カテゴリ:吐 き 出 す( 40 )

écrire エクリール/ 書く

f0136579_23102196.jpg


わたしは書くことが好きだ。
と宣言したところで、瀬戸内寂聴さんのように子どもを捨ててまで書きたいものがあったことは一度もない。
世の中に子どもを捨ててまで何かを成し遂げたいという人がいる、というニュースなりを耳にするたびにいつもびっくりする。

子どもができてからこちら、子どものことを言い訳に色んなことを怠けてきたことは認めるが
子どもを捨てて何かをしようとは、その発想にさえびっくりしてしまうほど、一度もない。

ブログという世界を知ってからは
書いたものを読んでくださる人がこの画面の向こう側にいる
というただただそのことだけがうれしくて、書くのが楽しくてしょうがなかった。

十年という月日があっちゅーまに流れ、
わたしの子どもたちはわたしがいなくても自分の口にいれるものを自分でなんとかできるようになった。
(スパゲティをゆでたり目玉焼きを焼いたりはできる、という意味でね)

いま、ふうと息をはきながら周りを見まわしてみると
わたし以外の人々はどんどん前進して色んな場面で活躍をしているように見える。

十年前から相変わらずスタート地点の白い線の内側にいて
いまだにスタートさえきっていないわたしがぽつり。

あれ?
わたしったら一体、ここで何をやってんだ?

子どもを捨ててまでもやりたいことを、見つけられなかったって、
実は子どもを言い訳に何もかもを怠けてきたってことなんじゃないの?













数年前にこの文学賞の存在を知った。

今年で四回目の挑戦になるから八年前?
隔年で催されるその文学賞に小説を送っている。

こんなにはずかしいこと、まさか公言できるわけではなく
公になるのはわたしが大賞を取ったとき、と思っていたのだけど、
いやあもう、ここへ来て、その張りつめていた糸がぱっちんと切れてしまいまして。

原稿用紙百枚以下、が条件のところ、今書けているのがその約半分。
締め切りは六月の末日消印有効。

四回目の正直ともなると、もうこれは大賞を取ることが目的ではなくて
自分で納得できる小説を書いて送る、ことが目的になってしまっている。
だから、小説をどうしても書き上げたいの!

画面の向こう側のあなた、この原稿に目を通していただけませんか。
そして、だめだし、訂正、校正、𠮟咤、激励、なんでもしてほしいの。
とりわけ、続きのストーリーのアイディアをばんっばん出してほしい。
その勇気のある方にはどなたにでもお送りいたします。

もちろん公の場所に出してしまったらわたしは資格を失うので
それだけは間違いのないように取り扱いには十分に気をつけてくださる方に。

非公開コメントでメールアドレスお知らせください。
さあ、今日(というかたった今)発足した『きょうたを作家にさせよう会』に、ふるってご参加ください!


















ままま、まじっ???
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
ままま、まじですよ!!!






https://www.instagram.com/kyotachan/
[PR]
by kyotachan | 2017-05-07 23:53 | 吐 き 出 す | Comments(14)









f0136579_16544234.jpg

久々の二日酔い。
ひとり飲みの翌日の二日酔いほど情けないものはない。

と、何度ひとりごちれば学ぶのか。
おえ。←軽い吐き気。
























にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2015-12-09 16:57 | 吐 き 出 す | Comments(0)

nager ナジェ/ 泳ぐ








f0136579_1647232.jpg

わたしは泳いで旅をしている。
黒いウェットスーツを着こんでいる。

一緒に泳いでいる連れがひとり。友人。

ボートにのってわたしたちを先導しているのは友人家族。
夫はボートのハンドルをにぎっている。
妻のほうは一歳になったばかりの子どもを腕に抱えてボートのはしに腰かけている。
海の中からその様子を眺めているわたしは、その子が海に落ちてしまわないかと気が気じゃない。

「海の駅」へと泳ぎ着く。
ある街に到着したのだ。

そこは海の中に建てられた木の箱のようなところ。
まわりは全部ガラスで街を行き交う人々が見える。

そこで休憩することにする。
妻のほうの友人が、子どもを抱えたまま海に降りて来る。

はじけるような笑顔。
子どもも母親の腕の中で安心しきっている。

なーんだ。
あんがい平気なもんだな。

夫のほうの友人はボートに乗ったまま。

せっかくなので街の中を散策する。
黒いウェットスーツを着たまま、ぬれたまま。

駅のドアを押したとき、
旅行するときには必ず携帯するお茶を忘れてきたことに気づく。

わたしったら。ばか。

ドアの外に出ると病院だった。
ピンク色の制服を着た看護師さんが歩いている。

あ、へーと感想をもらし、
すぐに駅に戻ったらボートも連れの友人もいなかった。

しまった!
暗くて冷たい海の中をひとりで旅しなくてはならなくなった!

憂うつ。
という夢を見た。





























にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2014-12-05 16:50 | 吐 き 出 す | Comments(2)







f0136579_1105753.jpg

思い返すとわたしは小さい頃からかなりのうそつきだった。

お習字教室に行くのがいやで母親に向かって「今日はお休みらしいよ」と言ったりした。
母親はちょっと困った顔をして「キョータ、お休みだったのは先週やろもん」と言った。

「いや、なんかね、今日もね、休みらしかよ」
それでも食い下がるわたしに
「……なんでそんなうそをつくかねえ」
母親はため息まじりに言った。















またある時には学校に行きたくないばかりに、朝、体温計をこすって針を昇らせた。
このときは母親は、なぜか見て見ぬふりをしてくれた。

わたしは早々にうそがばれてしまったのを承知でその日一日、白々しくも仮病をよそおい
母親は母親で熱を出した子をかいがいしく介護する母親を仕方なしに演じてくれた。














わたしが生まれつきのうそつきなのはまちがいないが、
それとは真逆に、「この世の中でいちばん大切なのは正直であること」と思っている一面もあった。

お習字教室に行きたたくなかった気持ちとか、学校に行きたくなかった気持ちとか、
その気持ちを正直に実現するためにはうそをつかざるをえなかっただけなのかもしれない。














「正直正直ってあんた……。正直だけでは社会は渡っていかれんよ」
と母親にさとされたのはわたしが小学校五年生のとき。

担任の先生のことを「正直に」作文に書いたわたしを
母親はそういってなじったのだ。

うそはよくない。
しかし正直だけなのもよくない。














わたしが中学生・高校生の頃は深夜にラジオを聞くのが定番だった。
好きなパーソナリティの番組にチューナーを合わせて、しんとした夜中に聞いたものだ。

どの番組もたいてい視聴者からのはがきを読むコーナーがある。
女性のDJが、受験生から来たはがきを読み、そして言う。

「受験生のナニナニ君、がんばってくださいね。絶対に合格するようわたしもお祈りしています」

甘くて鼻にかかったようなその声を今でも耳の奥に思い出す。

わたしは妙な気持ちになった。
この人はほんとうにこの受験生のために祈るかなと。

祈るとしたら、どういう祈りなのかなと。
神に祈るのか、仏に祈るのか、あるいはきつねやたぬきに祈るのか。

ラジオの向こう側にいるその人に聞いてみたかった。
もっといえば、そんなのうそだろう、と思っていた。
おまえはその受験生のために祈ることなんてしないだろう!うそつき!と言いたかった。




















f0136579_111888.jpg

poisson d'avril ポワッソンダヴリル/ 四月の魚という今日は、日本語でいう四月ばかの日。
フランスでも今日だけはうそをついていいとされている。

大統領は全国紙の一面を使ってうそをついていいことになっているのだが
現大統領にそれだけのユーモアのセンスがあるのかどうか。

この日のうそは誰にでもうそとわかわるうそで、
そして大笑いさせなくてはならない。

わたしのついたうそはちょっと外れてしまったよう。
だまされてしまった方々にはほんとうにごめんなさい。

うそだらけのブログですが今後ともどうぞよろしくおねがいいたします。



























写真は三女に貼られた夫の背中。「大声で言って!“わたしをたたいて”って」
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2014-04-02 03:07 | 吐 き 出 す | Comments(16)








f0136579_23283829.jpg

長男が耳を痛がって学校を休んだ。
医者へ行くと「両耳とも中耳炎になりかけてる」。

休ませてよかった。
中耳炎はわたし自身経験がないのだけど
「中耳炎の痛みは世界三大通のひとつ」と聞いてからは
「耳が痛い」というのには敏感なのだ。

お昼休みの時間に「ある男の子」から電話があって、
「明日の宿題はなにもないって伝えたかった」という。

「どちらさま?」と三ぺんも聞いているのに
「カゼくんの友人ですよ」としかいわない。

「だから名まえは!」
といいそうになり、「息子にかわるね」と長男に電話を渡した。

わたしの時代には電話は家族みんなもので、つまりそれは公のものだった。
今はといえば確かに、電話がパーソナルなものになり電話で名乗る必要はなくなってきた、といえるかもしれない。

事実、わたしだって電話の液晶に登録されていない番号が表示されると
その電話に出るか出まいか、ちょっと迷うほどなのだから。

だけど、名まえを聞かれても答えない、って、これってどうよ。
知らない間に、電話の向こうの相手にむやみに自分の名まえを名乗らないことが常識になってしまったの?

以前も、長女に電話があって、名まえを聞いているのに「友人です」としか答えずに
えらく腹が立ったことがあったのだ。
長女が携帯をもってからこちら、家の電話に長女宛の電話がかかることはなくなってしまった。

子どもたちが電話しているの小耳にはさむと、
「まず自分の名まえを名乗りなさい!」
と口すっぱく言っている。

そのほうが感じがいいと思うんだけどなあ。
前世紀の人間がほえているだけなんでしょうか。

写真はわたしの電話カエル号と、いまだに手放せない毛糸の帽子と手袋。
雨ばっかり降って寒い。


































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2013-03-28 23:52 | 吐 き 出 す | Comments(6)









f0136579_2114969.jpg

しわしわにはしわしわのよさがある。
しみしみにはしみしみのよさがある。
いぢわるにはいぢわるのよさがある。





























 >そこかい!
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

は!す、すみません!

[PR]
by kyotachan | 2013-03-06 21:15 | 吐 き 出 す | Comments(2)

f0136579_17301855.jpg

夏休みのある日、デートに出かける長女が言った。
・ママ、トラム代の二ユーロちょうだい。

わたしは二ユーロを渡し、長女は出かけた。

時間は朝の九時過ぎ。
この夏の、いつの間にか慣れてしまった朝のできごと。















お昼ごろわたしは近所のスーパーへ買い物に行き、
車輪つきのショッピングバッグに牛乳やらお水やら
とにかく重たいものを詰め込んでひぃひぃ言いながら歩いていた。

ちょうど太陽が真上にある時間で
どこにも陰がなく、ちりちりと熱い上に
重たいバッグを引きずっていてわたしは汗だくだった。

こんな時間に出かけるなんて狂気の沙汰だ。
お腹をすかせた子どもたちがいれば
灼熱の中へ飛び込んでいくしかないときもある。

要領の悪いわたしはお昼に必要なものだけ、さっと買ってさっと帰るということができない。
せっかく来たのだからとあれもこれもと大量に買い込んでしまう。

そこへ長女から電話があった。
デート中の長女から電話があるのははじめてのこと。
思わず立ち止まり電話に出る。

・ママ?あのね、今朝ね、トラムの中でコントロールにあって、罰金刑をくらっちゃったの。

わたしは une amende ユナモンドゥ/ 罰金 という単語が
どうしても耳に入ってこなくて、何度か聞きなおした。

・une amende ユナモンドゥ?え?いま、なんつったの?une amende ユナモンドゥ......って、それって、ば、罰金?

ばっきん?ばっきん!

ニースのトラムはどこへ行くにも一律一ユーロ≒ 100円。

トラムの各停車場にチケット販売機がある。
この器械でチケットを購入し、車内でチケットにスタンプを押す仕組みになっている。

途中下車をしてもそれが七十二分以内ならば同方向に限り同じチケットで乗車可能。

ただし、チケットの購入、および車内でそのチケットを器械に通してスタンプを押していない場合、
四十六ユーロ≒ 4600円の罰金が課される。

コントロール、と呼ばれる、抜き打ちのチェックが市内のいたるところで行われている。

わたしはといえば炎天下、「何かあったのか」とあわてていた。
それとは逆に、汗をかいた耳に押し当てた電話機の向こうから聞こえてくる
長女のゆったりとして落ち着き払ったその声は
わたしのかんにん袋のひもをひきちぎるに充分な威力があった。

わたしは人目もはばからず、その場で大声をあげた。

・なんだって?罰金、だって?罰金?!今朝、わたしから二ユーロ、ぶんどってったのはどこのどいつだいっ?!
・......だけどね、わたしが停車場についたとき、ちょうどトラムが来たからそれに飛び乗ったの。
・だからなんだって!それがなんの言い訳になるっつーの!二分もすれば次のがやってくるでしょうに!

わたしに全身全霊、怒りという炎に包まれた。

・で?なんなの。わたしにどうしろっつーの。
・......ただ、知らせておこうと思って。
・ああ、そりゃどうも。

わたしは電話を切り、ふたたび重たい荷物を引きずって歩き出した。
炎天下、わたしの怒りは太陽のごとく熱く、時間を立つごとに煮えたぎった。

どうしてもトラムに乗る必要があって、でも手持ちのお金がなかった、という話ではない。

お金は親からもらっておいて、チケットを購入しなかった、というその怠慢さに、あるいはずるさに腹が立つ。
コントロールなんてやって来くるわけないさ、という甘いこころに腹が立つ。
そしてそれを、何時間もたってから、のんびりと電話で知らせてくるその態度に腹が立つ。















この罰金は翌日までに支払わなければ、二日目から金額が倍になる。

翌日、長女は夫からお金をもらい、お金を払いに行った。
夫は「ついていってやれば」といったけれど、どうしてもついて行くことができなかった。















それからふた月ほどたったころ、
夫とふたりでこのときの話しになった。

わたしがどれほど怒りまくったかを
そのときの自分を思い出しながら語ると
夫はびっくりした顔をしている。

・そんなこと言ったの?

・言ったよ。もう、わたし、どうしても自分の怒りを抑えることができなかったから。
・かわいそうに......。
・かわいそうに?なんで!
・だって、ウミがコントロールにあって、どれだけ恐かったと思う?















トラム、あるいはバスのコントロールは
ふいにどこからかあらわれる、
重々しい服装をした二十人ばかりのコントロール人員が
トラム、あるいはバスの出入り口一斉にを締め切って、チケットを入れる器械もブロックして、
車内にいる乗客たちにチケットの提示を促す。

それは確かに、チケットを持っていても
その勢いにどきどきしてしまうような空気がある。

長女がその時に恐かったかどうか、
などということを小指の先ほども考えてもみなかったわたしは
夫のそのことばにちょっと立ち止まざるをえなかった。

ああ、そうか。
長女は恐い目にあったのか。















わたしはやっぱりいぢわるなんだな。
一瞬にしてそう思った。

そしてわたしの頭に浮かんだのはいま書いている
いぢわるでごめん。』のことだった。

これは、二回目か三回目を書いたところで
リアル友人に「くだらなすぎ」と言われてひどく落ち込んでしまい、しばらく手がつけられなかった代物だ。

どこへ進むともなにも決めずに書き出したものだったし
いっそのこと削除して闇に葬ってしまおうかとも思ったのだが
そう思うとタイミングよく「あっちの方も楽しみにしてます」などというコメントが入り
それもできずにもんもんとする時間が長く続いた。

ようやく再開したものの、いまだにこの話がどこへ落ち着くのか
書いている本人にもわからない。

気が向いたときに気が向いたことを書いているせいで
ひとつの話としては色んな矛盾やほころびもあちこちに目立つ。
<あまりにもひどいのでどうか読んではくださるな。>

ぼちぼちながらも書き進むにつれて、ただわたしは自分のためだけに書いていて、そして
「わたしは結局、自分がいぢわるなことへの言い訳をしているのだな」
ということに気がついた。















正直にいえばわたしは、
やさしい人、いぢわるな人、という言い方はおかしいと思う。

人はみなやさしくて、人はみないぢわるだ。

やさしいだけの人などいないように、いぢわるなだけの人もいない。

やさしい人、と思っていた人があるときひょい、といぢわるな行為をするのを見かけて
あら、と思うことはないだろうか。

あるいは極悪非道人と信じていた人がぽろりとやさしい気持ちを見せるのを
意外に思いながら見やることは。

ほらね?!
それがまさしく、ヒト、というべきものの姿なのだよ!

とわたしは思うのだ。
ヒトはけして「~だけ」、つまりやさしいだけやいぢわるなだけのロボットにはなりえないのだ。

つまり、わたしもね、いぢわるばあさんに見えて、実はやさしいところもあるのだよ。 >!そこかい!















今回の小説を書いていて、気がついたことがもうひとつ。
ヒロコちゃん(この体験は実話)の存在のおかげで
わたしは友人をちいとも大切にできない人間になってしまったのだろうなあということ。

だからといってヒロコちゃんを責める気にもならないのだけど!

だってわたしはいま生きていることがしあわせでしょうがないから。
色んな問題や悩みはつきないけれど、それでもああ!わたしってなんてしあわせ者なんだろうと思う。

明日はどうなるかわかない。
でもいま、ここで、わたしは精一杯しあわせだ。

わたしたちはきっと、どんな性格であろうとも、
もっといえばとんでもなくいぢわるな性格でも
そしてどんな境遇でもどんな場所にいても
いまあるわたしたちそのももの姿のまま、ちゃんとしあわせになるのだと思う。















四十代も後半になってから、
いまの気持ちを小説という形にしたいと思いはじめた。

上手になったら公表して人に読んでもらおう、
というのではいつまでたっても上手にならないから
下手なら下手なりに書いてみよう。
そんな気持ちで書いている。

誰のためにもならないことは重々に承知しているけれど、
わたし自身は、書くことで色んな気づきがあって楽しい。

わたしは「くだらなすぎる」小説を
ばかにされながらもこけにされながらも
ただただ「書く」ことはできるということに感謝しつつ
またそれを即、公表できる場所があるということにもまた大いに感謝しつつ
ぼちぼちと続けていこうと思う。

作家・宮本輝がある小説の中でいっているように(登場人物にいわせているように)
夢を叶えるには一度きりの人生では短すぎる、ということもあると信じつつ。














わたしの中ではひとつにつながっている話なのだけれど
書いてみれば一体なにが言いたいのかという話になってしまった。

それにしても「いぢわるな史ちゃん」だったわたしは
いまではりっぱな「いぢわるばあさん」になってしまったのだなあ。

こうなったらめざすは長谷川町子の『いじわるばあさん』!

































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2012-09-14 18:08 | 吐 き 出 す | Comments(5)





f0136579_22141687.jpg

ナツコは夢を見た。

ナツコは高校時代に好きだったウミヲとキスをしていた。
ウミヲは当時はかけていないメガネをかけていた。

ウミヲのラグビー部で真っ黒に焼けた肌、ぶあついくちびるはそのまま。

ナツコとウミヲは見つめあい
ディープなキスをした。

目が覚めたとき、ナツコの胸はナツヲに対する怒りでむかむかしていた。
何よいまさら。










ナツコは高一のとき、ウミヲに電話でつきあいを申し込まれ、
その二ヶ月後に、電話でもうやめようといわれたのだった。

二ヶ月の間ナツコとウミヲは一度もふたりで会うことがなかった。
つまり一度も、デートらしいことをしなかった。

学校では同じクラスだったから、毎日顔はあわせた。

ウミヲと同じ空気を吸っている。
それだけでナツコの心臓は飛び出るほどに高鳴った。
頭に血が上り、顔が真っ赤になった。

それはたぶんウミヲも同じだったのだろうなと思う。
ふたりだけで会うなんて、とんでもない冒険にも似ていたのかもしれない。

ナツコはウミヲにつきあいを申し込まれたとき
「わたしもウミヲくんのこと好きだからうれしい」
と答えた。

つきあいをやめようといわれたとき
ナツコは何も言わず、ただほっとしてしていた。
ああ、やっぱりな、という気持ち。










それからはナツコは、恋愛に関しては半ばやけくそになってしまった。

ナツコはいつもナツコの好きではない人から好かれ、
ナツコの好きな人にはふりむいてももらえなかった。

適当なところで手をうった男の子のことをナツコはとうとうちいとも好きにはなれなかったし、
その子もナツコをどれくらい好きだったかあやしいものだと思う。










ナツコは高校を卒業してはじめて相思相愛の恋愛をした。

彼がわたしより先に死んでしまったらわたしはどうやって生きていけばいいの。
ナツコは真剣に悩んではそのたびに泣いた。










熱すぎて飲めないコーヒーが
実はあっという間に冷めてしまうように
ナツコのそんな気持ちもやがて冷めてしまった。

人にいちばん傷つけられたのもあのころだし、
人をいちばん傷つけたのもあのころだなあ。

だけど、そうせざるをえなかったんだもん。
わたしはいつも真剣だったんだ。
ナツコはそんな風に思う。











ナツコの子どもがまさに今、その「あのころ」を生きている。

十四才になったナツコの娘は、前日にきちんと「デート宣言」をし、
ビーチへ行くのか、映画を見るのかを言って来る。

前回は映画で、お昼のサンドイッチを自分で作り
冷蔵庫にあったチェリーも持っていった。

たいてい朝の十時に出かけて、夕方の五時前には戻ってくる。
親公認で、健全だなあとナツコが感心してしまうくらいだ。

ナツコは自分がデートすることを親に宣言した記憶はない。
それはあくまでも「秘め事」で、親の目を盗んでするものだった。











性に関して子どもたちが傷を受けないように。

これはどんな親でも心底願う気持ちだと思う。
ナツコもそのことを何かに祈らずにはいられない。
そして、自分の子どもが、それほど運の悪い子のはずないさ、という楽観的な見方もしてみる。

ナツコの夫は今でも娘のデートのたびに不満をもらす。
「なんでグループ交際じゃなくて、ふたりだけなんだ」
「十時にはもう出かけるの?早いなあ。会う時間、ちょっと長すぎやしないか」

ナツコはそのたびに言い返す。
「わたしたちは、子どもを段ボールにつめて、ガムテープをべたべたにはったまま部屋の隅においておくことはできないのだよ!」











いい恋愛をしてほしい。
傷ついたり、傷つけたり、そんなことも経験するのだろうな。

ナツコは娘の背中を見ながらつぶやく。
bonne chance ! ボンショーンス/ 幸運を祈る!








































にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


[PR]
by kyotachan | 2012-07-25 22:22 | 吐 き 出 す | Comments(12)







f0136579_1728308.jpg


この場合わたしがわたしに毒をもったわけなんだけど

More
[PR]
by kyotachan | 2010-04-20 19:36 | 吐 き 出 す | Comments(18)







f0136579_18323054.jpg


玄関ホールに降りたわたしは郵便受けにチラリと視線を走らせ安堵の吐息をもらす。

「まだある」

口の中でつぶやいてドアをあけ子どもたちを先に外に出してから自分も外に出る。
ここのところわたしたちの郵便受けのネームプレートが誰ものかにはがされるのだ。

More
[PR]
by kyotachan | 2010-02-08 20:30 | 吐 き 出 す | Comments(35)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30