カテゴリ:五 人 家 族( 19 )

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電話の先で兄が言う。

「イタリアってほとんどのレストランにビンボー・メニューっつーのがあるんよ。
値段が普通の半分くらいで、店のネエチャンを呼んで、ビンボー・メニューってなんやねん!
貧乏人が食うメニューなんかい!て聞いたら、なんか、小盛りになっとるらしか」。

わたしだってイタリアのレストランには何度も入ったことがあるけれど、そのビンボー・メニューとやらには出くわしたことはない。

だけど、貧乏人のメニューって???

電話のこちら側で話を聞きながら、ちりり、と違和感を抱く。
イタリア人が日本語の「貧乏」てことばを知っているの???

「そのビンボーってさ、貧乏ちゃうよ。バンビちゃんとかさ、子ども向けのメニューってことやないかと思うんやけど」

「え、そうなん?」

え、そうなん?て、イタリアで bimbo てことばに貧乏を当てはめるの、あんただけだってば!
今になって兄は兄風のユーモアをかましただけだったのかもしれない、とも思えてきた。

さっそくグーグルで訳してみたらイタリア語の bimbo は「赤ちゃん」と出て来た。

この日はわたしの五十一歳の誕生日。

家族で出かけたタイ料理のレストランもうれしかったけど、
でも兄からもらった一本の電話のうれしさにはかなわない。

電話、またかけてねー!

51 ans dans l'eau

むかーしフランスにはこんなTVコマーシャルがあったそう。
51 cinquante et un / サンコンテアン はパスティスというお酒。

今年は水を得た魚のごとく、楽しく泳ぐぞ。

















写真はついにわたしの背を抜いた我が家の末っ子。
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五十一歳ににして家族でいちばんのちびになってしもーた。








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by kyotachan | 2017-08-05 16:09 | 五 人 家 族 | Comments(8)

mon père モンペー/ 父親








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母親に比べて父親に関する思い出は少ない。
なのにここのところ、父親のことばかりが思い出される。

父親に関する最初の記憶は、わたしが小学校の一年生か、二年生の頃。
夕食がすんで、わたしは居間のちゃぶ台にひじをついてテレビを見ていた。
隣には父親がいて、何か書き物をしていた。

わたしにしてみたら「珍しく父親の隣で過ごす時間」を、なんとなくいい気分で過ごしていた、ような気がする。

と、突然、父親が叫んだ。

「お母さん!なんね、きょうたは!勉強もせんと、テレビばっかい見よるやなかね!」

突然叫ばれたお母さんはといえば、居間の横にある、台所で、皿を洗っているところだった。

自分の父親が「そういう人」なのは知っていたはずなのに、なぜかその時のわたしは、父親のそばでそうしてもいいような気が、勝手にしていたのだった。

わたしはびくりとした。
そして、え?と思った。

お父さんはなんで、隣にいるわたしに向かってではなく、台所でお皿を洗っているお母さんに叫ぶの?

お母さんは何ひとつ動じることなく、自分の仕事、つまりは皿洗いの手を止めることなく、首だけをわたしの方に向けて言い放った。

「きょうたちゃん、お父さんの怒りよらすやろが。宿題ばしんしゃい」。

今になって想像してみると、母親はこのような夫の態度には慣れていたのだと思う。
わたしには年の離れた兄がふたりいるのだ。
自分の夫が子どもに対する態度に対しては充分に経験を積んでいたことだろう。
時代のせいにすれば「父親は外で仕事、母親は家で子育て」というのが普通の図式ではあった。

実際は母親もフルタイムで働いていたのだけれど、家の中のことに関しては百パーセント、母親に任せられていた。

突然、母親経由で父親に叱られたわたしは、顔がカーッと熱くなった。
ほんとうに、その時の自分のほっぺたの熱さを、今も感じることができるくらいだ。

そして父親の方を見ることなく、母親に向かって「うん」、と短く言い、の場を去った。









ある日、父親とふたりで、スケート場に行くことになった。
母親経由で叱られた前なのか後なのか、記憶はあいまいだが、
その頃とあまり大差ないと思う。

救急病院に勤めていた父親が、週末にゆっくりと家にいる、ということは珍しく、
わたしの記憶に間違いがなければ、家族で行楽地に出かける、ということはただのいっぺんもなかった。

おそらくは父親の気まぐれで「きょうたをスケートに連れて行く」ことになったのだろう。
そして母親は「それはいい考えだ、そうしましょうそうしましょう、ほらほら、お父さんがスケートに連れて行ってくれるんだってよ、」
と手際よくその手はずを整えたのだろう、と思う。

父親が車を運転し、わたしは助手席。
そのころはシートベルトを締めることもなかった。

肝心のスケート場で父親がどうだったのか、わたしがどんな風だったのか、
まるで記憶はないのだか、ただ覚えているのは、

行きに、大きな交差点に向かうとき、父親が突然アクセルを踏み込んだことだ。
子ども心にも、おや?と思うほどのスピードだった。

そして交差点にかかる直前に信号が赤に変わった。
あっ
と思ったか思わなかったか、な時に
父親の車は信号を無視して通過した。

子どもながらに「ここでは口を開いてはならない」と察した。
父親のほうもだんまりを決め込んだ。

そして、家に戻った時に、父親がきまり悪そうに母親に向かってその日がどうだったか報告している姿だ。
「きょうたが怖がって、いっちょん、すべりたがらんもん」。

父親のほうも、けしてうまいスケーターではなかったのだ。
そのことはわたしの口からは言わなかった。
母親もそのことは聞いてこなかった。











母親が死んで、父親がひとり残された。
三人いた子どもたちはそれぞれに家庭を持っていた。

わたしが実家に戻り、来客があると、父親は必ずその人に向かってこう言った。
「わたしは娘とは仲の悪かとですよね」。

そう言われて、傷ついている自分に気がついて、ちょっとびっくりした。

え?わたし、お父さんと、仲が悪いんだったっけ?

父親にしてみたら、そういうことで自分が傷つくのを防いでいたのだろう。










男男男、と男ばかり立て続けに三人生まれて
(三人目は未熟児で亡くなってしまったけど)
わたしが生まれたときには「女の子」だとはなかなか信じられなかったという父。

仕事中に母親のいる病院に来ておむつをはぎ、
「これは間違いなし」
と確認して仕事に戻ったという。

不器用ではあったかもしれないが、
わたしを愛してくれたことには間違いがない。

そして、わたしの命をこの世に送り込んでくれたことへの感謝を
わたしは一度も父親を前に口にすることがなかった。







生前の父の姿をいくつか思い出しながら、なぜこんなにも父親を?と自問すれば
なんのことはない、向田邦子の『父の詫び状』を読み返したからだった。

わたしってけっこー単純!

数えてみたら、父親が死んで十二年が経っていた。
ちょうどひと回りしていた。




















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by kyotachan | 2016-07-04 21:17 | 五 人 家 族 | Comments(3)





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小さいころ、線路を渡った向こう側にヤヨイちゃんという子がいた。

わたしよりひとつ年上でそんなに仲良しではなかったのだけど、
わたしの母親とヤヨイちゃんのお母さんが同じ職場で働いていたせいで
なんとなく顔をあわせる機会が多かった。

ヤヨイちゃんのおうちのお風呂が五右衛門風呂だということを知った母親は
いまどき珍しいといたく感激して、わたしをお風呂に入りにやらせたことがあった。

わたしがなぜわざわざお風呂に入りに行かなければならないのかと尋ねると
「五右衛門風呂なんて珍しいもの、この先入ることなんてないだろうから入らせてもらいなさい」
と母親は答えた。

当時のわたしにとってはそんなものどうでもいいことだったのだが
「キョータちゃんは五右衛門風呂に入れるなんて運がいいねえ」
ということをことばの端々に感じさせる母親におされるようにしてヤヨイちゃんの家に行った。

ヤヨイちゃんはおそくできた子どもで、ご両親ともにヤヨイちゃんの祖父母といってもいいくらいの年齢だった。

五右衛門風呂の底には木のふたが沈ませてあり、そこにヤヨイちゃんのお父さんが先に入って待っている。
わたしはヤヨイちゃんのお母さんに抱っこされて、ヤヨイちゃんのお父さんに手渡された。
ということはわたしはせいぜい幼稚園の年少さんくらいだったのか。

風呂桶のふちにさわるとやけどするから気をつけるようにと言われてひどく緊張した。

そのあとたぶん、ヤヨイちゃんも入ってきたのではなかったか。

ヤヨイちゃんは日本人形のような顔をしていた。
そして日本舞踏を習っていてそれがすごく上手らしかった。

今読んでいる本に「五右衛門風呂」ということばを見つけて
そういえば、と昔の記憶がよみがえった。

「お母さんのおかげで入ったことがあったな五右衛門風呂に」と思い出した。

三十秒前のことはすぐに忘れてしまうくせに
昔のことだけはよく覚えている、という年齢になっちゃったのか?















蛇足。
バンショ、といえば「ホットワイン」?
いえいえ、ホットワインのほうは vin chaud ヴァンショ。

日本語の「バ」と「ヴァ」はややこしいくらい似たもの同士だけど
フランス語の「 b 」 と 「 v 」 は天と地ほどにも違う。































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by kyotachan | 2012-10-12 16:38 | 五 人 家 族 | Comments(9)




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母親が何年生まれだったか時々わからなくなる。
父親のほうは大正十五年、で、いつもきっちり覚えているのに。

確か父親より四つ下だったから昭和四年?
そうだな、うん、そうだったそうだった、昭和四年だよお母さんは。
いつもそんな風にして思い出すことになる。

わたしの頭の中にはいつも和暦しかなかった。
ふと昭和四年は西暦では?と調べてみたら1929年だった。

ぎょ、となったのは、29、がわたしの誕生日数だったからだ。

今まで気がつかなかったのって、これってどうよ。
自分のばかさかげんにあきれながらも、
母親の誕生日の中にも、29、という数字を発見したことがただただうれしい。









わたしの母親は、今から十三年前の1999年に、六十九歳で亡くなった。
あら。なんだかやたらめったら、9、じゃない?

母がもし生きていたら今年八十三歳。

もし、や、たら、の話はまったくもって時間のむだ。

そんなことはわかっているのに、今年はなぜか、
母親が1929年生まれだったことに気づいたことから母親の年齢が気になって仕方がない。

コンピュータを立ち上げたときにグーグルがその日の誕生日の人を紹介することがある。
たいていは亡くなった人たちで、わたしにはなじみのない人が多い。
気が向くとクリックして、へー、そんな人がいたのねえ、なんてやっている。

その続きで、母親は生誕八十三年なんだな、と思ったのもある。
死んでしまったって、お祝いしていいんだよね誕生日なんだもの。













わたしの人生と母親の人生の不思議な一致点。
それはわたしも母親も出産を四回していること。
最初の出産と最後の出産の年齢が同じということ。

つまり、わたしにとっての三女が、母親にとってはわたしということ。

わたしにとって三女がどれほどいとおしいかを思えば
母親がわたしをどれおどいとおしく思っていてくれたかはおのずとわかるというもの。

それはわたしが上の三人のこどもたちをいとおしく思っていないとは違う。
誰もかれもがいとおおしてくてたまらない。

だけど。

最後のひとりに対するいとおしさは何かことばにはできない格別なもの。
先に生まれた子どもたちにはもうしわけないけれど。いやほんとごめんね......。

母親にとって、わたしのことがどんだけかわいかったか。
死ぬ間際にも「キョータちゃんのことだけが心配」と言っていた。














お母さん、今日は八月一日。
お母さんの誕生日だね。

八十三歳、おめでとう。
わたしはつい先日、四十六歳になりました。

わたしといえば年齢の数字だけがどんどん増えて、まだまだがきんちょのままです。
お母さんが「常識のある人には育てなかった」といってくれたほどのことはあります。

お母さん、わたしを生んでくれてどうもありがとう。
お母さんの子どもでわたしはほんとうによかった。

お母さんはね、わたしの中ではまだまだ健在なんよ。
いつもほんとうにどうもありがとう。





































予約投稿なり。
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オレもね、約四十年前はこれくらいかわいかったんよ。

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by kyotachan | 2012-08-01 08:01 | 五 人 家 族 | Comments(12)








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またひとつ、割ってしもうた。

手放すことは得意のはずだけど。
形あるものはいずれ無くなるものと覚悟しているはずだけど。

ああ…お母さんごめん。

白と青の色合いとか、
猫足のついているところとか、
ちょっと細長いところとか、
特に気に入っているものだったのに。









今日は曇り空で
雨も少しぱらついて
外出したとき、二回、すべりそうになった。

ああ、来るな三回目。

そう心つもりしていたら、
こいつが。

こいつが手からすべってしもうた。
変わりにすべってくれたんやねきっと。















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割れたものをくっつけるのはしみったれてるからしない。
そう思っているんだけど、これはやってしまいそう。































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by kyotachan | 2012-01-31 01:22 | 五 人 家 族 | Comments(10)






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わたしの父は働くこと以外に楽しむということを知らない人だった。
救急病院に指定された個人病院で、それこそ土日祭日も関係なく働いた。
そしてついに、働くことについて、父がぐちをいうのを聞いたことがない。
いまさらながら、働きものの父だった。

そんな父の唯一の楽しみが、仕事が終わってから飲むお酒だった。
たいていは、食事が終わってからも飲み続け、ついにはテレビの前で寝てしまう。
その父を、寝室まで引きずっていくのが母親の役目だった。

それでも夜中に救急車が来れば
起きて出て行っていた。

いわずもがな、交通事故は夜中と週末に多い。









母が亡くなって、父が亡くなるまでの五年間は、
父にとっては人生の中でももっとも厳しい時間だったろうと思う。

病気でもないのに入院させられた父に電話をした。
何か送ろうか、というわたしに父は即答した。

「酒がよか。四合瓶の」

ベッドの横の、物入れに入るサイズなんだろうなと一瞬にして理解した。
わたしは日本酒の四合瓶を二本、病院宛に送った。














それから数年後、フランスへ来ることになり、
父のいる病院に行った。

父はオムツをしてベッドに横たわっていた。

わたしはおみやげに、コンビニでアンパンを買った。

わたしたちの方を見もせずにアンパンにかぶりつく父の姿。

それがわたしの見た父の最期だ。











日本酒を、買っていってやればよかった。
わたしが父にできることはそれくらいしかなかったのに。

非常識な娘だったのだから、最後まで非常識に徹すればよかった。
あの時わたしはやっぱり、アンパンではなくて、お酒にするべきだった。













一年に一度だけ、一升瓶でお酒を買う。

今年はお正月には間に合わなかったけれど、
楽しみが、少々先にのばされただけのことだ。

日本酒を飲むたびに思う。

ああ、わたしのからだはお米でできているんだなあ。

小麦やぶどうからできるお酒には感じない、
からだに、すーっと溶け込んでいく心地よさを感じる。














久々の記憶喪失。

わたしは皿洗いも放棄して、和室でいびきをかいて寝ていたらしい。

やっぱりわたしの場合日本酒は、一年に一度でちょうどいいのかも…。


































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by kyotachan | 2012-01-07 22:35 | 五 人 家 族 | Comments(8)

vapeur ヴァパァ/ 湯気






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わたしの母親は夕食の準備をするとき、
たとえば副菜を一品だけ、早い時間に、たとえば四時ごろに作っておく、
ということがよくあった。

それはひじきとこんにゃくの煮物だったり、
きんぴらごぼうだったりした。

その手の副菜をいれるお茶碗(というのか?)は、
忠えもんのもの、と決まっていた。

ウチの近所にあった小さな窯元・忠えもんさんの焼き物は(ウチのほうでは、陶器一般は焼き物、と呼ばれていた)
一見荒削りなのだけど、ほっこりと温かい作風で
値段も手ごろだったことから
母は一時、忠えもんさんに足繁く通っては色々と買ってきていた。

出来立ての、ひじきとこんにゃくの煮物が忠えもんの中でゆげを立てている。
このお茶碗はふたつきだったから、とても便利だったのだと思う。

四時、といえば、ちょうど小腹のすくころで、
わたしは、がまんできずにおはしを持ってきて勝手に食べてしまうことがあった。

最初はもちろん、ちょっとだけのつもりなのだけど
気がつくとわたしはたいてい、それを全部食べてしまっていた。

それを見た母はくすりと笑って
「なんねキョータちゃん。ひとりで食べてしもうたとね」
というくらいだった。

夕食のおかずに作ったものを早々に平らげられてしまって、
母は困らなかったのだろうか?









だいこんの皮とにんじんできんぴらを作った。
だいこんの皮の苦味にひとかけら入れた唐辛子がぴりりとからんでいい感じ。

こんな無駄のない料理をすると、
わたしってけっこうできる主婦じゃん?
と自分をほめてやりたくなる。

なにせ普段は無駄の多い主婦なだけに。


































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by kyotachan | 2011-11-26 00:56 | 五 人 家 族 | Comments(5)






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母親がファンだったこともあって、
向田邦子は帰省するたびに読んでいた。

わたしも夢中になって読んだ記憶がある。
もう三十年近くも昔のことになってしまった。

Ginger さんからまた本が送られてきた。
向田邦子の随筆集が何冊か入っていた。

表紙に見覚えがあるし、
確かに読んだ記憶もあるのだが、
今回、初めて読む本のように新鮮な気持ちで読んだ。
はたして三十年前はどのくらい理解していたものやら、とも思った。

弟さんの向田保雄さんの書いた「姉貴の尻尾」も入っていた。
こちらは初めてで、読みながらおいおい泣いてしまった。

向田邦子の随筆集も、
何も泣かせる話ではないのに、
泣けて泣けて仕方がない。

台所の片隅でひとり、
ぐじゅぐじゅ言いながら読んでいる。

向田邦子と母親はおない年だった。

わたしは母親の生きた時代に
涙しているらしい。

日本が、もっとも日本らしい、
美しい時代だったのだなあなどと思う。

こういう言い方は嫌いなのに、
「昭和はよかったなあ」
と思っている自分がいる。

わたしの生きている時間はいつの間にか、
「昭和」より「平成」の方が長くなってしまった。

今年で、向田邦子が死んで三十年になる。
亡くなったニュースを聞いて、くやしそうにしていた母親の姿が見える。

わたしの母親は、十二年前の今日、亡くなった。

苦しんで苦しんでゆがんでしまっていた顔が、
ついにおだやかになった日でもあった。


























窓から見えたハトが、きょとん、としていてかわいくて。時々洗濯物を汚す犯人でもあります。
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長男と三女がお休み。ふたりで仲良く遊んでおります。ま、金曜日だしね。風邪の話題は今日でおしまい。>きっぱり。

恐れ入ります。
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by kyotachan | 2011-01-21 22:05 | 五 人 家 族







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実家に帰るわ

ということを周りの人たちに伝えるとき
わたしはこころのどこかに優越感を抱えていたなと思う

そして友人の誰かが
同じことをわたしに告げるときは逆に
わたしは口にだすほどではない
それでもジェラシーに似た気持ちを
こころのどこかに抱いたんだよなあと

あ、帰るんだ、いいなあ

そんな風に言ってみたこともあったかもしれない










十八の時に予備校の寮に入ってから
三十を過ぎて母が死んでしまうまで

わたしが「実家に帰る」ことを楽しめたのは
このほんの十年とちょっとの間のことだった

いつでも帰る場所があるというのは
実はとんでもないありがたいことだったのだなあ
などと今さらにして思う

帰ってまず楽しみなのが
母の手料理だった

母は「料理は仕方なく」というのが口癖のような人だったけれど
わたしにとっては今も母の料理がいちばんいいなと思う

父親はまだ働きに出ていたから
昼間は母と二人で食卓を囲んだ

午前中にたいてい二人で市場へ出る

いい魚が出ていれば魚を調達し
かつおぶしは乾物屋で、小豆とごまは豆やで、というのが母親流だった

あー腹ん減ってきたね
キョータちゃんなん食べる?
あっつあつのごはんにさ、もやし炒めてどがんね
もやしばさ、じゅっじゅって炒めたらおいしかもんね
お昼近くになると何を食べるかを聞いてくるのだけど
母親の頭の中にはすでにメニューができあがっているのだった
父親のいない食卓はあくまで質素が第一、というのもまた母親流だった

ひげは、、、
よかやろ
せからしかもん
母親の炒め物は必ず中華なべを使った
味付けは「塩・こしょう」の一緒になった瓶とおしょうゆ

あっつあつのごはんにもやし炒め
そして母ご自慢の糠床でつけたキャベツの芯や人参やきゅうりが並んだだけの食卓だったのに
今もこうして思い出すのは一体どうしたことだろう










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最近こちらでももやしをよく見かけるようになった
週末にアジア食材のお店で見つけたもやしは
五百グラム入って 1€ ≒ 113 yen だった

しゃきしゃきとしたもやし炒めを食べたら
母親と一緒に食べたもやし炒めを思い出した

わたしは唐辛子を入れて辛めのもやし炒めが好きだ
そしてあっつあつの白いごはんがあればこれだけでもう何もいらない

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わたしが愛用している庶民の味方「Dia(旧Ed)」というスーパーにももやしが時々出ていて
そこは400gで 2.29€ ≒ 260 yen。値段にばらつきがあるなあ。味も↑こっちの方がグーでした。
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母のことを言いたいのか、もやしのことを言いたいのか、はっきりしなさい!

両方です。恐れ入ります
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by kyotachan | 2010-09-27 20:39 | 五 人 家 族 | Comments(39)




今日はフランスの母の日

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毎年この日は
大好きな母のことを思い出す日

わたしのお母さんはね

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by kyotachan | 2008-05-25 21:16 | 五 人 家 族 | Comments(16)

南仏・ニース在住。フランス人夫・一男三女の六人家族
S M T W T F S
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