと言い切れるだろうか

あるいは

と思ってみる
あるいはわたしの母親は

もし自分の子どもたちがほんとうにそんなことをしたときには
という自分なりの覚悟をしてたのかもしれないなと






子ども同士の殺人事件
などを見聞きするたびに

わたしの子どもが人を殺したらどうしようと思う

わたしは人を殺さなければならなかった自分の子どもの気持ちをわかってあげたいと思うだろう
わたしは自分の子どもが人を殺さなくてはならないほど苦しんでいたことに同苦するだろう
そしてわたしはその苦しみを自分の子どもと分け合えなかったことで自分を責めるだろう





気がついてみたら
わたしだって子どもたちを信じることに決めているじゃないか
わたしが子どもたちにしてあげられることってそれくらいだと思っているじゃないか
何があってもわたしだけはおまえを信じているからねという覚悟ができているじゃないか






人はたったひとりの人からでいい「信じてもらっている」あるいはかつて「信じてもらっていた」
ことさえあれば泥棒などできないし人を殺すことはしない・できないと思う






甘い
かな




















それにしても「人を殺す」てものすごいチカラのいることだと思うんですが。
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昨晩長男が課外授業から帰宅。長女に「ウレシイ?」と聞くと「ゼンゼン」
ことばとは裏腹にふたりで笑い転げておりました。ったく素直じゃないなー。


もう金曜日だ。よい週末をー!恐れ入ります
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by kyotachan | 2010-06-11 20:29 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(14)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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