2007年 04月 13日
ロイック ルフェルム
長女が、*CP(セーペー)に入学する時だったから、今から約三年前。
フランスには、入学式がない。 学校の初日は、なーんとなく、わさわさしながら親子ともども校庭に入り、なーんとなく振り分けられたクラスを見つけ出し、、なんとなーく子どもたちが教室へ入って行くのを見届けながら親は退散する、という格好になる。 その、わさわさしている校庭に、赤ちゃんをおんぶした男の人がふら~っと入ってきた。 長髪でブロンドだ。
「へー いるんだなー おんぶする人。」
そう思った。 経験のある方にはおわかりだろうが、赤ちゃんをおんぶする、てなかなかの重労働。 わたしには、子どもが歩き出す前、どうしてもしなければならない、という事態以外は、避けたいことだった。 だって重たいもん。 でもこの人、どうみても二歳くらいの男の子を、ひょい、て軽々とおぶっている感じで、なんとなく印象に残った。
長女が入ったクラスに、イネスがいた。 長女と大の仲良しになった。 ふたりが一緒にいると、こちらまで幸福感に満たされる。 そんなふたりだ。 手遊び歌、小さい時に、やったでしょう。 フランスにもある。 それをふたりでやる。 息が合っている。 合いすぎている。 一瞬、よりもっと短い時間の、呼吸が合っている。 見ていて嬉しくなる。 お泊りもした。 ウチにも来た。 六歳でいい友達に会う。 いいなあ。 わたしにはその頃の友達、もういない。 ずーっと、仲良しでいてほしい。 長女の幸福と同時に、イネスの幸福をも祈ってしまう。
イネスのママ、ヴァレリは、プロのバレリーナだった。 いろんな国で踊って来たらしい。 イネスのために、お教室を開くから、いかが、と声をかけてもらった。 このときの喜びようを、どう表現していいかわらない。 母親として、ただただうれしかった。 長女はとにかく、バレエをやりたい、とその二年位前から、ことあるごとに、言っていたのだ。 図書館からバレエの本を借りてきて、じーっと見たりしていた。 バ レ エ 。 費用、がねー。 ずっと、先延ばしにしていたのだった。 お月謝は、保険代とわずかな金額だった。 「イネスのためにやるのであって、営利が目的ではないから」。
ヴァレリとおしゃべりしている内に、夫のロイックは、『グラン ブルー』 ジャック マイヨール の後継者とされる人物だということがわかってきた。 あの日、イネスの弟、ノエをおんぶしていた人だ。
「今度、仕事で日本に行くかもしれないのよ。 『グラン ブルー』 『ジャック マイヨール』て、日本でも有名でしょ。」
確かに、ジャック マイヨール の後継者、て注目を浴びそうなキャッチフレーズだ。 ロイックの家族が、日本に行き、そこで仕事をしたり、バカンスを楽しんだりすることを想像すると、なんだかわくわくした。
2005年年末、ニース市内で引越しをしたわたし達は、転校を余儀なくされた。 間もなく、ロイックとヴァレリは少し田舎の方に一軒家を購入して、イネスも学校を変わった。 それでも長女とイネスの友情は今も続いている。 ある日、我が家の電話が点滅している。 イネスから、長女へメールが来ていた。
「Tu me manques. (チュ ム モンク)」
日本語に訳せば、「さみしい」 とか 「会いたい」 とかに置き換えられるだろう、このフレーズ。 直訳すれば、「わたしの中にあなたが欠けている」、ということだ。 イネスはとても繊細で、ウチにきた時に、歯が痛み出して泣きだす、ということが一度ならずあった。 新しい学校で、長女ほどに仲良くなれる友だちがいないのかな、と胸が痛んだ。
イネスから長女にメールが来たすこしあと、学校のない水曜日に一緒に遊ぼう、とヴァレリから電話があった。 その日は朝から長女を迎えに来てくれて、夕方また、送り届けてくれた。
「心理学の勉強を続けて、心理療法士になるつもり。 自分でキャビネを開くことだってできるし。」
というような話をした。 彼女はいつもダイナミックでおそろしく気持ちがいい。 からだは鍛え抜いている人の緊張感があふれている。 ノエを出産後に始めたテコンドーは、今や黒帯だ。
ロイックは、たびたび公の場で見かけた。 それは、ローカル新聞だったり、ローカルテレビのニュースだったり、スポーツショップのカタログだったり。 一度はフランス全国に流れているスター養成番組 『スターアカデミー』 に、一日講師として出演したこともあった。 どれもこれも、「海に潜る」ことの延長線上にあるもので、彼、あるいはヴァレリを含めて彼ら、と言ってもいいかもしれない、彼ら、にとってみたら、どうでもいいことのようだった。 たとえば、「見たよー新聞」 「すっごいねー スターアカデミーの講師するなんてー」ということをこちらが言っても、「え、新聞に? あら、見てないわわたし」 「ああスターアカデミーねー。 あれ、見てるの? わたしたち、見てないのよー」 という具合だ。
ロイックは、潜水の世界記録を三回、塗り替えている。 モットーは「ノーリミット」。 もっと深く。 もっと遠くへ。 どこまでも。 もっと。 もっと。
四月十一日。 長男がテコンドーの教室に通う日。 テコンドーのパーク先生が、わたしを見るなり・・・
「知ってる? ロイック ルフェルム。」
「ええ、ええ、もちろんですとも。」
「死んだよ。 さっき。 海の中で。 事故らしい。 友人にメールをもらったんだけど、信じられなかったから、別の友人に確認したら、事実だった。」
わたしは、怒っている。 ずっと、怒り続けている。
なにに?
ロイックの死顔は、笑っているようだった。 あまりにも美しかった。 「やあやあ、驚かせちゃってごめんごめん」て、今にも起きだしそうだった。 ここに、いま、わたしの目の前に、ストップボタンがあったら、わたしは、力いっぱい、それを押すだろう。 そして、それを、力いっぱい、まき戻したい。 ま き 戻 し た い 。 そして、水曜日の、朝に戻りたい。 ロイックが、おそらく、
「A ce soir ! (ア ス ソワール = 今夜また会おうね)」
あるいは
「A tout à l'heure ! (ア トゥ タ ラー = あとでね)」
という、日本語で言えば、「行ってきます」、にあたることばを残して、出かけたであろう、あの、水曜日の朝に。 戻れない、ことに、怒る。
夫をなくしたヴァレリの悲しみに対して、怒る。 父親をなくしたイネスとノエの悲しみ対して、怒る。 息子をなくしたロイックの両親の悲しみに対して、怒る。 婿をなくしたヴァレリの両親の悲しみに対して、怒る。
生と死は、海がおこす波のようなものだという。 波が、ばっしゃーん、と打上げたときが生。 その波が海に戻る時が死。 わたしたちの命は、この打ち返す波のように、生と死を繰り返している。 生きていても、死んでいても、それはひとつの生命体として、宇宙に溶け込んでいるのだ。
ばっしゃーん。 ばっしゃーん。 ばっしゃーん。 ぱっしゃーん。 ばっしゃーん。 生、死。 生、死。 生、死。 生、死。 生、死。
だから、なんだというのだ。 そのことばが、今、一人の人をなくした者たちに、なんの力になるというのだ。
ロイックが、決めたこと、なのなら、受け入れよう。 彼が、そうしよう、と決めたことなのだ。 海の中に、戻って行こうと。
日蓮が弟子に宛てた手紙の中に、「いまこのときを、臨終の時だと思って生きていきなさい」、という意味のことばがある。 それを、こころから読んだ。わたしたちの命は、いまこのとき、死という状態になるかもしれないのだ。 波が海の中にかえって行くように。
ロイック、どうもありがとう。 あなたと、あなたの家族が大好きです。 これ以上はシンプルにはなれない、というくらいの、シンプルさ。 あなたとあなたの家族に出会えて、わたしはしあわせです。
ゆっくりと、お休みください。
*CP (セーペー) : Cours Préparatoire (クール プレパラトワール=準備過程) の略で、幼稚園を卒業したら、ここへ入るので、日本式に言えば、一年生、にあたるのだが、長女が、
「ちがうよ! 一年生じゃないよ! プ レ パ ラ ト ワ ー ル 、だから、一年生になる、準備のクラスだよ。 幼稚園と一年生の間!」
と主張するので、あえて、一年生とはしなかった。
ゆりこ
読んでくれたんだね うれしいよーどうもありがとう ロイックが死んだのはわたしがブログをはじめてから一月もたたないころだったのよ もう悲しくて悲しくてどうしたらいいかわからなくて次に怒りがこみあげてきてしょうがないのさ どうしてこんなことが どうしてこんなことが ってわたしの脳内では処理ができないくらいに頭が膨れるのを感じたの だってさロイックってだれよりもカラダを鍛えていてだれよりも長生きするはずだった人がだよ こんな風に事故で死ぬなんてそんなのないよ それもトラックにひかれた事故じゃない 自分の仕事場で慣れ親しんだスタッフたちに囲まれてて その状況で死んじゃった いっそのことトラックにひかれてくれたほうがまだ受け入れやすいよなんてばかなことまで考えた どうしかしてその怒りに決着をつけたかったの
どうすればいいどうすればいい・・・てロイックのことを思いながらここに書いてみたの それが信じられないことにものすごーい癒しになった 書きながら彼の死を受け入れていた だからこれは本当に自分のために書いたようなものなの それをとまとちゃんが読んでくれていたなんて・・・こんなに長くて退屈な話だれも読んでくれてないだろうなて思ってた ほんとうにありがとう ひとり 読んでくれてたんだってわかったらなんだかものすごーくうれしかったよ
とまとは ロイックのこと 知らないのに
あまり泣かないのに
ドライアイで 涙ゼロ っていわれたのに
kyotachanが書きながら 悲しい出来事 を受け入れられたから
kyotachanが 自分の気持ちと決着つけることができた文章だから
泣いちゃったのかな
パリに住む4ヶ月のぼーやのままになった者です。
2年程ドイツで働いていたのですが、その頃からこのブログを読んでいます。たまたまブログを始めて10年の記事からジャンプして、さかのぼって読んでいたのですが、この投稿に思わず泣いてしまいました。
私は読んだり書いたり好きなのですが、とくに上手な訳ではないです。でも、その人の選ぶ言葉使いに好みがあって、心地よくしみ込んで行くような感覚がいつもあるこのブログがとても好きです。
コメントどうもありがとうございます。自分の書いた記事を再読して、ああ、なんだか一生懸命書いていたなあって十年前の自分を思い出しました。ここのところ、行き詰まりを感じていたのでなんだか再発心するような気持ちです。
この出来事はほんとうに衝撃的で、人は突然しんでしまうのだなあと思ったのを昨日のことのように思い出します。イネスは長女と同年齢ですから今年でももう十九歳。金髪のとても美人さんに育ちました。お母さんのヴァレリはあらたな夫に巡りあったらしく、ふたりの子どもたちとも相性がいいらしいと聞きました。
いただいたコメントになんだかとても励まされました。また寄ってくださいね~!