dix ans ディゾン/ 十年





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運はいいほう?

と聞かれてとっさに、「悪い」と答えた。
宝くじに当たったことは一度もなく、とりたててドラマチックな出来事を経験したこともない。

そう答えてしまってから、いや待てよと思いなおした。

五十になる今まで大病と言える病気はしたことがなく
四人の子どもたちのも恵まれて夫はいまだにわたしのことを愛してくれている。

これってものすごーく運のいいことじゃないのか。









ブログをはじめたの、確か三月だったんだよなあと過去記事をたどってみたら
わたしがこのブログをはじめたのは十年前の今日、三月十六日のことだった。

長かったような気もすればあっちゅーまだったような気もする。

確かなのはわたしたちは相変わらず家族六人がみな健在で
今日も六人が同じ屋根の下で暮らしているということ。










FBやツィッター、インスタはわたしの性には合わないらしい。

これら三つのツールは文章主体、写真主体などの特徴はあるけれど、どれもこれも
超高層ビルの形をしたアパートの住民が同時に、彼らのことをわたしに向かって話しかけてくるみたいに思える。

そんなにいっぺんに話しかけられても、そんないっぺんに写真を見せられても、
どれに耳をかたむければいいのかわからないしどれを見ればいいのかわからない。
とたんに頭が混乱してしまう。

それに比べるとブログは田舎の町にぽつりぽつりと家が建っていて
わたしは好きなときに好きな家に勝手に遊びに行くことができる。

これがわたしにはあっている。これがわたしには楽しい。

次の十年へ向けて今日は再出発。
この先十年は今までの十年とはまた違う十年になるのだろうな。

わたしの家、これからもたまにはのぞきに来てちょうだいませね。

















写真は三年前。下ふたりと公園へ。
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by kyotachan | 2017-03-16 17:25 | ハジメマシテ | Comments(10)



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在仏期間はとうに十年をこえてしまい
常識的に考えればわたしはフランス人並みにフランス語を話していて当然。

実際に日常生活で困ることはほとんどない。
目の前にいる人との会話は支障がないし、苦手だったグループでの会話だって平気になった。
レジ待ちのうんざりする時間に隣のマダムとおしゃべりだって!

うわ~!わたしってけっこうフランス語、うまいのかも~。
もう、フランス語に困るなんてことはないもんね~。
そんな風に思っていた。

それなのに、である。

子ども同士の会話が、あるいは夫と子どもたちの会話が、まったく耳に入らないことがある。
つまり、ちいとも理解できない瞬間がある。

あれ?
なんでわかんないの?

単純に、単語がわからないのだ。

そこでわたしは気づく。
夫や子どもたち、そしてわたしの周りの人たちはわたし向けにわたしにわかりやすいフランス語を使って話してくれているのだと。

実際の世の中は argot アルゴ/ 隠語と gros mot グホモ/ きたないことばであふれている。

夫や子どもたちは、彼らの間ではそれらを普通に使うくせに、わたしの前では極力それを避けているらしい。
親しい周りの人たちもしかり。

わたしって、いまだにガイコク人扱いなんだ!
いまさらだけど、かくん、と首が下に向いてしまう。

わたしにもきたないことば、おせーてよー。

タイトルの表現は、夫が長男に食事代を渡すときに言ったひとこと。
小さいお札がなくていつもより大きいお札をあげるけど、せいぜい気をつけてよ、ということらしい。

ギャフギャフ?ギャフン!





















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by kyotachan | 2017-03-09 16:47 | Comments(4)




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東京の会社で働いていたとき、Bさんという先輩がいた。

一見、ものすごく派手。
実際、ものすごく派手好き。
化粧が、けばい。
ヘビースモーカー。

当時のわたしと言えばまるこちゃんカットに生まれたままのまゆ毛。
ファンデーションのファの字も知らないいなかっぺ丸出しの女の子。

わたしとは正反対な人だったけれど
話をするのは楽しい人ではあった。

社員旅行があって、はじめて彼女のスッピンを見たときには、どきん、とするほど驚いた。

まゆ毛はほとんどなし。
肌はニコチンに焼けてくすんでいる。
目はほとんど一重で白目さえにごって見える。
口紅をぬらないくちびはどす黒く、同じくちびるとは思えない。

一瞬にして色んな情報が脳を刺激してきた。

本人にしてみたら年に一度、自分のスッピンを披露することを楽しみにしていのか、あっけらかんと笑っている。

わたしは同一人物とは思えないほどの彼女の豹変ぶりが恐ろしかった。

ほんとうの顔が、これっ?
まじでっ?まじでっ?まじでっ???
うっぞ======!!!!!

翌朝、いつもの厚化粧Bさんを再発見したときには心底ほっとしたのを覚えている。
ああ、よかったあ。
ほんとうにそう思った。
彼女のスッピンを見るのはわたしにはあまりにも辛すぎた。

あれからもう、三十年ほどが経とうとしている。
時々、Bさんのことを思い出す。
どうされているのかなあと。

不倫のはてに結婚されたと風のうわさに聞いた。
相手はわたしも知っている会社の設計部にいた人だ。

いや、わたしの気になるのはそんなことじゃなく、
Bさんは今もあの厚い化粧を自分にほどこしているのだろうか、ということなのだ。

当時はずいぶんと年上に感じたけれど今思えば年の差は数年だったはず。
つまり彼女は今、わたしと同じ五十代を生きているはず。










はがれる、ということがわたしはものすごく苦手なのだと最近気づいた。
化粧がはがれるのが苦手だから最初からそんなものはしないほうがいい。

口紅さえも、ぬれば少しは明るい顔になると思いながら
それのはがれたときのことを想像して、それさえも面倒くさい。

髪の毛を染めるのをやめてしまったのだって、それがはがれるときのみにくさに耐えられなくなったからだ。

髪の毛さえ白くなければもっと若く見えるのに、
長女にそういわれてどきん、とした。

そうなんだよね。
でもいつかははがれてしまうものだから。
わたしはこのままがいいの。

言い方を変えれば美に対する努力をまったくしない人だとも言えるかもしれない。
いや、きれいでありたいとは思うけど、はがれてしまうものを塗りたくるのは苦手なだけ。

ストッキングをはこうとしてささくれだった指に引っかかり電線させたことがある。
新品だったけれど、すでにやぶれてしまったそれをはく気にはなれず当惑した。
ストッキングが苦手なのも、同じような理由かもしれない。









若い人に圧倒的に多いのだけど電線したストッキングを平気ではいていたり
はげた口紅をさらして明るい笑顔をふりまいている人を見ると
こんな感じでいいんじゃないのお、という思いになることがある。
その一瞬先に、いや、わたしには無理、とも思う。

母親の生前、母親とBさんのことが話題になったことがある。

母親の友人にもBさんタイプがいるらしく、
「そん人、化粧しちょったら、びっくいするくらい美人やろもん」
と言う。

「そうそう、もうね、めちゃくちゃ美人なんよ。髪の毛も長くてさらさらで」
母親が即、共感してくれたのがうれしい。

「化粧、ったあ、言うたもんよね。化ける道具やもん」。

いやほんと、その道具を駆使できないわたしはある意味、人生の中でものすごく損をしているのかもしれない。

















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久しぶりに記事を書いたら、すっかり環境が変わってしまっている。
テンプレートの変更さえままならない。
使いにくい。慣れることはできるのか?





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by kyotachan | 2017-03-05 20:37 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(2)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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