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電話の先で兄が言う。

「イタリアってほとんどのレストランにビンボー・メニューっつーのがあるんよ。
値段が普通の半分くらいで、店のネエチャンを呼んで、ビンボー・メニューってなんやねん!
貧乏人が食うメニューなんかい!て聞いたら、なんか、小盛りになっとるらしか」。

わたしだってイタリアのレストランには何度も入ったことがあるけれど、そのビンボー・メニューとやらには出くわしたことはない。

だけど、貧乏人のメニューって???

電話のこちら側で話を聞きながら、ちりり、と違和感を抱く。
イタリア人が日本語の「貧乏」てことばを知っているの???

「そのビンボーってさ、貧乏ちゃうよ。バンビちゃんとかさ、子ども向けのメニューってことやないかと思うんやけど」

「え、そうなん?」

え、そうなん?て、イタリアで bimbo てことばに貧乏を当てはめるの、あんただけだってば!
今になって兄は兄風のユーモアをかましただけだったのかもしれない、とも思えてきた。

さっそくグーグルで訳してみたらイタリア語の bimbo は「赤ちゃん」と出て来た。

この日はわたしの五十一歳の誕生日。

家族で出かけたタイ料理のレストランもうれしかったけど、
でも兄からもらった一本の電話のうれしさにはかなわない。

電話、またかけてねー!

51 ans dans l'eau

むかーしフランスにはこんなTVコマーシャルがあったそう。
51 cinquante et un / サンコンテアン はパスティスというお酒。

今年は水を得た魚のごとく、楽しく泳ぐぞ。

















写真はついにわたしの背を抜いた我が家の末っ子。
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五十一歳ににして家族でいちばんのちびになってしもーた。








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# by kyotachan | 2017-08-05 16:09 | 五 人 家 族 | Comments(8)

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「きょうたちゃん、あんた、すぐにあやまってしまうけん、お父さんのしかりにくかーっていいよらしたよ」
母親にこう言われたのはわたしが中学生くらいの頃か。

何かにつけ、わたしがすぐにあやまってしまうから、父親がわたしのことを叱りにくい、
と父親が母親にぐちったらしい。

「え!なんね。じゃあ、あやまらんほうがよかとやろか」
わたしが言うと、
「母ちゃんはよかと思うけどね。すぐにあやまるほうが」。

というわけで、わたしは何かにつけてすぐにあやまる。
あやまる、という行為に対して抵抗がない。

あら、ごめんなさい。あ、どうもすみません。たいへんに申し訳ありません。
色んな場面で深く考えることをせず、ただただあやまってきた。

場所が日本からフランスに移ってもその習慣はずっと同じ。
わたしは簡単に「ごめんなさい、すみません」を口にしてしまう。

ただ、フランスに来てから気をつけていることはある。
まったくわたしのせいではない、という状況でひとりで興奮してそれがわたしのせいかのように罵声を飛ばすひとがいるのだ。
いわゆる、逆切れ?

これ、ことばがわからないうちは本当にやっかいだった。
あれ?わたし、何かしたわけ?とかん違いしてあやまってしまいたくなる。

だって、相手がなんでこんなに怒っているのか、わかんないもの!
習慣でつい、あやまってしまいたくなるの!

でもことばがわかってくると、あらまあ、なんなのこの人?
ひとりで興奮してひとりでどなってひとりで激昂してらっしゃるの?

なんだか知らないけど、わたしはにこやかにやり過ごすわよ。
しかし、ここまで怒りのエネルギーが爆発するってすごくね?
と冷静に相手を観察することになる。








フランス人日本人どちらにも、世の中にはわたしとは逆で、なかなかあやまらない人、という方もいらっしゃる。
わたしの友人にもいて「ったくもー、なんでひと言、あやまらんかなー」と思うことがまま、あった。

ただ、こういう人があやまるときには「お!あいつがあやまりよったぞ!」とひどく感激するのも事実。

思い返せばわたしの方は、何の考慮も哲学もはたまた信念のかけらもなく、
ただただ、そうしとけばよかっちゃろもん、の精神で簡単にあやまってきたなと思うことがある。

今になってみて、時々、自問してしまうのだ。
わたしはほんとうに、心からあやまっているのだろうか。
ただその場をとりつくろうための方便になっているのじゃないだろうか。









こんなことを考えているのはただいまフーフゲンカの真っ最中でして。
もう、簡単にあやまるのは、まっぴらだもんね、と思っているわけである。
わたしには謝罪する理由はないし、そんな気持ちはまったくわいてこないのだ。

いやあ、こんなときこそ、簡単にあやまっちゃうほうがいいんだよ~。
ココロの奥底から聞こえてくる声は今回はぜったいに聞こえないの!

















写真は五月後半のニースの海。
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今のビーチはもっと混み混み……。








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# by kyotachan | 2017-07-25 01:54 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)






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今年の一月に旅行サイト向けに書いた一文。

ニースの海を見ながら思う世界平和。

プロムナード・デ・ザングレ とは『イギリス人のお散歩道』という意味です。
かつてここはイギリスの貴族たちが好んで歩いた道だったらしいのです。

いまではここはニース市民たちがジョギングやウォーキングを楽しむ場所となりました。わたしはニースに住みはじめて、早十二年がたちましたが、今でもここへ来るとニースの海の美しさに感動します。ニースの海はほんとうに美しい。

7月14日、パリ祭のときに打ち上げられる花火の場所としても知られています。わたしたちはこの日の花火を毎年こころまちにしています。

2016年7月、この場所はテロの標的になってしまいました。わたしたちが受けた大きな悲しみ。なぜこんなことがわたしたちの身近なところで起こってしまったのだろうというやりどころのない怒り。それらは今もわたしたちを覆い続けています。

わたしは今回のテロ事件をきっかけに考えざるを得ませんでした。世界平和とは一体どこにあるのだろう?ということを。あまりにも使い古された感のある「世界平和」ということば。それはどこにあるのでしょうか。そしてそれを実現することはできるのでしょうか。

世界平和とは、どこか遠くのユートピアのような場所にあるわけではない。それは、わたしたちひとりひとりのこころの中にあるのだ。わたしは今、そう思っています。わたしたちの隣にいる人、その人のこころの中を平和にすること。これを世界中のひとりひとりが実現すれば、わたしたちの世界は平和になるに違いありません。

あなたは、車で出かけるときに「交通事故にあうかも知れないから出かけるのをやめておこう」と思いますか。わたしはこう思います。「交通事故にあうかもしれないから気をつけて出かけよう」。

テロに関することにも同じことを思います。「テロにあうかも知れないから出かけるのをやめておこう」ではなく「危険はどこにもであるのだからくれぐれも気をつけよう」と。

ニースの美しい海を、一度見に来ませんか。


















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↓ 「危険情報」のところにあります。






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# by kyotachan | 2017-07-14 16:54 | 日 常 空 間 | Comments(10)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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