カテゴリ:喜 怒 哀 楽( 246 )




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東京の会社で働いていたとき、Bさんという先輩がいた。

一見、ものすごく派手。
実際、ものすごく派手好き。
化粧が、けばい。
ヘビースモーカー。

当時のわたしと言えばまるこちゃんカットに生まれたままのまゆ毛。
ファンデーションのファの字も知らないいなかっぺ丸出しの女の子。

わたしとは正反対な人だったけれど
話をするのは楽しい人ではあった。

社員旅行があって、はじめて彼女のスッピンを見たときには、どきん、とするほど驚いた。

まゆ毛はほとんどなし。
肌はニコチンに焼けてくすんでいる。
目はほとんど一重で白目さえにごって見える。
口紅をぬらないくちびはどす黒く、同じくちびるとは思えない。

一瞬にして色んな情報が脳を刺激してきた。

本人にしてみたら年に一度、自分のスッピンを披露することを楽しみにしていのか、あっけらかんと笑っている。

わたしは同一人物とは思えないほどの彼女の豹変ぶりが恐ろしかった。

ほんとうの顔が、これっ?
まじでっ?まじでっ?まじでっ???
うっぞ======!!!!!

翌朝、いつもの厚化粧Bさんを再発見したときには心底ほっとしたのを覚えている。
ああ、よかったあ。
ほんとうにそう思った。
彼女のスッピンを見るのはわたしにはあまりにも辛すぎた。

あれからもう、三十年ほどが経とうとしている。
時々、Bさんのことを思い出す。
どうされているのかなあと。

不倫のはてに結婚されたと風のうわさに聞いた。
相手はわたしも知っている会社の設計部にいた人だ。

いや、わたしの気になるのはそんなことじゃなく、
Bさんは今もあの厚い化粧を自分にほどこしているのだろうか、ということなのだ。

当時はずいぶんと年上に感じたけれど今思えば年の差は数年だったはず。
つまり彼女は今、わたしと同じ五十代を生きているはず。










はがれる、ということがわたしはものすごく苦手なのだと最近気づいた。
化粧がはがれるのが苦手だから最初からそんなものはしないほうがいい。

口紅さえも、ぬれば少しは明るい顔になると思いながら
それのはがれたときのことを想像して、それさえも面倒くさい。

髪の毛を染めるのをやめてしまったのだって、それがはがれるときのみにくさに耐えられなくなったからだ。

髪の毛さえ白くなければもっと若く見えるのに、
長女にそういわれてどきん、とした。

そうなんだよね。
でもいつかははがれてしまうものだから。
わたしはこのままがいいの。

言い方を変えれば美に対する努力をまったくしない人だとも言えるかもしれない。
いや、きれいでありたいとは思うけど、はがれてしまうものを塗りたくるのは苦手なだけ。

ストッキングをはこうとしてささくれだった指に引っかかり電線させたことがある。
新品だったけれど、すでにやぶれてしまったそれをはく気にはなれず当惑した。
ストッキングが苦手なのも、同じような理由かもしれない。









若い人に圧倒的に多いのだけど電線したストッキングを平気ではいていたり
はげた口紅をさらして明るい笑顔をふりまいている人を見ると
こんな感じでいいんじゃないのお、という思いになることがある。
その一瞬先に、いや、わたしには無理、とも思う。

母親の生前、母親とBさんのことが話題になったことがある。

母親の友人にもBさんタイプがいるらしく、
「そん人、化粧しちょったら、びっくいするくらい美人やろもん」
と言う。

「そうそう、もうね、めちゃくちゃ美人なんよ。髪の毛も長くてさらさらで」
母親が即、共感してくれたのがうれしい。

「化粧、ったあ、言うたもんよね。化ける道具やもん」。

いやほんと、その道具を駆使できないわたしはある意味、人生の中でものすごく損をしているのかもしれない。

















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久しぶりに記事を書いたら、すっかり環境が変わってしまっている。
テンプレートの変更さえままならない。
使いにくい。慣れることはできるのか?





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by kyotachan | 2017-03-05 20:37 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(2)

malade マラッド/ 病気









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風邪をひいた。

去年の今ごろは咳がひどくてひと月くらい咳き込んでいた、
ことを思えば、今回はそれがないだけでもましと思おう。

頭ではそう自分に言い聞かすも、カラダが弱るとココロもとたんに弱ってくる。
去年から引きずっている悩みが、それも自分では決着をつけたと思っていた悩みが
もくもくもくと頭を占領してはそのことがぐるぐると際限なくまわり始める。

そうなるとこれまた決まったように出てくるのが母親で
ああ、お母さん、今度こそはお母さんのおそばに行かせてください、お願いですからお母さん、
と自殺願望の十代の少女に化けてしまう。

五十になってもこれ、やっとるんかおめーは!

もう一人の自分は自分を叱咤するも、お母さんお母さん、おっばいが飲みたい……
もう一人の自分とは真逆にどんどん精神が幼稚化する。

はーあ!

これだから病気するとだめなんだよ!











おかげさまでというかなんというのか、
母親が待っている、と思うと、死ぬのがこわくないのは確か。

やっと会える、と思ってのぼっていったら、
母親はとうに生まれ変わっていて、そこにはいなかった、てこともあるかもしれないけどね。

どっちにしても楽しみなこと。
あと三十年はこっちでがんばらないとねー。

















そう思えるようになるってことは風邪ももう回復期。
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みなさまもくれぐれもご自愛ください。



ニースの危険情報とか。



フランスの習慣ビズについての考察とか。


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by kyotachan | 2017-01-25 17:41 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(11)









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はじめてかかったオメオパチーの医者に
「ストレス発散法方はなんですか」と聞かれた。

思いがけない質問で、答えにつまっていると
「大声で叫びますか」「モノを投げたりしますか」
と畳みかけてくる。

……、いや、叫びません。モノも投げません。

そう答えながら、そうか、人は叫んだりモノを投げてストレスを発散させるものなのか
みたいなことをぼんやりと考えていた。

にこやかにわたしの答を待つ医者に
「没頭できる本を読んだり、映画を見たり……あと、お裁縫」
とぼそりと答えた。

「じゃあ、ウチにためこむタイプなんですね」

瞬時にそう断言されてしまい、あれえ?そうなのかなあと自問した。
外に発散しないストレス発散法方を持たない人はストレスをためこんでいるんだろうか。










あ!
アルコールで流しているんです!

と後で思ったけど、これは言えなかった。

だって彼女(医者)にはアルコール類は赤ワインならグラス二杯までと言われているのだ。
依存症ではないのははっきりしているのだから、そのくらいコントロールできるでしょ、と。

……、これも言えないのだけど、言いつけを全く守れていないのだった。

星の王子さまの中に悲しみだか苦しみを忘れたくてお酒を飲む人が出てくる。
そんなの、ただの思い込みだよ、とかなんとか。

わたしもストレスをお酒で流していると思っているけど
これもやっぱり思い込みで、自分の中にためこんでいるんだろうか。


















写真は友人宅へ持っていったケーキを、ちょっとずつ食べてみたいよね!と切り分けてくれているところ。
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わたしは甘党か辛党か、でいえばはっきりと辛党です。

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by kyotachan | 2017-01-06 16:13 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(6)










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わたしの十代は真綿に包まれていた。
上を向いても下を向いても、どこもかしこもふわふわとしていた。

そう思うのは今になってからで
当時のわたしは自分の状況をそう思っていたわけではない。

なぜつまらない学校に毎日通うのか、
なぜ思いを寄せる人には思いが伝わらず
気に入らない人にばかり思われるのか。

足首はちいともくびれておらず
まん丸の顔はほっぺたが赤くて気に入らなかった。

わたしの願いはけして叶うことはなく
なりたい自分にはけしてなることはできず
わたしはどこまで行っても不幸なままだった。

父親の吸っていた峰というタバコをこっそり吸った。
頭がくらくらして、それはなにがしかのことをやりとげたような錯覚を与えてくれた。

吸殻はココアの缶に入れて、オルガンの足(中が空洞になっていた)に隠した。










長男の部屋のゴミ箱からタバコの吸殻が出て来ようが、
長男がベランダでタバコを吸っているのを夫が目撃しようが、
はたまた長男の部屋の引き出しからウォッカの空瓶が出て来ようがだから、

わたしは自分がその年齢だった頃のことをなつかしく思い出すだけで
それが、大事でドラマチックなことにはちいとも思えない。

あらまあ、長男がもうそんな年になりましたか。

わたしの正直な、ほんとうにまっさらに正直な気持ちはそれだけで
それはなんというか、子どもの成長の一端を垣間見るくらいの出来事だった。

夫の反応はその真逆で、それは心から憂えることで危惧すべきことでつまりは長男を叱りつけずにはいられないらしいのだった。

あの時、わたしが親にこんな風にされてたら、たまんないな。
夫と長男の姿を見て、わたしは長男に同情している。

そんなわたしを見て、夫の怒りの炎はますます勢いを増して燃え上がる。
「キミは自分の子どものことに、どうしてそんなにまで無関心でいられるんだっ?!」

無関心ではない。
ただ、わたしはそっとしておいてもらって助かったから、自分の子どもにもそうしたいだけ。

わたしには確信があるのだ。
わたしが母親から「この子は大丈夫」と信じてもらった分だけ、
わたしも自分の子どもたちをどこまでも信じていてかまわないと。
何も心配していないし、心配する必要を感じない。

母親が死んでからずっと母親は生きていた頃よりもわたしのそばにいる。




















毎年恒例のアレです。ログイン面倒くさいからなあ。

でもちょっと、いっとく?いやあもう、お世話になります。

写真は約四年前。かわいい!
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by kyotachan | 2016-12-06 17:23 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(8)








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かれこれ四年ほど前のこと。
六十をわずかにすぎた日本人女性がおっしゃった。

健康診断をして、幸いどこにも悪いところは見つからなかった。
ただ、血圧だけが高めだった。

知り合いのヴェトナム人のなんとかさんも血圧だけが高くて、
このゴーヤ茶を飲んでいるらしいが、これを飲むと血圧が正常値に落ち着くらしい。
飲まないと、上がってしまうらしい。

その時はわたしは四十代で、いや、もうとっくに四捨五入では五十の域に入っているにはしても
それでもやっぱり四十代で、

まあ、わたしとは全く関係のない話だわ、と上の空の聞いていたわけなのだけど、
今回、高血圧症と診断されて、この時の会話が頭のすみっこにぼんやりと浮かび上がった。

そうだ、ゴーヤ茶だ!









シノワ(アジア食材を売る店をこう呼ぶ)で二十五パック入りで三ユーロちょっと。

けして高いお茶ではなく、効用に高血圧症がうたってあるわけでもないけれど
たしかにこれを飲むと、それも一日一パックで充分、血圧がもとに、というか、それ以上に、下がった。
そのあと、わたしのいつもの数値に落ち着いた。

味のほうはゴーヤの苦味はまったくなく、ほうじ茶に似た香ばしさがあり、おいしい。

二日ほど飲まないでいると、また上がりだした。

日本人女性とヴェトナム人のおじさんと、わたしの三人だけの証明だけど、
これはほんとうに高血圧症の方にはいいお茶なのだという気がする。

ヴェトナム人がいう、ヴェトナムのお茶だし!











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日本語表記もあるから、日本でも手に入るかしら。
ヴェトナムからしたらフランスより日本のほうがよっぽど近いのだから。










五十を過ぎて、よく思い出すのがローリングストーンズンのメンバーたちが還暦を迎えたころのこと。
それまではドラッグとお酒におぼれていた彼らが毎朝ジョギングをするようなった、と笑い話のように報じられた。

のん兵衛が代名詞だったわたしも酒を飲まなくなり
今日、飲んだくれる快楽よりも、明日一日、快適に過ごせることをより強く願うようになった。

年をとるっておもしろーい!

















手前の桜餅は夫が最近はまっているお弁当屋さんのデザート。あるところにはあるもんなんだな。いやあ、おいしかった!
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ちなみにお弁当のほうは牛丼だったらしい。わたしのいない時にだけ、お弁当屋さんのお弁当、て!!!

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by kyotachan | 2016-11-16 16:12 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)









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Toussaint トゥサン のバカンスが開けた。

ついこの前夏のバカンスが開けて学校が再開したばかりだったのに。
学校に行く期間が二ヶ月もないってこれって一体どういうこと。

カレンダーを見れば、二ヶ月もしないうちにまたクリスマスのバカンス。
なにか、まちがってませんかフランスの学校。いまさらだけど。









今年の夏に五十をむかえて、今月の頭に人生初の高血圧症状におちいった。
血圧は人生はじまって以来、ず~っと正常だったからちょっとショック。

でもそのショックした頭で立ち止まってみたら、母親がよく言っていたのだった。
「父ちゃんも母ちゃんも血圧の高かとやけん、あんたも気をつけんばいかんばい」。

もちろん当時は血圧は低いから、「なんば言いよっとね。ウチの血圧はむしろ低めとけ」
と応酬したら「ま、若かうちはね」と鼻で笑われた。

脳のスキャン、心臓の検査、血液の検査、何をしても異常は見つからないのだけど
わたしを困らせるのは突然おそいかかる頭痛。

ああ、これも、母親が時々寝込んでいたのと同じか……。

なぜ高血圧症になるのか、なぜ頭痛が起こるのか、
フランスの医者は「遺伝」ということばで片付けようとする。

そげんことはわかっちょるけん、おいらの頭痛を治める薬をくれ。
いや、もうまじで、何を飲んでも効かない。悪化さえする気がする。

ものすごいスピードで発達しているように見える医学なのにさ!
五十女の頭痛ひとつ、解決できない医学なんてさ!















おそまつな写真はフランスによく売っている「かたっ!」な豆腐をうす~く切って、大目の油で揚げ焼きしたものの。あら。こうすればおいしいじゃん?
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写真でかすぎ。小さくする?と思いつつその気が起きない。五十の怠慢期。豆腐の向こうは型紙(らしい)。覚えてない。

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by kyotachan | 2016-11-03 16:39 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(13)











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バカンス中のある朝、夫とふたりでニースのビーチに出かけたことがあった。

ニースのビーチは石ごろで足が痛いし波は高いしで苦手なのだけど、
朝だったせいか海はおだやかで、そしてきれいだった。

老夫婦、ということばが似合うふたりになってしまった。




















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by kyotachan | 2016-09-07 16:27 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(7)

ego エゴ









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宮部みゆき『楽園』を読んだら『模倣犯』を再読したくなった。

早速本棚から探し出して読み始めて、あれ、これ二回も読んだっけ、と思う。
あまりにも鮮明に覚えているから、読んだのは一度きりではないなと。

いい本は何度も読める。読むたびにおもしろい。
もう二度と読みたくない本はやっぱり一度目からつまらない。

『模倣犯』のなかに
犯人からテレビ局に情報が入り、テレビ局と警察とのやりあいになる場面がある。

あれ?なんかこれ、なにかとシンクロするなと思った。

犯人逮捕、というか事件の解決はテレビ局の人間にとっても警察にとっても悲願のはず。
それなのに、テレビ局が、とか、警察が、というふたつの組織の対立になってしまう。

目的はお互いにひとつ、のはずなのに、そこでいがみあってどうするよ。
おまけに警察内でも「だれがどうした」「だれが何をいった」のいざこざが勃発。

わたしたちの生きてる場所のあちこちで、こんな風にばからしいことが起きてない?

大きな範囲でも
小さな範囲でも
ひとは目的が同じもの同士でもぶつかり合う。

ぶつかり合うんじゃなくて
一緒にそこに到達すればいいのでは。

ぶつかり合うのが人間のエゴの成せる技ならば
わたしたちはそろそろ、エゴなるものを捨て去るべきなのでは。

エゴがなくなったら人間でなくなる?

じゃあさ、じゃあさ、大きなエゴを、小さくする努力をしてみるとかは。

てほざいてるオレからだな。まずは。

エゴってなんだろう?と思って辞書を引いたら「自我」だった。
自我?自尊心、でもいいかな。

自尊心を捨てる。大きな目的に向かって小さなことには目をつぶる。



















宮部みゆきはもう、読み出したら止まらないよ。うますぎるよ。うますぎていやになっちゃうよ。
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写真はお散歩途中で見たアパートのドア。鮮やか~。

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by kyotachan | 2016-05-09 17:10 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(8)








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朝の七時、雨戸を開けて、昨日はもっと暗かったはずなのにと思う。
日の出はすこしずつ早まっているのだろうけれど、それが突然進むように感じるときがある。

三月になったからだ、と思い、いやまさか、と笑う。
あとひと月たてば夏時間の導入で、そうしたらもう夏はすぐそこまでやって来る。

今がいちばんいい時ね。

これはわたしにとってはじめての子どもが生まれたときに周りの人たちによく言われたことばだ。
わたしはこのことばを時々思い出す。今がいちばんいい時ね。

はじめての子どもはまるで人間の子とは思えず、宇宙人が間違えてわたしのところへやってきたようだった。
わたしはその人にふり回され、夜も朝もわからぬような生活になり、計画や自分の意思とは一瞬にして遠いところへ追いやられた。

そこへ言われた「今がいちばんいい時ね」だったから
わたしは「は、はあっ?なに言ってんのこの人たちは」というのが正直な気持ちで
きっとからかわれているんだなと真剣に思った。

あの頃、わたしは確かに「いちばんいい時」にいたのだろうなあと今はわかる。
そして、それは今も、「今がいちばんいい時」と思うことにつながっている。

日がのびた、のを感じること。
子どもたちが成長していると感じること。
夏が、もうそこまで来ていると感じること。

昨日のことを悔やんでも何も変わらない。
明日のことを憂えてもしょうがない。
今がいちばんいい時なのだもの。

今がいちばんいい時。
気温が上がって花粉で目がかゆくてしょうがないのさえ、まあ、今がいちばんいい時だから、と思うことにしよう。
















写真は昨年末、mt boron モンボホン のお散歩道で。
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by kyotachan | 2016-03-01 17:39 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(9)








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クリスマス、つーと、それが義務かのようにごちそう探しにやっきになるわたしたち。
スーパーはどこも人でごった返し。
毎年の風物詩といえば聞こえはいいが、なんだかもう、それだけでげーっそりなわたし。

牡蠣でしょ、フォアグラでしょ、サーモンでしょ、ブッシュアラレーヌでしょ、ムールフリットでしょ……デザートはブッシュドノエルでしょ、
子どもたちが復唱するそのメニューにこちらはすでにお腹いっぱい。

クリスマスつったって、普段の二倍も食べられるわけないんだからさ、
つぶやく年老いた母親に間髪いれず長女が「わたしは食べれるよ」。

ああ、そうかあ。
クリスマスの食事をこなすのには若さが必要ってことなのね。

写真はしょうがのコンフィ。
アジアの食材店で見つけて買ってみたらこれがもう、大ヒット。

そのままつまんでももちろんおいしいのだけど、
これをきざんで温かいおそばにいれるとぴりりと味がしまってほんとうにおいしい。

これとねぎをた~んまりいれた温かいスープなんかがいちばんいいわ。
とこれから開ける牡蠣を前にぽつりとつぶやく老婆がここにひとり。




















クルシミマスー!基メリークリスマスー!




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by kyotachan | 2015-12-25 00:30 | 喜 怒 哀 楽 | Comments(5)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
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