ハートのキャンディ


友人のゆりさんが、円蔵くんを連れて、遊びにやってきた。
おみやげは、パン屋さんで売っている、というハートのキャンディ。 やたらかわいい。

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きみたちも、やたらかわいい。

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# by kyotachan | 2007-03-26 22:44 | 日 常 空 間 | Comments(9)

感応


友人が時々、「母の宅急便」を送ってくれる。 母のいないわたしのために。 うめぼし、のり、ひじき、マルタイラーメン、ふりかけ・・・。 どれもこれも、ニースでは超高級品。 こどもの漢字ドリル、なんてものも入っている。 これは入手不可能。 これらが届くことはすごくうれしい。

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でも、一番うれしいのは、これ。 本。 友人は読み終わった本を、気前よく、がんがん詰めて送ってくれるのだ。

大学生の時、詩人の谷川俊太郎の本に出会って、

「ああ、わたしはもう、詩人にはなれないなあ。」

と思った。 彼の詩には、わたしが言いたいことがすべて書いてある。 まるでわたしの心の中をのぞかれたみたいだった。 その詩を、書くことはできない。 だけど、読んだ途端、ああ、これだよ! わたしが言いたかったのは! とひざをたたく思いがする。
宮本輝を読むと、同じことを思う。

「ああ、わたしはもう、作家にはなれないなあ」。

宮本輝はわたしが言いたかったことを、もっと上手に、もっと感動的に、もっとわかりやすく、書いてくれる。 

「あれぇ、それ、それをね、言いたかったんですよー え、えぇー 言われちゃったなあー まいったなあー しかしうますぎるよー やられたなぁ。」

宮本輝を読むと、それの連続だ。 どの本も大好き。 この「命の器」というエッセー集の中に、「“感応”ということ」という、ほんの一ページほどの文章がある。 わたしはこの、「感応」、ということばが、大好きだ。 いま一度読み返してみたら、それは「仏法用語」であるという。 むむむむむ、そ、そうか。 そうだったのか。 これは、なんだか、ますますいい感じだなあ。

感応すること、あるでしょう? あ、この人とは合いそうだな。 親しくなる前になんとなくわかってしまう時。 歩いていて、なんとなく目が合い、挨拶してしまう時。 なーんとなくいい感じがするんだけどなー、ていうその気持ちに、ちゃーんと、名前が、あったのだよ。 感応。 って。

この人はねー、祈っている、としか思えないんだけど、いかがなもんでしょうか。 誰か教えてください。
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# by kyotachan | 2007-03-26 21:43 | た の し い | Comments(9)

九年たちました


祈る、ことを教えてくれたのは、わたしのダーリン。 


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最初は反発した。 いや、「反発した」、というような、生半可なことばではすまされないほど、いやでいやでたまらなかった。 彼が所属していた(今はもちろんわたしも所属している)、その祈りのグループのことが、嫌いだったからだ。 嫌い、というよりこれは、ほとんど「アレルギー」とも呼べるほどで、カラダ中が、脳みそが、血管が、それを拒絶しているように感じていた。 彼から、その話を聞かされた日、わたしの頭の中はまっしろ。 いや、まっくろ、だったか。 とにかく、絶体絶命。 別れよう。 別れるしかない。 と こころに強く、誓った。

わたしは、なぜ、そんな「アレルギー」を抱えていたのだろう。 今となっては不思議なくらいだ。 わたしが知っていたのは、週刊誌上で語られる、そのグループのスキャンダルの類。 それを百パーセント鵜呑みにしていた。 グループの代表者が、女性をレイプした、という記事を、うわーっ いやだーっ とまるまる信じ込んでいた。 「活字 = 真実」、おそらく、そういう思考回路ができていたんだろうな。

別れる、と強く誓ったはずなのに、別れなかった。 一緒に暮らし始めた。 彼は、祈る。 基本的に朝と晩、一日二回。 長女を妊娠して、仕事をやめたのと同時に、わたしも彼の真似をするようになった。 どうして? どうしてだろう? ただ、なんとなく。 ダーリンはただの一度もわたしに、祈ることをすすめさえしなかったのに。

不思議だねえ、祈ると、ほんとうのこと、が見えてきた。 そのグループに関する、週刊誌の記事がデマばかりであることが、だんだん分かってきた。 「刷り込み」されていたのだ。 これは効果的だねー。 デマだろうがなんだろうが、活字になって、国中にその情報が流れると、それが事実がどうか、という確認作業はされず、なーんとなくそうなんだろうなー、 てそのことを頭の中に刷り込んでいく。 脳みその中に。 血管の中に。 なんども、なんども、同じような記事を、週刊誌の見出しに載せる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 刷り込ませる。 何十年にもわたって。

いまや「祈り」はわたしの生活の基本だ。 ぬかすと、変な感じ。 祈り始めた頃は言い換えれば、初めての子育てが始まった頃だ。 八王子に引っ越したばっかりで、長女を病院に連れて行くのも必死だった。 

「病院に着いたら、わたしが駐車しやすい場所が空いていますように。 長女がいい子で予防接種を受けてくれますように。」

そんなことばかりを祈っていたように思う。 今も、自分の叶えたいことを祈るのは変わらない。 でもそれと同時に、とても自然なこととして、「世界の平和」をも祈るようになった。 なんだろうね? 「世界の平和」、て。 わたしはそれは、「世界中の人々のこころの中が平和なこと」、だと思う。 「世界中の人々のこころの中が平和になる」、ためにはどうすればいいんだろう。 わたしは、「世界中の人々の中の一人」である、わたしの友人のこころが平和になるように、と祈っている。 世界の平和は、そこからしか始まらない。

祈り、を知らないまま、わたしの一生を終えてしまっていたら、と思うと、ぞーーーーっ としてしまう。 きっと、いろんなことが理解できずに、うんうん、うなって一生を送っていただろうな。 この先、わたしにどんなプレゼントをくれることがあっても、この「祈り」というプレゼントには絶対かなわないよ。 
ダーリン、人生最大のプレゼントをどうもありがとう。
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# by kyotachan | 2007-03-23 19:19 | お い の り | Comments(0)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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