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今年いちねんの最大イベントは東京の友人がニースに来てくれたこと。だと思う。

ひと月ほどパリに滞在することになったらしい彼女が
ニースまで降りてきてこれたことはやっぱりうれしかった。

たとえばそれは東京へ観光旅行をしに来た人が
鹿児島まで、あるいは沖縄まで足をのばすことだと思う。
ニースはやっぱり、首都のパリからは遠いもの。

五年ぶりの再会。

お互いに東京にいたときさえ、こんなに頻繁にはあってなかったよね?
というくらい、五年ぶりはけっこう短いスパンだと思う。

それでもわたしはこの日が近づくにつれてものすごーく緊張していた。
だって今回は家族連れじゃあなくて、わたしとは面識のない友人連れだというし。

実は今回、友人が撮ってくれた写真をあらためて見て、
ああ、わたし、こんなもの(食べるものです)を準備してたんだなあと思った。
当時現場にいたときは、もう、舞い上がってしまって、なにがなんだか、わからなくなってしまっていたのだった。

夫は作ったこともない、だけどサンドマングで飲みまくったモヒートをなんだか気の毒になるくらい一生懸命に作ってくれた。

わたしはメインをハム類と決めてサラダだけを作ったのだけど、なんだか作りすぎて何がどんな味なのかわからなくなってしまっていた。

ココから下はすべて友人の撮った写真。












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白いワンピースの人は友人の連れ。
言わずと知れた、お粉のエキスパート

別れ際に友人が言った。
「来年も来る。フランス語、ぺらぺらになっとく」。

もうすぐ来年。
また会えると思うと楽しみです。

au revoir a très bientôt オゥ ヴォワー ア トレ ビヤントー/ じゃあまた、近々会いましょう!



































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by kyotachan | 2014-12-31 16:49 | た の し い | Comments(3)








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一年くらい前かな、わたしが四十七歳のとき。

十人くらいの集まりで自己紹介をする機会があった。
その時にある男性が「……、四十七歳で……」というので思わず
「あ、わたしも。わたしも四十七歳です」と言ってしまった。

日本にいるとまず話題になる年齢が、こちらではタブーな話題とされる。
お金と年齢の話題はお下品、ということらしい(想像です)。

わたしはあわてて付け加えた。
「あ、なんか、こちらでは年齢、て、タブーな話題だから今、年齢を言うのを聞いてうれしくなったからそれでつい」
わたしとしてはフランス社会にほんのちょっと嫌味を言ったつもりだった。
そしたら隣りにいた女性が、

「わたしもほんの数年前、四十七歳だったわ」
と言った。

この女性は小学校の先生をしている、ことは知っていたんだけど、
いくつかな。わたしより上?下?と思っていたから、あ、上なんだなとこの時わかった。












絶対に自分の年齢は明かさない、と決めている人がいる。

数年前に八十いくつでお母さんが亡くなったのを知っているから
六十後半?七十?まあ、その当たりだと見当をつけてはいるのだけど
実際は彼女がいくつなのかはわからない。

おしゃれな人で髪の毛はいつ会っても真っ黒。
常にショートに切りそろえられていてそれをジェルで顔の側面にはりつかせている。

お化粧もきちんとしているし、
疲れていなければなるべくヒールの靴をはきたいというのも知っている。

会うたびになんとなーくいくつかなあと思ってしまう。
だって教えてくれないとそれだけ気になるってもんだ。

人間なんだからさあ。
鶴は百年、亀は万年、の世界じゃないのだから。

妖怪?ぞんび?魔女?
そんなんでもないわけだから。

どうあがいたって人の年齢なんてゼロから百、のどこかには当てはまるわけで
そんなもんかくしたってどのくらいの得があるんだろうと思う。

ま、こんなに年齢にこだわるわたしはまだまだ子どもだな。
そろそろ大人にならないと。

で大人になったあかつきには
「わたしの年齢?あらいやだ。そんなの、ゼロと百の間のどこかよ」
なーんんて言ってたりして。あーやだやだ大人なんて。


























ちびふたりと撮った影。影だと十歳も五十歳も同じだな。




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by kyotachan | 2014-12-29 19:53 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(10)








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わたしの幼少のころのクリスマスに関する思い出はひとつもない。

行事、としてクリスマスが家の中に存在していなかった。
幼稚園、とか、小学校、中学校にはもちろん普通に通っていてはいたけれど、
クリスマスの時期にクリスマスの話題が出たことは一度もない。今思えばほんとうに、一度も、ない。

六十六年生まれ。
当時、学校ではクリスマスに関する行事はなかったと思う。












高校に入った、おそらく最初の年だったと思う。
クラスメートが何気なく、それはほんとうに、自慢気に、とか、ひらけかす、とか、そういうことは一切なく、何気なく、言ったのだった。

「ああ、最近はクリスマスつってもなんか、つまらんっちゃんねー。朝起きても、枕元にプレゼントのあるわけでもなし」

それは、今思えば、ほんとうに、純粋な、十五の子どもの、正直なぐちだった。

わたしはたまたま、それを口にした、十五の少女の、横にいた。
わたしもまた、純粋な、十五の少女だった。

そしてわたしは生まれてからこのかた、十二月二十五日の朝に、起きたら枕元にプレゼント置いてあった、
という経験を一度も、ほんとうに一度もしたことがない少女だったのだった。

わたしは胸がぴょん!と飛び跳ねくらいにびっくりした。いやもう、ほんとうに。
だから、その彼女にすぐさま聞いたのだった。

「え、え、え、てことはさ、あのさ、えーと、今までは、高校生になるまでは、クリスマスの朝、起きたら、プレゼントが、枕元に置いてあった、わけ?」

「あったよー。だって、クリスマスやろもん。当然じゃろが」

……頭、真っ白になる、当時十五歳の、わたし。

そそそそそ、そんな世界が、あったって、かああああああああああああああ。

いやそれでもわたしは半信半疑だった。
その子が特別にクリスマス好きの家庭に育ったのかもしれないと思ったのだ。

それで周りのクラスメートにかるーく調査してみると
「どっきりカメラ」かこれは?と思うほどに大半のクラスメートが平然と言い放ったのだった。

「クリスマスプレゼント?あったーあったー。朝起きたらさー枕元に置いてあったー。最近はさすがになくなったばってんねー」

まじっ?
ほんっとにみんな、クリスマス・プレゼント、とかって、もらいよったん???

これはもう、わたしにとって結構な重大事件だった。
だって生まれてこの方、一度もその、枕元に置かれたクリスマス・プレゼント、なるものを受け取ったことがないのだもの!

帰宅して早速母親を糾弾。
子どもの権利、だの、そういうことばは知らなかった。

ただただわたしは、ほかの子どもが当然のように経験していることをいまだかつて経験したことがない、
それをわたしの親は知っているのか、知らないのか。そこのところはどうなのかおい!
という気分だった、と思う。

わたしの、親のいたらなさを散々に痛めつけるような言い草に、母親は一言、言ったのだった。

「ああ、そうねえ。へえ。ふうん。でもねえ。ウチはほら、仏教徒やけんねえ」















それを聞いて、わたしはドリフターズばりにずっこけて
それでまあ、話はおしまい、になってしまった。

だから母親の言ったことはまずますこうを博したわけだから
まあ、すごいなあ、わたしのお母さんて人は。と思う。>今になっては。

つまり、それを聞いてウチの両親が
「世間ではクリスマスに子どもにプレゼントを準備するらしい」
と認識し、それを
「じゃあウチでもそうするか」
とわたしの枕元にプレゼントを置いてくれるようになった、ことはないし、昔を振り返って、
「今までそういうことをしてあげなくてすまなかったね」
と言われたことももちろん、ない。

当時は、もうなんでよーよその子はプレゼントもらってわたしは生まれてこのかた一回もそういうことないってさー
と思わないではなかった。

でも今思えば、いやあ、そんなこと、かまってられる人たちではなかったんだよなあきっと、ということがよくわかる。

悪いけどね、そこまで気が回るほど、余裕があるわけじゃないんだよね。
わたしの両親はそう言いたかったのだと思う。

そういう家庭に生まれたこととか育ったこととか、子どもによそがどうのこうの言われてもまったく動じなかったこととか、
今思えば、よかったーこの両親の元に生まれて。と今、こころの底から思う。












今日、わたしは朝から出かけていて、午後の三時ごろ帰ったら
子どもたちはクリスマスのプレゼントらしいものをテーブルに広げて満足気だった。

ウチの場合、プレゼントは枕元に置かれるものじゃなくて
父親と一緒に探しに行くものらしい。

ま、家庭にはそれぞれ、家庭のやり方があるからね……。















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クリスマス。
家族六人になってからは、もう、ずっとこの日は家族六人で過ごす、ことが前提で、
あとは、じゃあ、何を食べる?てことはいちばんの話題になる。

数年前のクリスマスは和食にしようということになった。

あ、そう?
いいよーうん、じゃあ、和食っぽいもの食べようねー
と軽く請け負ったのはよかったけど、これが結構たいへんだった。

たしか、茶碗蒸し。冷凍のうなぎを蒸したもの。海老フライ。
ついでだからってデザート(木の形をしたロールケーキ)まで手作りしたのじゃなかったか。

茶碗蒸しで結構な数のたまごを消費して
デザートを作りはじめてあーた、どんだけたまご使ったよ?みたいなたまごの数。

生地にはもちろん、チョコレートソースにもかなりのたまご、プラス、それにもまさるバターを消費した記憶がある。

どれもこれもおいしかった。
家族のみんなもおいしいおいしいって食べてくれた記憶がある。

だけど和食はもうないな。
たいへんすぎるもん。ほんとうに。

それ以来、毎年、家族で、何がいいかな。何にする?
て話し合って決めている。

幸いなことにこの日は
「毎日食事を作っている妻にこの日くらいは楽させてあげたい」
というこころやさしい夫の配慮も働く。

あ、このかぎかっこはわたしの妄想でもしかしたら
「この日くらいは妻のまずい食事から解放されたい」
というのが本音かもしれない。












前菜はたいてい牡蠣(思えば年に一回しか食べないなー。殻をあけるのは夫の役目)。
ブッシュ・ド・レーヌ (お妃さまのお口)という名前の、丸いパイ生地にハム・きのこのホワイトソースを流し込んだもの)
夫がお気に入りのお惣菜やさんで調達してくる。

メインはムール・フリットだったり、鳥の丸焼きだったり。

デザートはブッシュ・ド・ノエル(アレ以来、パン屋で買ったものですハハハ)。















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つまり今日はすべてお惣菜ですませられるから気分は楽。
大好きなろうそうを灯してなんとなくディナーの時間を待っていられる。

















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食べる前に家族写真。

















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ふざけたバージョンでもう一枚。

















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今夜、十六歳の長女は白ワインを少しだけ飲んだ。

わたしは酒飲みだから子どもたちも酒飲みだったら楽しいなと思う。
長男(十四歳)は少し味見して、ひょっとこみたいな顔をしていた。たぶんこいつは飲まないくちだな……。






































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by kyotachan | 2014-12-25 08:03 | お い し い | Comments(4)







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・カゼがさー昨日、耳ともで “je t'aime papa シュテームパパ/ 好きだよパパ” て言ってビズして来たんだよ。
夫が赤面してわたしに言う。

・あ、そうなの?わたしなんか、しょっちゅうだよ。廊下ですれ違うたんびに言ってくるよ。

・今さあ、彼は大事な時期だと思うんだよ。ボクにするみたいにカゼのことからかわないでよねお願いだから。

夫をからかっているつもりはないのだけど。
努力して努力して、精一杯努力して、フランス風に夫にいちゃついてあげてるだけなのだけど。









この時期、街の話題といえば「クリスマスをどこでだれと過ごすか」。
ウチみたいに選択枝がひとつだけ(家族六人で過ごす)という人はむしろ少数派。

二週間ほど前からクリスマス時期の曜日をぴたりと言い当てる人がいると
「ああ、この人もクルシミマスのくちだなあ」
と思う。

統計的な数字はわからないれど、単純な家族はとても少ないから
たとえば離婚した両親を持つこどもたちは何日に、どこで、
「パパと過ごす」か「ママと過ごす」か、あらかじめ取り決めなくてならない。

離婚した以上、「パパ方の祖父母」と「ママ方の祖父母」が一同に会することもできないから
それぞれに別の日・別の場所であう時間を作らなくてはならない。

だいたい二十三日の夜くらいからはじまって、
二十三の夜、二十四の昼、二十四の夜、二十五の昼、二十五の夜……、
とスケジュールが組まれていく。

両親にとってもたいへんな行事なのはもちろん、祖父母たちにとっても
クリスマスはもう、わたしが言うところのクルシミマスなんてレベルじゃないほどにクルシンデおられる。

たとえばこんな家族。

引退したご夫婦には息子がひとり。
そしてその息子には娘がひとり。つまり孫がひとり。

息子夫婦はとうに離婚してしまっていて、息子は今ガイコクで働いているから孫は母親のところで暮らしている。

クリスマスくらいは、一時帰国する息子と、そしてもちろん孫とも一緒に過ごしたい。
ものすごく普通の当たり前の感情だと思う。

このご夫婦がやっとこぎつけたのが「お昼ごはんを一緒に食べること」という時間。
「お孫さんのお母さんも誘っちゃえば」
と言うと
「息子と前妻はずっと衝突したままだから絶対にありえない」。

孫をはさんで息子夫婦が憎み続けている、て、一体どういう感じなんだろう。
かつて「一度は」愛した相手をそんなに憎み続けることってできるものなの。

あるいは結婚・離婚を繰り返してそのたびに子どもをもうける女性。
この人は弁護士をしているのだけど、三人の男性との間にそれぞれ子どもをもうけた。

相手を代えても問題は依然としてそこに存在しているのに
相手を代えれば問題が解決するとでも思っているのか。

この人の弁護は受けたくないなと思うのはわたしだけ?
あるいはこの人は弁護士としては優秀なのかも。

別の女性は三人の子どもに恵まれた後に離婚。
同じく三人の子どもを抱えている男性と再婚。

四十七歳でふたりの間にできた子を出産。
その子は現在十二歳になった。

この女性、今はもう落ち着いたわ、と言いながらも
クリスマス周辺のカレンダーがきっちり頭に入っているあたり、かなりクルシミマス系だと思う。

子どもたちが大きくなって子どもたちの配偶者も交えて、そしてなるべく平等に、なるべく不満を聞かなくてすむように。
あらゆる知恵と想像力を働かせて綿密なスケジュールを立ててクリスマスに挑むのだろう。

「再婚したてのクリスマスはお互いの子どもたちも小さかったし、なんつーか、地獄だった」
とはこの彼女の弁。

ほんとう、地獄、としかいいようのない図柄がなんとなく頭に浮かぶ。

たくましいな、と思うのは誰もがその状況をクールに受け止めて笑って話してくれること。

我が家の長男がなんだか「間違ってるのではっ?」と思うほどにべたべたしたがるのも
ほかの家族の様子をかいま見て、そうしたくなっちゃうのかなあと思う。

だってやっぱり、簡単な家族でよかった、と思うもの。











不幸そうに見える人が不幸なわけじゃない。
逆に幸福そうに見える人が幸福じゃないことだって多いと思う。

お金持ちに見える人が借金抱えていることは多いし
しみったれのビンボウに見える人が大金持ちなことも多い(フランス人にはこのタイプが多い)。

しあわせ、といっても外側にあるわけじゃなくて、わたしたちの内側にあるものだから
外から見えることだけで、あることないこと判断することなんてきっと不可能に違いない。

今年も無事にクリスマスを迎えた。
そのことを天に向かって感謝する。

画面の向こう側のあなたへ。

メリー・クルシミマス!

メリー・クリスマス!






























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by kyotachan | 2014-12-24 03:46 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)

timbre ターンブル/ 切手







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クリスマスが近いとは思えないほどあたたかい日が続いている。

最低五度、最高十五度。
年内はこんな気温が続くらしい。

今朝、駅前の郵便局まで行ってきれいな切手を買おうと思ったら
切手の部署は午後の二時から営業、と立て札があった。

最近は切手の器械があって、それはたいてい並ばなくて買えるから
ものすごーく便利。ありがたいくらいに便利。なのだけど
シール式のあっけない切手しか購入できない。

年末のカードだし、わざわざ駅前まで来たのだし、せめて普通の切手を買えないか。

駅前の郵便局は広々としている。
その中央に机があって若いおじょうさんがお客さんたちの対応に追われていた。
ためしに聞いてみると、引き出しからかなりきれいな切手を出してくれた。

「あ、じゃあ、いいですか?ここで清算しても」
かけあってみるとすんなりオッケーサイン。

封筒の重さを量って財布を取り出したところで
このおじょうさん、器械で買うのと同じ、シール式の切手をお出しになるではないか。

「あ、えーと、さっき、ほら、美しい切手、見せてくれましたよね。わたしはそういうのがほしいんです。少し、値段が高くなってもかまいませんから」

あくまでもおじょうさんの機嫌をそこなうことのないよう、おだやかに反論してみる。
赤面、もっといえば、明らかにむっとするおじょうさん。

このおばかなアジア人女性に高い切手を売りつけようといういじわるな気持ちはみじんもない。
ただ、おじょうさんの頭の中にあるのは「きっちりと規定の切手を売る」というまじめな気持ちのみ。

「じゃあ、これになりますけど」

ほんの数秒間しゅんじゅんしたあとに、このおじょうさんが出してきたのは
記念切手ほどは美しくないけど、シール式の切手ほどには殺風景でもない、普通の、いわゆる、昔からある手合いの、切手。

ああ、なんか、これ以上はだめだ。

とたんに議論する気力がなえてしまい
「オッケーです。じゃあそれで」

「だーかーらーさー、さっき、出した切手、あるじゃん?あれよあれ。あれをね、売ればいいじゃん?おめーさんばかじゃね?」
とか言いいたんだろうなほんとうはわたし。

たぶんそれは言えない。この先もずっと。
それはわたしがやさしい人だからじゃなくて偽善者だから。

偽善者っていい人ぶる人のことじゃなくて
自分の思っていることをかくす人。


















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帰りにパン屋さんでパンを買った。

レジ横に「クリスマスのクッキー」が売られていて衝動買い。
さくさくっとおいしいクッキーだった。
しょうがやシナモンははいってないみたいだ……。



































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by kyotachan | 2014-12-22 21:58 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(2)








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長女と次女の通うダンス教室主催のクリスマス会。

小さいクラスから次女までのクラスのみ。
テーマは「星の王子さま」。

はずかしながら大学三年か四年の頃
論文のテーマに選んだのが「星の王子さま」とジャンジャック・ルソーのもう題名も忘れてしまった、の本の比較だった。
夢想者のなんちゃら、とかいうやたら長い題名だった。

子どもたちもおもしろがって時々、わたしにする質問がある。
「ねえねえ、ママって大学では何を専攻したの?」

「大学でフランス文学を専攻した」
と告白するとそのたびに目を白黒させてびっくりしてくれる(こちらは腹が立つ)。

わたしの話すフランス語があまりにもめちゃくちゃだから、
「ママが大学でフランス文学を専攻した」なんて冗談にしか聞こえないのだと思う。

「いやいやあのね、フランス文学を日本語で読む科だったからよそれは」
と情けない言い訳をするはめになる。

当時もだからわたしは二冊のフランス文学の本を「日本語で」読んで「日本語で」論文を書いた。
何をどう比較したのかさっぱり記憶にない。

だいたいサン・テグジュペリとジャンジャック・ルソーを比較できるのか?
若いっておそろしい。

だけどね、岸恵子ばりの美人の戸部先生はわたしの論文に A (良)をくれたのよ。

戸部先生いわく
「星の王子さま」の元もとの題名はは petit prince プチ・プランス/ 小さな王子さま。
どこにも「星の」という修飾詞はないのにこれ以上の訳名はないと思う。

この本の新訳が出ているらしいけれど
題名だけは変わらずに「星の王子さま」が使われているところを見ると確かにこれ以上の訳はないのだろうなと思う。

わたしが「星の王子さま」の中で覚えているのは
「大切なことは目には見えない」と「かなしみは長くは続かない」
というふたつのフレーズ。

「かなしみは長くは続かない」はフランス語では「人はひとりでになぐさめられる」と書いてある。
ああ、人はひとりでなぐさめらえれる、て、かなしみは長くは続かないってことなんだなあと思った。

ジャンジャック・ルソーのフランス語は読めなかったけど
「星の王子さま」はフランス語でも読んだのよ……(なんか、苦しい)。













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ダンスのほうはそんな話とはまったく関係なく
なんとなく「星の王子さま」からインスピレーションをもらいました?系のダンスが続く。

自分の子が踊っているのは楽しく鑑賞できるけど
他人の子どもたちが延々と踊る姿は長くなればなるほどほとんど拷問を受けている気分になる。

今回は始まりが午後の四時。
内容も一時間とコンパクトで助かった。

これが年度末(六月)のガラ(舞踏会!)になると
始まりが夜の八時半。
終了は日付の変わるころ。

二重の拷問よこれは。
















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クリスマス会らしくサンタさんが登場してひとりひとりにお菓子袋のプレゼント。

学校はとうにクリスマス休暇に突入。
家に中にはごろごろしている大きい子どもたちが四人も。

クリスマスっつーかクルシミマス(こればっか)。






























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by kyotachan | 2014-12-21 21:27 | 文 化 教 育 | Comments(10)







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長女が撮影した写真の中に見つけた三女。

うつくし~……、と見とれました。
この子は一生、かみそりとは無縁だな。










昨日の記事の cadette カデットゥ/ 次女 は男の子の場合は cadet カデ。
今日の benjamine バンジャミンヌ/ 末っ子 は同様に バンジャマン。

男性名詞・女性名詞のあるフランス語では対象が女性か男性かでつづりと読み方が微妙に変化。
あーもーめんどくせー。何年たってもこれだけはせいはできない。

在仏の長いイギリス人・ジェーン・バーキンはいまだに男性名詞・女性名詞を間違うことがあるらしく、
しかしそれはフランス人に「かわいい」と受け入れられている、という記事を、もう何年も前に目にして以来
あ、オレもー。それでいこー。とたかをくくってしまった。

実際こちらが間違えても、意味はたいてい通じてしまう。
家族から何度訂正されても、こちらが聞く耳を持たないのだから上達のしようもない。

計算違いだったのは、オレのことは誰も「かわいい」とは受け入れてくれないことだな……。ち……。



























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by kyotachan | 2014-12-17 03:47 | 六 人 家 族 | Comments(5)

cadette カデットゥ/ 次女









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昨日の日曜日は家族六人でちょいと遠出をする予定だった。

朝のぎりぎりまですったもんだあった後
結局は四人中だれ一人としてわたしたちと同行したがる者はおらず
それならまあ、お昼ごはんは適当に食べておいてちょうだいよ
とだけ言い残して夫婦ふたりだけで出かけることにした。

まあ、こんなこともできるようになったのねえ。
ああ、ありがたや。ありがたや。















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日曜日に子ども四人だけになってようやく
サパンの飾りつけをする段取りになったらしく
ごていねいにも長女の撮影によってその様子がわたしのカメラに残されていた。

気がきくこと!















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翌日の今日、月曜日は次女の誕生日。

クリスマスのちょうど十日前に彼女は生まれた。
生まれたとき2300グラムしかなくて、しわしわで小さくて、今にも死んでしまいそうに思えた。

そんな赤ちゃんも今日で十二歳。
わたしと同じうま年。















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夫は「買えばいいじゃん」と言ってくれたけど
ガトーショコラだけはなんとなく自分で作りたかった。

ママおいしいーママありがとーママーママー。

子どもたちにそう言われて、ああ、わたしはこれが聞きたかったんだなと。















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次女の誕生日はクリスマスに向かう、準備行事。
今年ももう、クルシミマスだあ。基、クリスマスだあ。
































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by kyotachan | 2014-12-16 05:11 | 六 人 家 族 | Comments(3)








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夫がサパンを調達してきたのが月曜日の夕方。

いつもの年より腰をあげるのが早かったせいで
サパンの大きさはどっこいどっこいなのに
去年の半分の値段だった。

居間はいちばん日当たりがいいせいで
洗濯物を干す場所でもあるのだけど
この時期はそれも移動。

サパンに場所をあけて、なんとなく気分を盛り上がらせる。

子どもたちにそれとなく
「ガーランドやなんかの入ってるダンボール、あそこにあるから」
と飾りつけを促すも、一週間近くたった今もサパンは白い網に入ったまま。

えー!
なんなのよこの冷めた空気はー!

最近は「子育てをしていていちばんいい時期は今」と思うことにしている。
こんなことも子どもたちの成長したしるしだと思えばなんやこーら。な、なんやこーら?
































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by kyotachan | 2014-12-14 01:03 | 六 人 家 族 | Comments(4)








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フランスでは十一歳以下の子どもを家にひとりで置いてはいけないし、ひとりで外出させてもならない。
法律でそう決まっているらしい。

十一歳?
なぜ十歳ではなくて十二歳でもなくて十一歳?

それは順当にいけば子どもが十一歳になる年にコレージュに入学するからだと思われる。

つまり小学校の間は親の送り迎えが義務付けられていて、コレージュではそれから放免されるということだと解釈している。

親もたいへんだけど、子どもたちだって親なしでは外も歩けない、というのはけっこうなストレスじゃないかと思う。
わたしなんて、三歳の頃からひとりで「線路を渡って」友だちの家に遊びに行っていた。
小学校三年生か四年生、というと十歳くらい?からは映画にもひとりで出かけていた。

次女は今年コレージュ二年目。
授業が定期より早く終わる日はとにかくひとりで帰って来たい。

自習室、というのがあって、そこで親のお迎えを待つという選択枝は彼女にとってはなるべくさけたいものらしい。
「ひとりでトラムに乗って帰る」というその行為そのものが楽しくてしょうがない、といった様子。

月曜日と火曜日は次女が「ひとりで帰ってくる日」。
そして火曜日は「ダンスの日」でもある。

今日、火曜日は帰宅後、勝手におやつを食べながらネットでお気に入りの連ドラを見て
早々にシャワーを浴びる格好で浴室に向かっている。
火曜日は学校で体育の授業があるのだ。

ん?もうシャワー?

「ねえっ!ダンスの前にシャワー浴びる必要、あるわけ?」

浴室に向かって叫んだら、

「そうだったそうだった。すっかり忘れてた。パジャマまで準備してたわワタシ」

と笑いながら出てきた。

最近わたしは中年期から老年期への橋渡し期間らしく自分でも「???」な行動をとることが多いのだけど
子どもたちもけっこうやらかしてくれる。

子どもたちは「若ボケ」。
わたしのは「真症ボケ」。

どっちがましだろう?
て、また、どーしよーもないことを。































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by kyotachan | 2014-12-10 02:25 | 六 人 家 族 | Comments(5)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族