牡蠣。
ああなんというすてきな響き。
そうしようと決めたわけではないけれど、我が家ではクリスマスに食べるモノ、という位置を獲得している。
つまり、年に一回。
旅先でこうして食べることはあっても我が家でクリスマス以外で食べることはまずない。
なんでだろう。こんなにおいしいのに。
特別感、があるのかしら。
クリスマスだから。旅先だから。
ねえ。だから、食べても、いいよねえ?
今わたしが言う牡蠣は殻つきの牡蠣だけれど、
わたしが子どもの頃には、殻つきの牡蠣にはお目にかかった記憶がない。
牡蠣、といえばぱんぱんに張ったビニール袋に入った牡蠣のことだった。
それはもう、ぷりっぷりに太っていて、今にもビニールを破って飛び出てきそうだった。
酢の物。牡蠣フライ。たまーにお鍋。
いちばん好きだったのは牡蠣フライかな。
一口で食べないと、切り口がみどり色とちゃ色でそしてグロテスクで、なんだか気持ちが悪かった。
どんなに大きくても一口で食べたかった。
もしそれができない時には切り口を見ないように気をつけた。
それでもなんだかほかのフライにはない大人の味が好きだった。
砂丘を思い切り楽しんだあと、わたしたちが向かったのは牡蠣がおいしいという街。
ちょうどお昼時で、市場が立っていて、そこには開いているレストランが一軒。
いや、ここしかないんだったら、ココで食べるしかないでしょう。
だけど、すでに店内、というかテラス席だけだったのだけど、
店内、すでに満席状態で、この後入れても一時間後だという。
しょうがないから一時間後に六人の予約を入れて市場をぶらぶら。
ようやく入れた店内で、まだそうじもされていないテーブルに陣取ったわたしたちの目に入ったのは、
バカンスで家族を迎えたらしい大家族が食事を終えたあともおしゃべりに興じている姿とか、
若者たちがいい具合に酔ってしまって大声で話し合う姿。
しばらくそのまま放っておかれ、サービスの若い女の子は「今、行きますね」と声がけだけはしてくれるものの、
ほかのテーブルが優先されるらしく、なんだか完全によそ者あつかい。
近所の寄り合い場所だったか、ココは?
それでも牡蠣はおいしかったし、
子どもたちの頼んだムール・フリットやフィッシュアンドチップスもおいしかった。
サバとシャケのリエットも新鮮でなかなかいけた。
サービスだってよそ者をちゃんともてなしてくれる温かさは感じられた。
デザートを、という夫に、
ごめん、わたしは頭痛がするから外で待ってるね。
そう言って先に店を出てしまった。
そのくらい、店内は騒々しかった。
外に出て、ちょいと車を走らせたら、あーら。
なんだか、のどかな牡蠣の養殖場に出た。
その場で食べられるレストランも数件、軒を並べている。
実はこの街を目指したのは、夫が砂丘のお土産やさんで「牡蠣のおいしいところ」を聞いたせいなのだ。
お土産やさんはこの辺りを目指すように、と言ってくれたに違いない。
その一歩手前で、ヘンなレストランを見つけてしまったのが運のつきだったか。
この辺だったらもっと静かに食事ができたのにねー。
という愚痴はぐっと飲み込んでおいた。
わたしたちの旅はいつも行き当たりばったりなのだ。
今度来た時にはこっちで食べてやるー。